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辻征夫『私の現代詩入門 むずかしくない詩の話』

(思潮社、2005年1月1日発行)


本棚の手の届くところに置いておいて、
(たいていは並べてある本の上にぽんと置いて)
気が向いたときに読む、詩の入門書が二冊あります。

一冊が茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)、
もう一冊がこの、辻征夫の『私の現代詩入門』。

どちらかというと茨木さんの本のほうは、
詩を大切に読みたいときに。

辻さんのこの本は、じぶんが詩を書いていて、
ぐっとくじけそうなときに(主に夜に)そっと開いて、じっと読みます。

そこに書かれてあるのは、
石川啄木、萩原朔太郎、三好達治、中原中也、立原道造、
金子光晴、草野心平、菅原克己、清岡卓行、谷川俊太郎……
という詩人たちのことです。

どんな詩人で、何をしてきたか、
どんな詩を書いて、それがどんな意味を持つか、

分かりやすく語られていきますが、それだけではありません。

詩に思い悩んで、ぐらっと落ち込んでいるとき、
支えられるような励ましを何度となく、この本からもらいました。

ページの端を小さく折って、
たびたび読み返しているところを引用します。

以後、三好達治は現代詩の潮流とは別の、独自の道を歩いて生涯を終るのだが、孤立者が弱く、大勢で歩く者が豊かな実りをもたらすとは、まったくいえないのが文芸の世界の常識である。
(「一羽とぶ鳥──三好達治」)

出発にあたってすでに完成し、いうべきことはいいつくしていると作者自身にも感じられること、あるいはそういう地点にしか出発はありえないということ、詩という文芸のむずかしさはここにもあると思うのだが、
(同)

単に「詩が好きだ」という所から歩みはじめた一人の青年が、我知らずこの流れのなかに歩み入ってしまうとき、(中略)彼は一個人の記憶と経験のみならず、さまざまな者の、記憶と経験によって書く存在となるのではなかろうか。
(「立原道造という装置」)

詩の面白いところ、あるいは不思議なところは、まるで随想を書くような発想で、またそういうような書き方で書いた詩が、決しておじや(この比喩は嫌いだとさっきもいいましたが)のようには見えないものがある。ただ行を分けただけの雑文には見えないものがあるということです。
(「菅原克己さんのこと」)

文/編集子

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