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今、詩歌は葛藤する 42
〜『水勢』、金子光晴その12〜

竹内敏喜

 金子光晴の詩集にふれたこの一連の論考では、任意にキーワードを定めたり、さまざまな仮説を立てたうえで、自由詩に向き合う詩人の心情などを想像してきた。そのため、ある推定により、なんらかの解釈へとつじつまが合ったとしても、それは社会学的にひとつのケースを示したにすぎず、詩人像として観念化していたことになるだろう。この点において、筆者の光晴論は実証性が薄く、空想の産物でしかないといえる。
 逆にみれば、詩人像に観念化することで探求しやすくなるのが、詩集という作品形式とも考えられる。これは、作者の人となりを知っていれば作品が読み解きやすくなるのと、同様の現象だろう。書き手は、自分の気持ちに忠実に言葉を綴りつつ、緊張感を増そうとして詩的テクニックを利用した瞬間、言葉同士が予想もしなかった関係性の波紋を広げるので、その全体をまとまりにおいて見届けようと、言葉と言葉の衝突を整えるのが通例である。詩歌ではレトリックそのものが個性になるという意味では、あるタイプの詩人を演じることに等しく、たとえ多くの詩人のタイプを演じ分けて作品集を成立させても、詩人像として観念化できることに違いはない。だからといって、詩人を演じずに正直さだけで書いたなら、素人作品と見做されてしまうだろう。また、天才と呼ばれる書き手では、結果的に詩人を演じることに徹底したため、他者との日常のコミュニケーションに支障をきたしがちになると、みることもできる。だが、おもしろいことに、天才の作品は、技法を使いこなす職業作家の洗練された作品より、素人による振幅力ある作品に似ている。以上から、詩人の真似をすれば、だれにでも詩が作れるという論理が導かれないこともないが、どちらかというと、本物の詩人だけが人々の心に訴える作品をうみだし、やがて生前の作者の個性がわからなくなるとともに、詩人らしい詩人にみえてくるのが実状であろう。
 さて、『女たちへのエレジー』にふれた際、「もはや清純なものではなくなった自分にとって、最善なのは『かへらない』ことだ。さまよい続けることは、天国というよりは地獄の感覚につながり、いわば、文明という明るさのないさびしさを放浪することかもしれない。そのとき光晴は、対象としての『女』を本当の意味で見出したのだろう。それは、『ゆれ』『海』『疲れ』『世界』が渾然一体となった魔界であった」とまとめた。詩人は、女を生身で実在するものとして認知し、その現実性に何かを期待しているようでもあるから、ちょっとした理想像が生まれていたと考えられなくもない。一方、『非情』にふれたときには、「たいていの者が疑うことなく頼っている、この平凡な方法を自覚し、真剣に取り組むことで、それまで積み上げてきた価値観の表と裏が似ていると気づくことだってあるだろう。例えば、鬼はキリストに成り代わり、どんな女にも歴史上の女傑の表情が浮かび上がって見えてもおかしくはない。これは、大いなる発見だったのではないか。そして光晴にとっては、実際には失敗ばかりだっただけに、もっとも活躍したかった場所として、恋愛の場面がそびえることになっただろう」と分析した。これら二つの見解を重ねると、詩人が自分にとっての新しい女性像を求めていたことが、それとなく導かれよう。
 長年の妻である三千代は、今では彼にとって親友であり、宿敵であり、いわば母親のような存在になっていたと思われる。だからこそ逆に、自分の力で見守り保護できるような女性を得たかったのだろう。この点において若く美貌の令子の出現は、詩人にとって天啓だったとみることができる。ところが、求めていた存在が実際に現れ、つき合うようになると、収入も一定しない老いのはじまりにいる光晴には、おのれの非力さが明確になってきたはずだ。彼はこのとき、世界からの圧迫を感じたのではないか。その影響として、ある種の刺激に、非常に敏感に反応したのだろう。令子の回想では、彼は「ケチ」といわれることを極端に嫌い、その言葉を口にしてしまって、大変なさわぎに巻き込まれたことがあったらしい。それは、怒りをあらわにした光晴が「すぐ戻る」と出かけ、どこかでお金を用意し、戻ってくるなり銀座に連れられ、高級店で一流の品物ばかりを彼女が抱え切れなくなるまで買い物したという出来事だ。帰りのタクシーでは、運転手が驚くほどたくさんの品物が積まれたが、降りる際、彼の懐にはチップ代も残っていなかったのである。
 ここでまず、彼が世界から感じはじめた圧力こそ、『水勢』(一九五六)の源になったのではないかと提案してみたい。さきほど、二つの見解を重ね、光晴が自分にとっての新しい女性像を求めていたと仮定したが、そうした存在が実際に現れ、おのれの非力さが明確になるほどに、彼は世界の歩みとのズレを知ったにちがいない。同時に、無意識のうちに、迷いない女たちの姿に卑下する気持ちも芽生えたのではないか。迷いない女とは、詩人にとって、「ゆれ」「海」「疲れ」「世界」が渾然一体となった魔界であり、歴史上の女傑の表情が浮かび上がって見えさえする、生の力そのものとしての存在だといえる。まさに、『水勢』に登場する女レスラーのイメージに通じよう。この力は、地上のものを何もかも押し流すほどだが、彼はその事態に戸惑っているようにも思われる。
