■黒帽子ジャンパー眼鏡の教授
まれに、じっと見入ってしまうほど、異様に眼光がするどい人というのがいる。とくに60代70代くらいの初老の男性。あれはいったいなんなのだろうと、ずっと考えていた。
どうも、自分の利害にぜんぜん関係ないところで真剣に思考している人に多いのではないかと思う。コワいくらいに、まっすぐな眼差し。たとえば、もう亡くなってしまったが、歴史学者の阿部謹也さんはとても眼光がするどかったように思う(もちろんお会いしたことはないのだが)。
不遜を承知で言うが、そういう「きれいな眼をしたおじさん」というのは、近年絶滅危惧種になりつつあるんじゃないだろうか。少なくともギンザアカサカカスミガセキといった界隈には、もうほとんどいなくなってるんじゃないかとすら思う。
私にとって辺見さん、辺見庸という人は、突出してきれいでコワい眼をしたおじさんだった。
少し、話をさかのぼる。
ごく個人的な話で恐縮なのだが、私は以前、大学で辺見庸さんの授業をとっていた。今から10年以上前の話だ。といっても「ゼミで薫陶を受けた」とかではまったくない。確かジャーナリズム論とかだったと思う。壇上の辺見さんは、いつも決まって帽子姿にジャンパー、「なぜ君たちは日本のこんな状態におかれていて怒らないのか」ということを少し苛立ちながら語っていた。
ぼんやりした無気力学生がぎっしりつまった300人教室の中で、私は寝ていたりいなかったり。辺見さんは、誰よりも、本当に誰よりも青く、熱かった。そこに居た学生のほぼ全員が、自分たちの「あまりの青くなさ」「あまりの熱くなさ」に、居心地の悪さを感じていたはずだ。
その頃、校舎の外には、相も変わらず文学部自治会メンバーが立てた看板が立ち、「資本主義粉砕」みたいな文句が書かれていた。私は(お菓子のパッケージに書かれたキャッチコピーみたいだな)と思っていた。
言葉が完全に死んでいる感じ、というのは、今もときどきあるし、誰もが感じていることだと思う。私は、そのスカスカした感じが悲しいとは思っていたが、何が/誰が悪いわけでもないと思っていたーー今でもそう思う。しかし、その「怒れなさ」みたいなものに対する苛立ちはあった。そして、辺見さんはその「怒れなさ」に対して、当時、はっきりと怒っていたように思う。
あるとき、その授業でレポートをほめられたことがあった。毎日が忙しすぎて、そんなレポートを書いたこともすっかり忘れていたのだが……。
辺見先生がその日は珍しく誰かのレポートを読み上げていた。自分のだった。
(え?)と思った。なかば寝ていた私は目が覚めた。
そして、驚きと同時に、大変いたたまれない気持ちになった。
なぜなら、自分が、そのレポートに自分の気分を晴らすためだけに、「辺見さんの学生への苛立ちに対する苛立ち」を込めていたことを思い出したからだ。このことは、今まで誰にも、辺見さんにすら言ってない。非常に稚拙でまわりくどくはあったが、それは23歳の学生の全力を込めた「辺見庸批判」だった。
(勘弁してほしい、最後の就職試験に、自害したいほどの凡ミスで落ちた直後だったのだ)
私はぼんやりしていた。
「これは僕への『返答』になっている」
「本人、名乗り出てください。希望者にコピーするから」
私はしばらく口がきけなかった。
(なんでこの人、こんなに器がデカイんだろう)
(もしかしてアホなんじゃないか)
それが私の嘘いつわりない、そのときの感慨だった。
けれども、辺見さんは、そんなことすらどうでもいい感じだった。
そのとき、私は不思議な感銘を受けた。
初めてニホンオオカミを見たような、というと語弊があるかもしれないが、
こういう人がいるんだ。まだ、いたんだと思った。
私は決して辺見さんのファンではなかったと思う。
けれど、この瞬間に、ファンにならざるをえなかった。
それは決して「ほめられたから」だけじゃないと思う。
