今、詩歌は葛藤する 46
〜『愛情69』、金子光晴その16〜
竹内敏喜
一九六八年に刊行された『愛情69』は、松本亮が「金子光晴のやさしく苦い粋なこころの精髄だと私は思う。彫啄をきわめた日本語の照りとありとある人間、ことに女へのいたわりにみちた行間には薫香がこめられ、美しい」と全集の後記で語るように、詩の職人としての技の冴えに満ちた詩集だといえよう。著者はその「跋」で、「うたよみは、じぶんのこころをうたふものとばかりはきまらない」と述べており、この作品集が工芸品的に受け取られることを肯定していたとも思われる。あわせて、「跋」の最後に、古今和歌集の假名序を揶揄した「うたよみはへたこそよけれあめつちの/うごきだしては、たまるものかは、」という歌まで添えられているところをみると、正統的な詩歌の歴史に則っているとの自負や、自分らしさを達成できた喜びが、晴れ晴れと表現されていると感じられる。
今回は、詩集のこうした性格を鑑み、作品紹介を主眼にして数篇を書き写し、簡単な感想を付すにとどめたい。まず、詩人観に軽くふれた「愛情18」を引く。
中学生の頃、なぜか詩人といふと
おかまのやうなものとおもつてゐた。
だから詩人扱ひされると、今でも、
「詩人ぢやないよ」とむきになる。
とりわけ、耄碌した老詩人など、
屑やさんでも、秤にかけてはくれぬ。
それに詩人は甘えん坊で、変水くさく
「客者評判記」の自惚子のやうだ。
だが、芯は正直で、気がいい奴で、
鹽(しお)をまいて帰しもならぬ厄介な奴だ。
詩人と称されることに恥じらいをおぼえる理由は、いくつか考えられる。近代以降の社会状況を前提にして、思いつくままに並べるなら、青年特有の自己愛にみえること、利己的な内容になりがちなこと、ときに自己表現が赤裸々になること、言い回しのかっこよさに陶酔しやすいこと、実際的な社会貢献がみられないこと、などをすぐさま挙げられる。もちろん、これらは外部から眺めたときの否定的な指摘であり、同様にこれらを自覚している詩人であれば、作品の仕上げの段階で、その痕跡を消すのは難しいことではない。
作品「愛情18」では、詩人とは「おかまのやうなもの」と思っていたと、その特質への批判的なまなざしによって始められている。しかし現実には、彼は詩を書き続け、さまざまな詩人とのつきあいを経験しただけに、「だが、芯は正直で、気がいい奴で、/鹽をまいて帰しもならぬ厄介な奴だ。」と作品を締めくくっている。これは、自己愛、利己性、赤裸々といった傾向を、正直さという一語によって、好意的にいい直したともみえるが、要するに、厄介を引き受ける覚悟でつきあえば、おもしろい相手だということらしい。
あるいは、この覚悟の感覚こそ、詩歌という世界を支えてきた柱なのだろうか。この覚悟を楽しめる器の大きな人物がいたことで、どんな時代であっても、本物の詩歌が伝えられてきたと考えられないこともない。当然ながら、書き残されていたり、印刷物が存在するからといって、詩歌という世界が成立しているわけではないのである。こうした観点からみると、近代以前の社会状況において、仮に詩作が社交上の儀礼のひとつであったとしても、優れた詩人が、暴君、道化、詐欺師、世捨人に容易になり得たことは、疑いなく想像できよう。この傾向は、光晴の人物像にもぴったり当てはまる。その意味で、本物の詩人なら、個性の充実とともに共同生活の場である社会への違和感がふくらみ、それが作中の言葉の表裏にあらわれるのはしかたがないようだ。そして彼の作品が多様な解釈をされるなか、社会の恐ろしさを知り、おのれの非力さを知って、恐怖や恥の感覚を学びながら、自己愛、利己性、赤裸々というものを、現実への鍵として成長させるのかもしれない。
次に、「愛情20 ——M・A嬢に」をみてみたい。
四六時中、僕は
くたびれてゐます。
よごれた手を拭かないで
さはつてもかまはぬ女たちよ。
このくたびれは、
五十年来だよ。
尻にさはつても格別平気で、
女は、ただ、僕をふり返り、
海豚のやうな眼で
にやりとみるだけだ。
その足うらで煙草をもみ消したつて、
熱がるやうなやうすもない。
君のやうな女が、きつと
僕には、相性なのだ。
とりわけ、とりわけ、
このごろのくたびれかたでは、
神経ではりはりしたお嬢さんなど
お茶一ぱいのつきあひも、命がちぢむ。
語り手は、「このくたびれは、/五十年来だよ。」とつぶやく。年老いてからの「くたびれ」は、以前の「疲れ」のように張りのあるものとは違う。換言するなら、「およそ、疲労より美しい感覚はない。」といった美しさはもはや求められておらず、逆に「よごれた手を拭かないで/さはつてもかまはぬ女たち」が目の前にいることに、安心感を得ている。ついには、「君のやうな女が、きつと/僕には、相性なのだ。」という感慨を見出したことに、一種の満足をおぼえているようでもある。
とはいえ、作品の末尾をみれば、「神経ではりはりしたお嬢さんなど/お茶一ぱいのつきあひも、命がちぢむ。」と、若さのかもし出す誘惑に逆説的に言及しており、相性のよい目前の相手への言い訳でありながら、「神経ではりはりしたお嬢さん」の魅力が忘れられないことを、自分に確認しているようだ。そうではあるが、ここで連想させられるのは、老後を共に過ごす妻の三千代と、若い頃の邁進する三千代の面影だと思われてしかたない。
つづいて、「愛情59」を挙げる。
姫胡蝶花(ひめしやが)のやうなお嬢さんが
ニッケイをしかみながら、言つた。
——なにか、御用?