 このとき光晴は、自分の世界観を広げようとして何かに取り組んだのだろうか。現代社会について学ぶ努力をするしかないわけだから、目についたのは、相対性理論や量子論といった人類の科学的な成果だったとしてもおかしくない。この判断にはなんの根拠もないけれど、時勢的に、一九四九年一一月に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞、一九五四年三月に第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被災、一九五五年八月に広島で第一回原水爆禁止世界大会が開かれるなど、科学的な話題が身近になっていたころである。そういえば、彼の他の詩集に比べ、『水勢』には宗教的な言及がほとんどない。悪や罪といったテーマに関しては、女のために銀行強盗をして三人射殺した犯罪者が出てくるものの、語り手はその心情に共感できるとして批判的でなく、ただ、法に照らして裁判官が犯罪者を裁くだけだとしている。こうした見方は、作者の求める誠実さとは必ずしも一致していない。もしかすると、詩人には現状に対する違和感がありながら、抵抗する方法がわからないため、常識を確認しつつ、とにかく自己の非力さに耐えるしかなかったのかもしれない。
 そのような気分は、『水勢』の「跋」にも表現されている。「この詩は、僕の遍歴なのだ。しかも、要なき努力の遍歴で、世界を亡ぼす水の音、勿論、僕の自我も泥にかへすためのその下心をきくために他ならない」、「仕事の上の失敗はせんかたないことだし、愛されないこともしかたがないが、この詩にはもつと大きな缺點がある。作者に書くことのむなしさを、はつきりさせたことである。萬巻の書と、それに憑かれることのむなしさをも」と記されている。この「むなしさ」は、突きつめれば人を信用できないことに起因していよう。終戦から月日が経つにつれ、文学を通して人生の真理を求める傾向は一部で深まるとともに全体では失われていき、科学的に確実だと証明されたものだけに価値をおく雰囲気が一般化していく。科学に基づいた発明のおかげで人々の生活は急激に変化し、日々の作業が楽になるだけでなく、余暇の遊びの種類も増える。しかしそれは、出来事の表面にすぎない。実際のところ、科学の進展により人類が得たものとは、何だったのか。
 例えば、W・ハイゼンベルクの『現代物理学の思想』(一九五八)には、次の一節がみつかる。それまでの世界観が一変するような体験の見本として、引いてみたい。
 「『物自体』というのは、原子物理学者にとっては(とにかくこの概念を使うとすれば)結局は数学的構造であるが、しかしこの構造は(カントとは反対に)間接に経験から導き出されたものである。カント流のアプリオリは、この解釈の仕直しによると、それが非常に遠い過去に人間の精神の発達を通して形成されたものだという意味において間接的に経験と連結しているのである。この議論によって、生物学者ローレンツは『アプリオリ』の概念を、動物において『遺伝されるまたは生れつきの機構』と呼ばれる行動の形式と比較したことがあった。事実、或る種の原始的な動物にとっての空間と時間は、カントが空間と時間の我々の『純粋直観』と呼んだものと、ちがっていることは全くありそうなことである。この純粋直観は『人間』という種に属するもので、人間に独立な世界に属するものではないであろう、しかしこのアプリオリの生物学的な説明にしたがって行くと、多分あまりにも仮説的な議論に立ち入ることになる。ここに述べたのは、ただカントの『アプリオリ』と結びつけて、『相対的真理』という語が、どういうふうに解釈できるかを示す例として、挙げただけである」。
 そして、いつになっても人類は、純粋理性によって絶対的な真理に到達することはできないだろうけれど、概念のお互いの間の関連という点では、はっきり定義されることはある、と続けている。つまり、「概念が公理と定義との体系の一部となり、この体系が数式で首尾一貫したものとして表わされる場合、事実そうなっている。このような互に関連する一群の概念は広い分野の経験に適用できるであろうし、この分野において我々の道を開いていく助けとなるであろう」としている。
 こうした観点を真似て詩歌の特色を捉え直すなら、一詩篇とは、概念が空想的な体系の一部となり、その体系が首尾一貫したものとして感受される場合に、一群の概念が広い分野の経験に適用されることで、寓意的なものと見做されるといえる。蛇足として、個々の概念は絶対的な真理そのものではなく、一群の概念という関係性のなかで、読み手の心に経験をふまえた意味を発生させると、つけ加えられよう。そのため、詩歌が目指す方向としては、仕上げられた作品が、カントのいう「物自体」の位置と同等になり、一種の絶対性を備えることであった。ここまでは近代以降の詩歌の常識だろう。
 しかし物理学において「相対的真理」の構造がみつかり、ニュートンによる「物質の安定性を前提とした法則」や、カント流の「アプリオリ」が成立するのは、ほんの小さな世界観のうちでしかないことがわかったのである。にもかかわらず詩歌表現は、モダニズムと称し、時空の均質性を前提に記号としての言葉の性質に固執していった気がしてならない。これを、「物自体」を信仰する行為だとみるなら、相対的真理の方法には向かわずに、自己防衛として慣習的な方法に執着していったと受け取れないこともない。あるいはその流れに抵抗し、前近代的なナショナリズムに進んだ詩人も少なくないだろう。だが、質量とエネルギーは同等であるとし、観測者と対象との距離(空間)によって、観測における両者の時計速度(時間)は等しくならないと比喩的にまとめられる相対的真理の方法を、リアルさを志向する詩歌表現が無視してよいのだろうか。ましてや、ニュートンの科学的成果は日常的に理解できるが実際には抽象的であり、アインシュタインの科学的成果は非日常的で理解しにくいが、現実の現象に即していることが証明されているのである。