(強く問われるとあまり自信がないが……)
辺見さんは、何と言うか、おそろしく「掛け値のない」人だった。
掛け値がないってなんだろう。
うまく言えないのだが、自分の利害で言葉を使っていない。
一切の言葉を、自分を飾ったり、価値あるものとして見せるために使おうとしていない。そういう感じの人のような気がする。
ひるがえって、「ほとんどの人はそうじゃない、少なくとも自分はそうじゃない」ということを、私はそのとき骨身に沁みて感じたのだった。
同じ論理で、辺見さんのエッセイを読むことは、ときとして非常につらいものとなる。自分の中にある「ずるさ」や「空っぽさ」のようなものを、生々しく感じなければいけなくなるからだ。
いったい、どこの世界に、自分のずるさを残らず取り出して見つめたい人がいるだろう。そういう意味で、打たれ弱いタイプの人間が辺見さんの文章を読むことは、ほとんど地獄である。
しかし、それは、とても誠実な地獄なのだった。
■ニホンオオカミの眼
今は、誰かのつぶやきをリツイートするだけで、誰もが自分の思想を手軽に表明することができる時代だ。分厚い本を一冊も読まなくても、いっぱしの思想を持った人間の顔ができてしまう。そして「誰もがジャーナリストの顔をしながら、誰もジャーナリストじゃない」という事態が起きる。どうしたって、起きる。
そういう時代において、辺見さんは、やはりニホンオオカミのように貴重な人なのではないか、と思うのだ。
辺見さんの詩については、変に親しみがありすぎて、どうもうまく言えないのだが、特筆すべきはその「眼」であるように思う。
誰もが見すごしているものを、見ている。
ただじっと見ている。
そして、普通の人が見たら「それは幻肢痛だろう」と思われるような痛みを、たったひとりで引き受けているように思う。
果たして、それは本当に幻肢痛なんだろうか。
私は、疑わしいと思う。
私たちは何かをなくしたときに、もとからなかったふりをするのが異常にうまいからだ。
『生首』には「画角」「顔屋」「讖(しん)」「禍機」の四篇の詩に渡って「さば雲を刺す、赤いマニキュアの女」が出てくる。女は「広場中央で」右手をもち上げ、何かを指し示す。嵐の前のしずけさのような不穏な空気の中に、どこか希望も感じさせる詩群である。
辺見さんは「絶望の人」「絶望的な詩」としてのイメージがあるが、読んでいて、むしろ誰よりも強く希望しているんじゃないかと思うときがある。『たんば色の覚書』のあとがきに「痛みについて──あとがきのかわりに」という名文(※注2)がある。
これは詩ではないが、私は暗唱したいほど素晴らしい希望の詩だと思った。
この三行を持ってして、辺見さんは、稀代の希望の詩人なんじゃないか、と私は思うのである。
※注2辺見庸(へんみ・よう、1944-)について
詩人、作家、ジャーナリスト。共同通信を経て、作家に。1991年、小説『自動起床装置』で第105回芥川賞受賞。1994年、『もの食う人びと』で第16回講談社ノンフィクション賞受賞。2011年、詩集『生首』で第16回中原中也賞受賞。2012年、詩集『眼の海』で第42回高見順賞受賞。近著に『死と滅亡のパンセ』『青い花』『霧の犬 a dog in the fog』など。
福島奈美子(ふくしま・なみこ)
1979年生まれ。編集者。2010年よりフリー。Webや雑誌でインタビュー記事などを手がけるかたわら雑文、エッセイを執筆。
Yuzuko(ゆずこ)
イラストレーター。1981年東京生まれ。2003年明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業後、田代卓事務所に入社。雑誌・書籍・広告を中心に活動中。著書に『かわいい ありがとうの伝えかた』、新刊『1本あれば、絵やメモがもっと楽しい! 赤青えんぴつ イラストBOOK』(ともにメディアファクトリー)ほか多数。