おつしやつてもかまはないのよ。
僕は、だまつてゐた。
愛情へは、手をふれないで、
大切な手荷物のやうに
目のまえにそつと置いたまま、
たいていの人生を、僕は、
そんなふうにしてやり過した。
みすみす逃げてゆく機会を、
引止めないことでじぶんを豊かにした。
お嬢さんがたがみんな去つて、
嫁いだり、老いたりしたあとでも
心にのこるおもかげだけが、
よごれず、うすれず、匂失せないために。
この作品も、光晴の告白として受け取るなら、「愛情へは、手をふれないで、/大切な手荷物のやうに/目のまえにそつと置いたまま、」といった態度は、妻の三千代が病に倒れてからの彼の晩年における飄々としたスタイルとは、必ずしも一致しない。また、若いころの経験だとしても、ごく数回の特殊な出会いの例を過大視して述べられている気がする。他方、愛情に手をふれなかった理由として、「心にのこるおもかげだけが、/よごれず、うすれず、匂失せないために。」と捉えられるためには、純粋な心が残っていなければ嘘になるだろう。嘘でもかまわないのが文学だが、かつての自分の心のあり様を回想しながら、いくらか純化しているのは間違いなさそうだ。これらをふまえると、特別な出会いの際に知った感覚を、普遍的なものへと浄化し、文学的な価値として高めていると思われる。
ただしここでは、「たいていの人生を、僕は、/そんなふうにしてやり過した。/みすみす逃げてゆく機会を、/引止めないことでじぶんを豊かにした。」とも書かれており、心の純粋さを保ち、その忍耐強さを自覚することで自分を豊かにできたと、今でも信じているとの思いが告げられているようだ。こちらを中心にしてみれば、老い方のひとつとして評価しているという見極めにつながる。いずれにせよ、作品の冒頭、お嬢さんから「なにか、御用?/おつしやつてもかまはないのよ。」と話しかけられるシーンを描くことは、それだけで願望によるシチュエーションに近いだろう。以上のように辿ると、全体が理想的に組み立てられているとみえるが、だからといって詩の価値を下げてはいないと考えたい。
最後に「愛情68」を引用する。
みちみち、帯がほどけてきたり
紐がゆるんで 猿又がずりおちたり
いまいましいが、どうにもならぬ、
そんななりゆきがよくあるものだが、
たとへばさ。はじめての約束が、大雨だつたり
くるまが混んで媾曳にまにあはなかつたり
相性か、方角か、それとももののたたりか、
うつかり、はやまつて結婚などと口を辷らせてみたり。
へまと悲運と不器用と
理由はいろいろあげられるが
いちばんいけないのは正直なこと。
その正直にじぶんで気づかないこと。
この作品ではおそらく、第一連で、老いゆえにヘマばかりしている日常を、第二連で、天運のめぐりが悪くて起こる異性関係におけるあせりを、そして第三連では、「いちばんいけないのは正直なこと。/その正直にじぶんで気づかないこと。」のように、社会生活がうまくいかないのは演技者としての才能がないから、といった主張がなされている。確かに振り返ると、自分の正直さが原因となり、生活上の失敗をまねくことは少なくない。また、その失敗を通して、おのれの正直さの一面に気づくことも多いだろう。
あわせて、詩人は「芯は正直で、気がいい奴」とされていた作品「愛情18」の内容を重ねれば、彼の個性の充実とともに社会への不満がふくらんだとしても、そのことに向き合えるのは自分に自信があるときであって、自信を喪失したときには「へまと悲運と不器用」な無力さに嫌悪を感じるしかないと、自己を客観視し、述べている気がする。
それにしても、たった四篇の小品を手短に論じるだけで、これほどに人生観の深みがにじみ出てくるのは、大変なことではないか。一見、理屈っぽい言葉が羅列されている作品集にみえるかもしれないが、ほんのちょっと作者の立場をふまえると、魔法のように意味の奥行きへと扉が開いていく。しかも、作者の思い出のなかの特別な出会いにおける感覚を、普遍的なものへと浄化するために必要な表現力に満ちており、指摘するまでもないけれど、この過不足ない造形力こそ、詩人としてなにより大事だといっておきたい。
ところで秋山清は、田村隆一、飯島耕一との討議のなかで「東西古今の知識を持ってくることで一つのことに歴史性を与え、世界的な視野も出てくる。つまり、それが金子の詩の大きさで、だから、比喩、あるいはレトリック以外の方法はとれなかった、晩年は。でき上がってしまったから。『なんだ、あいかわらずたとえ話ばかりやっとるじゃないか』なんて言うと、『これでいいさ』と言ってましたけど、つまりは自信をもってたんです。つっこんでズバリとモノの急所をつくという、そういう方法ではなかった」と語っている。この見方は間違いではないだろうが、小学生時代を京都で過ごした光晴からすると、「ズバリとモノの急所をつく」ことは野暮ったく感じられたはずで、必然的に「たとえ話」の語り方の進化を目指したと考えられる。それは言葉というものの性質上、二つの方法意識へと分かれ、『人間の悲劇』のような長大な自伝的散文化と、『愛情69』のような小粒な虚構的工芸品に至ったのではないか。いずれも、歴史性が与えられ、世界的な視野を持つ、たとえ話である。この方法を維持するためにも、光晴は自我の大切さをますます学び、それを普遍的な表現へ高めようと、自信をコントロールする努力をしていたと想像される。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)