■隅田川のほとりで
辻さんの詩の中に「川」を扱った詩は多い。その原点は、もちろん隅田川だ。
辻さんは上の詩について「(隅田川のまわりにあるものを)美しく苛烈に歌って余すところがない」と語った。
隅田川はもともと武蔵国(現在の東京・埼玉・神奈川)と下総国(千葉)の境界だった。江戸・明治時代は「大川」の名でひとびとに親しまれ、自然の残る左岸は「川向こう」と呼ばれていた(「向島」の地名はここから生まれたという説もある)。そして、辻さんが育った向島は、古くから春になると桜が咲き乱れる景勝地だったことから、花街として栄えた。
芥川龍之介が「大川の水」というエッセイの中で「銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような覚束ない汽笛の音と石炭船の鳶色の三角帆と……」と書いているように、隅田川は、大正時代にはすでにきれいな川ではなかった。芥川も隅田川をこよなく愛したが「きれい」だから愛していたわけではないのである。
川を眺めるとき、私たちは「こちら側」に立って「向こう側」に別の世界があることを感じる。彼らが、子どものときから見て育った隅田川に、自分の人生そのものを重ねたことは想像に難くない。
東京大空襲があった1945年の12月。木造住宅が密集していた向島一帯は一斉に焼けた。逃げるところがなくなった人々が言問橋に押し寄せ、隅田川に飛び込んだという。
死体が流れていくある種すさまじい光景を、6歳の辻少年は日常にあらわれたひとつの風景として見ていた。今よりも真っ黒で汚れていたので、川で泳いだということはなかったようだ。野球をしていて、グローブを放り投げてうっかり隅田川に落っことしてしまい、パンツまで脱いでソロソロと入ったことはあったらしい。
生活と遊びの場であり、生死を含む存在であり、自分の過去と未来に思いを馳せる場所でもあり……。親しみやすいモチーフの中に、暗いイメージと明るいイメージがないまぜになって辻さんの詩は、やはりこの隅田川に原点があると思うのだ。
■川のまなざし
長く未刊だったものの『辻征夫 詩集成』(1996)に収録されたややマイナーな作品。詩を難しいと感じている人に教えてあげたくなるかわいい詩だ。「ぼく すなわちきみの父は」とあるように、辻さんの詩はバトンを手渡すように視点を次々と移動させることが多い。「川のほとりでうまれた」という人間の視点から「ぼくの三十代の 暗闇で二つの川が唐突に結びついた」というダイナミックな風景が表れる。カメラが切り替わり、最後にぱっと放される感覚が心地いい。
ときに冷たさすら感じるような辻さんの客観性は、川の向こう側からこちら側を見たときの「自分が居た世界がどこか異世界に思える」感覚から来ているのかもしれない。
※1 向島五丁目には「隅田公園少年野球場」という小さな野球場がある。日本で初めて作られた少年野球場らしく、レリーフが彫られた古い門には昭和の面影が残っていた。おそらく辻少年はここで野球をしていて、グローブを放り投げたのではないかと思う。