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今、詩歌は葛藤する 40
〜『人間の悲劇』、金子光晴その10〜

竹内敏喜

 『人間の悲劇』(一九五二)には、散文的文章に行分け自由詩を織り交ぜた息の長い作品が一〇篇並んでいる。それらはテーマごとにまとめられた連作として、全体でひとつの詩作品になっている一方、個々の自由詩にはタイトルが付されているものと、ないものがある。詩集の「序」をみると、「僕は、じぶんのヒフと、どこまでもつづくそのヒフのつながりを——移住者やキリストのヒフまで溯って、ヒフをくぐる水泡についてひびわれについて観察したかったまでだ。それは僕が今日まで生きてきた素材で造りあげた一つの土臺で、さらに生きつづけるためか、死のためかしらないが、ともかく今までとは別なもののための『用意』にほかならないのだ。肉體は、それに條件を與へてゐる一遊星の悲劇を背負ったものだ。精神にいたっては悲劇以上だ」とあり、終戦後の三年間をたっぷりと使ってこの作品を書きまとめながら、詩人には、人間が見え過ぎてしまったとの感覚があったらしい。それは、彼の弟子の証言でも残されている。
 見え過ぎるとはどういうことか。例えば柄谷行人は、「言葉と悲劇」(一九八五年五月の講演)で、おおよそ次のように述べている。悲劇を悲劇たらしめているのは、構造ではなく、繰り返すことのできない一回性であり、悲劇の悲劇性は、それが反復しうる構造ではないものに直面していることにある。それを歴史と呼んでもいいが、いわゆる歴史ではなく、構造や理念に回収されないような、いわばその外部としての出来事である。悲劇においては、「運命と自由」という問題が扱われる。これは「構造と主体」とは違う。悲劇において運命とは、構造の外部にあり、構造に回収しえないものだ。このような運命は、自由に対立するのではなく、自由においてのみ見出される。つまり「運命と自由」は解決されるべき矛盾なのではなく、そのなかにおいて生きられ、かつ思考されねばならないような人間の条件に触れている。そして悲劇のテクストは、いつも悲劇がコミュニケーションの錯誤にあることを告げている。言葉の両義性がコミュニケーションにおいてあり、それが不可避的に悲惨な結果に終わることが大事なのであって、悲劇が認識であるということは、そのような人間の条件を見出すことにほかならない。
 こうした本質的な認識を学ぶことはとても大切であり、確かにこの認識も「見え過ぎる」人物によるものだと判断できるけれど、この理解を前提にして対象に向き合ったなら、作品をいわゆる悲劇として構造的にみることに通じてしまうだろう。それこそ、テーマごとに作者の思想を解説し、それぞれを悲劇的なものと見做して脚色するような読みは、詩とはまったくかかわりのない結果になってしまう。読者として、まず、するべきことは、「言葉の両義性がコミュニケーションにおいてあり、それが不可避的に悲惨な結果に終わる」ということを、読書という経験において、絶対的に味わうことかもしれない。おそらく作者本人は、自己の体験や認識によって人間の悲劇を描こうとしたはずだが、出来上がったものをみて、自分の生き方の不自由さの証明でしかないことに気づいたとも思われる。それは、一人の詩人がその運命のなか、常に他人に誤解されながら、さらには自分をも騙しながら生き抜いてきたという一回性を、人間の条件としてみつめ直すことに通じる。そのうえで彼にとって自由とは何だったのか、感じ取らなければならない。
 あわせて、一冊全体でひとつの作品であるという観点からすれば、「じぶんのヒフと、どこまでもつづくそのヒフのつながりを…観察したかったまでだ」との指摘で、詩集の特質をいい尽くせる気もする。自分の自我が何に由来するのか、人間という大きな視点によって、もう一度確かめたかったのだと考えられないこともない。ただし、前回の末尾に記した「宇宙は反射的に彼を裁くだろう。その原因である、この『我』とは何なのか。仮説を挙げるなら、それは、宇宙自体の不完全性のあらわれではないか。つまり宇宙の存在を証明するには、鬼が必要だ」といった意識から逃れられなくなって、詩人は悪びれることなく、鬼の立場を選んでいたともいえる。少なくとも、依頼があって書かれた彼のおびただしいエッセイのいたるところに、正統的なものへの不信や嫌悪、自然は退屈だとの意見が表明されており、それも「見え過ぎる」の一面だと解釈できよう。ともかく戦後以降の彼は、お客へのサービス精神と、天の邪鬼な自我を、絶妙にからめて演じていたようだ。
 そうすると当然のことながら、光晴は自我の自由を求めていただけに、彼のこうむった悲劇の感覚は、結果的に「言葉の両義性」が充実する表現の細部に刻まれていったはずだ。つまり、個々の自由詩をていねいに読むことが、彼の求めた自由のイメージへの近道なのだろう。そのように仮定し、今回は、技巧的にも特に優れていると思われる二篇を取り上げ、それぞれに内容を辿り、後に両者の共通点についても探ってみたい。なお、一つ目は「ぱんぱんの歌」のなかの作品だが、タイトルはつけられていない。