 この人生のことを僕はなにもおぼえてゐない。
 それは、雨のせゐだ。
一滴、一滴が僕をねむらせ、
おぼえてゐないでいいといふ。

 甍をつたつて降りてきた雨は、
しやべくりながら窓下を通る。
つれ立つてゐるのは
誰だらう? なんの話だらう。

 しやべつても、しやべつても
人生には盡きない話がある。
だが、しやべつたあとでは
たいがいの話は、忘れた方がいい。

 そして、みんな忘れたあとでも
人生は、まだ、つづいてゐる。
どの窓にも、雨がふり
どの耳も雨をきいてゐる。

 水のうへをさまよふものの
骨まで濡らさうとして
ひたひた裸足の音をさせて
雨は、どこまでもついてくる。

 作品「雨の唄」を挙げた。詩集の冒頭近くに掲載されているこの詩を読むと、作者は世界に対して、何もかも投げ出しているとみえる。また、「水のうへをさまよふものの/骨まで濡らさうとして/ひたひた裸足の音をさせて/雨は、どこまでもついてくる。」の一節に注目するなら、荒々しくはないが、「雨」は人々に忘却をせまる不気味な幽霊とも感じられる。それにしても、降り続く「雨」は現実の現象として、語り手をやさしく包むもののように提示されている。それは、詩集の半ばから登場する、津波にも似た「水勢」のイメージをまとう女レスラーとはまるで反対だ。この両者のぶつかり、あるいは「世界を亡ぼす水の音」が前面に出てくるという展開が、詩集の要所になっているわけだが、今回の考察で辿ってきたように、社会変化に適応できない自己の非力さと、迷いない女の生の力そのものへの違和感が、それぞれに対応していると想定するなら、何がみえてくるだろうか。意外なことに、詩人にとって、女とは敵そのものだったという結論があらわれるのではないか。換言すると、作者は詩集の意図として「水」の「下心をきくため」と説明しているけれど、敵の正体を知りたいとの熱意以上に、その行為によって社会に対する恨みを晴らそうとの気持ちがあっただろう。しかし敵の正体が、実は自分の求めてやまない女だったと知ったとき、光晴は判断を停止せざるを得なくなったと思われる。
 確かに彼の持論には、女性詩人は分裂病的だとの本音があったのは事実で、女は何もしなくてもその存在だけで芸術になれると、常に語っている。そのため、はからずも彼が人生をかけることになった自由詩の世界に、女の書き手はそぐわないとの気持ちが、なかったとはいいきれない。このあたりにも、女という存在への好悪を含んだ葛藤が探れるような気がする。だが、この心境に至ることで、対象としての女との距離感が、むしろ定まったはずだ。後の『若葉のうた』『愛情69』の達成に、その証明をみるべきだろう。
 いずれにせよ、この詩集の時点では、社会状況に適応できないことで、思い出にひたりたいとの様子もみられるが、不幸なことに、彼には忘れたい過去が多すぎたようだ。「そして、みんな忘れたあとでも/人生は、まだ、つづいてゐる。/どの窓にも、雨がふり/どの耳も雨をきいてゐる。」、これほど実感のこもった詩句は、自由詩の歴史のなかでも稀である。ここには、詩人の到達した世界観があらわれていよう。それは、無為の永遠性という生の姿だろうか。おおげさにみれば、こうした自然現象としての雨の描かれ方は、相対的真理の方法に類似している気もする。観測者(詩人、女など)と対象(雨)との距離により、観測(愛情)における両者の時計速度(誠実さ)は等しくならないとは、だれもが考えつく遊びだけれど、文学を通して人生の真理を求めようとして、もっとも現代的な科学による見方に、光晴は知らずして近づいていったと思われてならない。

(二〇一八年四月三日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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