■貨物船の思想
ここに出てくる「貨物船」は自分の姿であり、「海」は夢や理想の象徴のように思える。
「あしたは崩れるにちがいない/瓦礫の堤防立って遠くを見ていた」などの不吉なフレーズに表れている通り、「河口眺望」は自分の思い通りに生きられる世界を描いてはいない。貨物船=〈私〉の航海は「徒労に過ぎない」もののように見える。「悲哀のネッカチーフ」を巻いた〈私〉は「海が見たいわけではなかった」「まして遠くを 遠くには夢がなどとばかげたことを思っているわけではなかった」と続ける。「海に出るだけが川じゃない」とでも言いたげな〈私〉。
その消極的でひねくれた物言いは不思議な印象を残す。(現代のニートのようだ)と思った。
(これはニートのための抒情詩なのだ)
と、仮定してみると、この詩はまた違って見えてくる。〈私〉は「わけではなかった」と繰り返し否定することで、何かに対して誠実に抗っているようにも思えるのである。
ハーマン・メルヴィルの小説『バートルビー』には、究極のニートのような主人公が登場する。辻さんはロンドンに滞在した際に、この作品を映画で観ており、主人公に強くひきつけられている。主人公のバートルビーは仕事を頼まれるとすべて"I would prefer not to"(〜しないほうがいいのですが)と言う。クビになっても会社に居続け、最後は刑務所で餓死してしまうという物語だ(映画は原作とはラストシーンが異なる)。この奇妙な男に、辻さんは、自分自身の姿を見ている。
ていねいに不条理な拒絶を繰り返すバートルビーも、貨物船=〈私〉も、表面的にはニート的な存在だ。しかし同時に、両者は自分以外のすべての世界を相手にささやかな抵抗を試みる者としても、ぼんやりと浮かび上がってくる。
■「佃渡し」の消滅
辻さんと同じく、隅田川のほとりで育った詩人(思想家)に吉本隆明がいる。
吉本隆明の詩といえば「異数の世界へ降りてゆく」や「佃渡しで」が有名だが、辻さんの「橋」という詩にも「佃渡し」が登場することを最近知った。
私は十代の終わりに「佃渡しで」を「渡し」の意味もよくわからないまま読んだ。「そんなことはない みてみな」という言葉が肉声を持って響いてきて胸をつかれた。しかし、最近、辻さんの「橋」を読んでそこに不思議なコントラストを感じた。
佃大橋が完成し、「佃渡し」が廃止になったのが1964年。吉本隆明は40歳、辻さんは25歳のときだ。「佃渡しで」は、この橋が完成する間際に訪れたときのことを書いたと言われている。一方、辻さんの「橋」は、1996年に刊行された『俳諧辻詩集』に収録された作品だ。「歌舞伎役者の団十郎の台詞」という形で佃大橋を渡った様子を語らせている。
『俳諧辻詩集』は俳句と詩を組み合わせた詩を集めたもので、辻さんの詩集の中でも少し毛色が違う。読みはじめは「これは詩なんだろうか」と違和感を感じるかもしれない。しかし、江戸っ子言葉が連なる中に、確かに詩としか呼べないようなリズムと面白さがある。
橋(佃大橋)というモチーフが「近代」を指すとしたら、「佃渡しで」には強い葛藤が感じられる。「橋」はどうだろうか。全体にはからっとユーモアがあるが、それにしても、この言葉には奇妙な響きがある。
この言葉は、単に橋というモノに対する驚きを表しているのだろうか。それは、過去を振り返ってみたときに生まれる違和感に重なる。たくましく想像を広げるなら、日本の戦後の思想のあり方にも重なるという気がする。
辻さんは、強い主張や思想からは遠く離れた人だった(と思う)。ただ、一方で声高に主張される「われわれ」「ぼくら」に対して愚直な「ぼく」であり続けることにこだわる姿勢は、誰よりも強かったのではないだろうかと感じる。
60年代に熱風を吹かせた思想と闘争は「いっさんに/橋を渡ってきた」団十郎の姿にとたえられるだろうか。その中にもちろん辻さん自身も含まれていただろうが、「きのうまで/橋なんかあなかったぜ」という冷めた実感は、時代と思想がめまぐるしく変わる激流の中で、中州にぽつんと立ち続けた辻さんの姿勢に重なる。
「佃渡し」は隅田川の最後の「渡し」場であった。
川を愛した詩人たちにとって、その消滅は何を意味していたのだろうか。
物理的に橋がかかることで、人やモノがどんどん移動し、暮らしはより豊かに、便利になったはずだ。けれども、川という境界を「いっさんに」(一目散に)通り過ぎる時代にあっては、あいまいな領域の存在が認められない。「佃渡し」の消滅は「余白のない世界」の到来を象徴していたのかもしれない。
辻さんの詩には、自分と他人すらも分けない「渡し」の領域をふらふらしているような曖昧さがある。それがまた不思議な魅力になっているのだと思う。
※2 1959年から60年にかけて、安保条約の改定をめぐってデモが起こり、それはやがて岸内閣退陣を要求する激しい抗議デモへと変わった。1960年6月15日に国会議事堂を11万人ともいわれるデモ隊が包囲。警官隊と衝突し、死亡者1名を出す事件となった。