ぱんぱんが大きな欠伸をする。
赤の0
0のなかはくらやみ、
血の透いてゐる肉紅の闇。

彼女の雀斑の黄肌と
すりむけたひざ、
人がふりかへり
目ひき、袖ひきするなかで、

ぱんぱんはそばの誰彼を
食ってしまひさうな欠伸をする。
この欠伸ほどふかい穴を
日本では、みたことがない。

くだくだしい論議や、
戦争犯罪やリベラリズムまで、
この欠伸のなかへぶちこんでも
がさがさだ。まだがさがさだ。

 このあっけらかんとした作品には、余計な詮索などなしに、痛快と叫びたくなるほどの見事さを感じる。語り手の説明によると、「ぱんぱん」とは「よごれた茜木綿の風呂敷で臀を巻き、血肝のやうに唇をぬりたくり、髪を黄に染めてわっとちぢらせ、できもののあとだらけな、ふといがに股足に、男のちび下駄をひきずり、怖れ気もなく、颯爽と、こまかい神経や、外聞や、けちくさい良識などを、やけあとの空鑵や、石ころといっしょに蹴っくりかへして、闊歩」する「ただ一つだけ喝采を送るに値したこの時代の花形」であり、主にアメリカ兵を相手にする街頭の売笑婦であった。彼女らの欠伸する大きな口を「0」に見立て、「この欠伸ほどふかい穴を/日本では、みたことがない。」と断言し、「くだくだしい論議や、/戦争犯罪やリベラリズムまで、/この欠伸のなかへぶちこんでも/がさがさだ。まだがさがさだ。」と展開されるとき、彼女たちに寄せる作者のいとしげな気持ちがひしひしと伝わってくる。それは、魔の物としての女のリアルさを、最大限に描き切っているだけでなく、女の性のなかに自分と同様の鬼を見出しているようだ。もちろん、その突発的な鬼たちは、おもての社会では無力な存在でしかない。しかし、本物の「0」を備えたものに気づき、その深さを知ることは、悲劇を認識することだといえる。  次に「くらげの唄」を引用する。

ゆられ、ゆられ
もまれもまれて
そのうちに、僕は
こんなに透きとほってきた。

だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。

外からも透いてみえるだろ。ほら。
僕の消化器のなかには
毛の禿(ち)びた歯刷子が一本、
それに、黄ろい水が少量。

心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
波がさらっていった。

僕? 僕とはね、
からっぽのことなのさ。
からっぽが波にゆられ、
また、波にゆりかへされ。

しをれたかとおもふと、
ふぢむらさきにひらき、
夜は、夜で
ランプをともし。

いや、ゆられてゐるのは、ほんたうは
からだを失くしたこころだけなんだ。
こころをつつんでゐた
うすいオブラートなのだ。

いやいや、こんなにからっぽになるまで
ゆられ、ゆられ
もまれ、もまれた苦しさの
疲れの影にすぎないのだ!

