本棚の詩人 第一冊 辻征夫(1)我が家の辻さん 福島奈美子

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 調べたら、辻さんの詩「ほらふき男爵」(『萌えいづる若葉に対峙して』所収)には、確かにこんなくだりがあった。

「(将棋?/むかしはさすらいの勝負師と/いわれたものさ/さあどこからでもやってきな)/ほんとうはひどいヘボだが/相手は長考に沈んでいる/(指さないの? 寝ちゃうよぼくは)/すると相手は遠慮がちに/言ったものさ/あのう… 失礼だけれど… もしかしたら/将棋おぼえたてなんじゃない?/どうもへんなんだなあ」

これが「実話」だと思ってほしい。どうもへんなんだなあ、のくだりでどうしても笑ってしまわないだろうか。いや、もしかしたら、すべてはフィクションなのかもしれないが。

−−会社で普通に接しているときは、偉い詩人という感じはしないんだよね。なんていうか、ぬぼーっとしているし(笑)、喋り方もぼそぼそっとしていたしね。でも、すごくいい詩を書く。難しくないけどいい詩を書く。すごいなあと思っていた。

 義父の話をいろいろと総合すると、仕事をバリバリやる熱血タイプではなかったようだ。「まあ、私もそうではなかったんだけどね」と義父は笑う。辻さんは、もちろん業務は真面目にされていたはずだ。しかし、ときどき人がやらない“うっかり”な失敗をやらかす人でもあったらしい(このあたり他人とは思えない)。しかし「またですかー辻さん」と言われつつも、周囲にそういうキャラクターとして愛されていたという。

 人徳というべきか、「まあ詩人だし」みたいなことがあったのか。
 そう言うと、全国の詩人が怒るかもしれないが……。

−−よく覚えているのは、昔、会社の書類に押す氏名のゴム印が入った箱があったんだ。社員全員分のハンコが何百個と詰まった整理棚みたいなものだね。辻さんが、あるときそれをガシャーンと引っくり返しちゃったんだよね。それで、どこにどのゴム印が入るのか、全部分からなくなってしまって……。普段、そんなに動じない辻さんも、そのときは「あわわわ」となっていた(笑)。でも、担当の係の女性がすかさず「大丈夫よ辻さん、私が片付けておきますから」なんて言ってね、フォローしていた。母性本能をくすぐるタイプというのかな、辻さんは……。

−−会社に入って間もない頃、辻さんは職場の先輩に「僕の先祖は公家で、本当は辻征夫じゃなくて、辻小路(つじのこうじ)征麿(ゆきまろ)と言うんです」なんて言い出してね(笑)。そういうとぼけたジョークを言う人だったなあ。それで、そばに居た沢田さんという同僚が「僕は外国人二世で、本当はジミー沢田と言います」と言い出し、そのあとふたりは「ユキマロ」「ジミー」とずっと呼ばれ続けていたね。(※1)

 有名な詩人の辻さんが「ユキマロ」である。
 おかしいし、何だかうれしい。義父の話に出てくる辻さんは、紙の上の偉大な詩人ではなく、まるで普通の……というと大変失礼だが、ジョークが大好きな愛すべき下町のおじさんなのだった。「悲愴な顔つきで結婚もせず、酒に溺れながら絶えず難しいことを考えているに違いない」といった私の偏見に満ちた詩人イメージが粉々になっていくのがうれしかった。あとは、こんなエピソードもあった。



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本棚の詩人

福島奈美子

第一冊「辻征夫」

1 我が家の辻さん

2 川辺の辻さん

第二冊「辺見庸」

するどい眼の人が書く詩『生首』辺見庸