 この作品は、彼の自己認識の頂点とも捉えられる内容を示していよう。論理的にみれば、比喩的な引き算の繰り返しともみえるが、「ゆられ、ゆられ」の感覚が最後まで持続していることで、なんともいえない倦怠感を読み手の身体に広げてくるのが、衝撃的だ。ここで再度、「ゆれ」「海」「疲れ」「世界」といったキーワードのニュアンスを確認すると、「水の流浪」時点で、「『ゆれ』は『美しい感覚』へと至るべきものとして、『海』はやはり永遠に活動するものとして、『疲労』は『私』の限界を知らせるもの」と特徴づけてみたものが、「くらげの唄」では既に、「僕? 僕とはね、/からっぽのことなのさ。/からっぽが波にゆられ、/また、波にゆりかへされ。」のように、すべてが海の永遠性と同化したうえで、「いやいや、こんなにからっぽになるまで/ゆられ、ゆられ/もまれ、もまれた苦しさの/疲れの影にすぎないのだ!」として、むしろ海とは異質な存在となった鬼の自覚を告げるまでに至っている。そこでは、「疲れ」を通しての「美しい感覚」への期待は放棄されている。どちらかといえば、何かに真実を見出したいと忍耐する作者の姿が彷彿されないこともなく、自分は「疲れの影」であり、「鬼」でしかないとしても、この世の支えをみつけたいとの願いが、秘められていたとも想像される。同時に、それが困難であるだけに、詩人の心は、自由の感触を見失いつつあったのかもしれない。
 『詩人』には次のように記されている。「『人間の悲劇』を書いたあとで知ったことは、僕が思い通りに生きていないということだった。実際に人間は、思い通りに生きられるなどということは、千に一つも遭遇できない難事であり、そのためにこそ人生は多事なのであろうが、それにしても僕は、まるでうらはらな、空しい人生を送ってしまったような気がしてならなかった。僕の求めていたことは、芸術などという空疎なイミテーションではなかった。もっと俗悪な、もっと、日常の接触で、じかな生命を、習慣や、惰性によらず、なまなましく実感しつづけることであった。そのためにこそ、僕の青春時代はむなしくあんなに求めたので、僕の芸術は、つまり、僕の衰弱のための逃げ道だったのだ。思想も、哲学も、本来は、なんの価値もないものだ。それ自身が内容でさえありえないのだ。考えのゆきつくところは、そんなところだった」(『金子光晴全集6』より)。
 「僕の芸術は、つまり、僕の衰弱のための逃げ道だったのだ」とは、まさに言葉の両義性をふまえて語られているようにみえる。彼がこうした思考にゆきついたことは、「言葉の両義性がコミュニケーションにおいてあり、それが不可避的に悲惨な結果に終わる」との認識に、驚くほど重なる。とはいえ、この詩人の自我はまったく脆くはない。
 先ほど引用した二篇に共通するものを挙げるなら、「0」と「からっぽ」という形態がみつかる。「0」は「ぱんぱん」の肉体であり、「からっぽ」は波にゆられる「僕」のことだ。「0」は多くのものをぶちこんでも、がさがさな「ふかい穴」で、「からっぽ」は「からだを失くしたこころ」ともみられ、やがて「疲れの影」にすぎないと叫ばれる。つまり両者は、形態は似ているものの、状態はまったく異なっている。一方は、熱心さはないけれど力にあふれ、何でも簡単に呑み込んでしまう。他方は、周囲にふりまわされているうちに透けてきて、むきだしの心となり、疲れの影でしかなくなっている。
 ところで、両者が同形態ゆえに、その両義性が明確に意味化されているとしたらどうだろう。見方を変えれば、「からっぽ」な「僕」が、「0」の「ぱんぱん」さんたちに相手にしてもらえないのは、どうしてなのかということだ。「ぱんぱんさんたち」は、「ふしぎさうに僕と視線をあはせる、その目のなかに、父親や、叔父の非難にこたへる迷惑さうな反抗と、あはれみを宿す」が、ここに、光晴の自意識を読むことこそ重要だといえる。彼は、他人に向けての自己の魅力の限界を知ったうえで、その距離感を楽しんでいる。それは不自由さを超越する方法であり、表現においては、正確さを探求するという自在さを得させている。だが、生活者としては、「不可避的に悲惨な結果に終わる」しかない。なぜなら、本人も含めてだれもが、詩人の自由の成果を彼の美学だと誤読するしかないからであり、これは本物の詩人の運命なのだろう。詩人はいつだって、裸足で道を歩き、喉が渇けば川の水を飲みたかったのだ。近代以降の人間の肉体は、その能力を失い、地球環境から乖離した。多くの人は美学で納得するが、詩人は生物として享受したいのである。

(二〇一八年二月一四日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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