今、詩歌は葛藤する 38
〜『女たちへのエレジー』、金子光晴その8〜
竹内敏喜
詩集『女たちへのエレジー』は一九四九年に刊行されているものの、その「序」にも記されるように、「大方、まだ、中華事変のはじまらない以前の作品でいまから年代にして、十五六年前のもの」を多く収めている。その間、戦争による急激な社会変化があったため、「いまみるとまだこれらの詩には、時代苦のかげが重くおほひかぶさつてきてゐないのがわかるので、作者本人は、ほつとすることができる」と、詩人は率直な気持ちを書き添えながら、旅の思い出を回顧し、一息ついているようだ。個人で背負いこむ貧乏旅行と、世界が押しつける戦禍では、精神にのしかかる重圧はかなり異なるだろう。同じように何もかも喪失するとしても、戦争は目的を見失えば多方面に暴走するので、さらにおそろしいものにちがいない。
この詩集には、彼の代表作である「洗面器」が入っており、この詩を含む南方詩集としてまとめられている作品群を読むことで、「洗面器」を描いた詩人の世界観がより味わえる。そしてそこにこそ、金子光晴ならではの思想の魅力を読み取り得ると考えてみたい。
まず、作品「洗面器」を引く。
(僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが、爪哇人たちは、それに羊(カンピン)や、魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木の木蔭でお客を待つてゐるし、その同じ洗面器にまたがつて廣東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする。)
洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬(タンジヨン)の
雨の碇泊(とまり)。
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。
洗面器のなかの
音のさびしさを。
この詩にはじめて出会ったのは大学生のころだったが、前書きを読むとともに、生理的な刺激を感じたことを覚えている。旅先での見聞を、おおげさな表現にはせず、それでいて強烈な対比を意識して記述してあり、人間と洗面器のかかわりを通して、それぞれの人種の生活の様子を示しつつ、その根底に個々の生命力のいじらしさを認めている。とりわけ「嫖客の目の前で不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする」という部分は、実際その場にいれば嫌悪に近い感情を持つだろうけれど、文学作品として享受する場合には、野蛮な行為とみえるよりも、野性の力強さがストレートに伝わってくる。客となる男性からすれば、そうした女に求めるものは、自己の欲情のはけ口でしかなく、とても愛情などは生まれにくいだろう。しかし、その女たちも生きていこうとしているのである。しだいに老い衰えていくだけで、なんの希望もなく、無気力な毎日を送っているのかもしれないが、同じように人間としての機能を備えており、ただ、他人にどう思われようと気にしないくらい、西洋的な文明に無関心なだけなのだ。それだけに、彼女の立てる音を「さびしい」といわざるを得なかった作者の心情は、個人への単純な哀れみや格差社会への批判意識にとどまらない、むきだしの人間の姿に対する貧弱さという意識などを含む、複雑多層なものだったと思われる。その説明に正確な言葉をより費やすことが問題なのではなく、「さびしい」という一語だからこそ読み手に届く感覚があるのだろう。
不幸なことに、戦中戦後の日本人の庶民の多くは、もっとひどい非常時の苦難を経験した。防空壕のなかで強姦され、そのまま殺されていった女たち。広島での原爆で皮膚がただれ、目の見えなくなった若い男女が、昼夜の違いもわからずに、性交を繰り返している様子のゴシップ報道。酔っ払いの吐いたゲロだけを食べて、なんとか生きている者もいれば、飲み屋で支払いをする際の財布に目をつけられ、闇夜で背中を刺されたりするのも珍しくなかったという。喫茶店の奥で話す、殺し屋と依頼人の会話を聞いたこともあるらしい。これらは、最後の自伝的散文『鳥は巣に』(一九七五)に書き残されている。こうした現実をくぐり抜ける前に作られた作品が、戦後の知識欲に飢えた人々の前に発表されたのである。当時の日本人も、洗面器をどのように使っていたか、わかったものではない。皮肉なことに、すべての事実をふまえて、この作品は読まれたのではなかったか。
「洗面器のなかの/さびしい音よ。」、この一節は、生き残った日本人の経験をもってすれば、痛切に感じられたはずだ。各国の権力者たちのエゴのぶつかりによる世界情勢にふりまわされるなかで被った災難であり、それぞれが逃れようもなく味わった恐怖感だと思われる。以前の日常を奪われていた点において、その生活は放浪の旅に似ていただろう。身近にあった洗面器の立てる音はいつだって変わりはないが、不思議なほど身に沁みて聞こえるようになっていたのではないか。
「くれてゆく岬の/雨の碇泊。」、夕闇のせまる岬の前に広がる海は、今は道としてではなく壁のように佇む。そして天からは、さらに足止めを迫るかのように雨が降ってくる。身動きが取れないまま、その時間は、永遠に長く続くかのようだ。
「ゆれて、/傾いて、/疲れたこころに/いつまでもはなれぬひびきよ。」、人は雨の音に包まれて、この世の果てにいる気分になると同時に、小さな繭のなかで自己と向き合いはじめる。これまで生きてきた時間の長さは何だったのかと。そのとき、忘れられない音が心に木霊して、何かを問いかけてくる。
「人の生のつづくかぎり/耳よ。おぬしは聴くべし。」、思い出にこびりついた響きは、こびりついたからには自分の宿命であり、連れ添わなければならない。しかし、その宿命を受け入れる決心は、自己の困難な現実を認めなければ、できないものだ。
「洗面器のなかの/音のさびしさを。」、その音は音を通じて、人の生について教えてくれている。どんなものの立てる音であろうと、人の一生は、その一瞬の音となんの変わりもないと。あるいは、音のなかにさびしさを聴き取り、孤独を理解すれば、諦観や慈悲の心にもつながるだろう。そのようにさびしさを学ぶことが、人の生でもあろうかと。
付言すると、この一篇の初出は一九三七年一〇月の『人民文庫』誌上であり、詩集で「さびしい音」に再会した読者なら、作者の感受した貧しいアジアの「音」というかつての読書体験を、自分の経験した辛い「音」により、自己と「女」を同じ地平へと並べ替えられ、ふいに「音」そのものの深まりをリアルに実感させられたかもしれない。
やや戦後の日本人の気分に添って、以上のような読解を示してみた。もちろん前置きに基づいて聞き取るべき「音」だろうけれど、どちらかといえば読者本来の「音」を見出せとの指示とみえないこともなく、いずれにせよ何らかのいびつさを前提にしている点では、受け取るべきものは共通していると思われる。それは、上記のように「さびしさを学ぶことが、人の生でもあろうか」のようにまとまってしまうだろう。ここから金子光晴の思想を引き出そうとすると、いくつかのポイントを取り上げ、探り直す必要がある。安易なわかりやすい例で挙げるなら、これまでも繰り返し利用した「ゆれ」「海」「疲れ」「世界」といった視点であるが、要点にまとめ直してみると次のようになる。
「ゆれ」と「疲れ」については、「ゆれて、/傾いて、/疲れたこころに/いつまでもはなれぬひびきよ。」の部分から、この世の果てにいる気分、自己の無意識との向き合い。「海」は、「くれてゆく岬の/雨の碇泊。」から、道としての意識。「世界」は、壷中天の故事をふまえて洗面器に別天地を捉える思想だろうか。作品「水の流浪」を読んだ際、「ゆれ」は美しい感覚へと至るべきものとして、「海」は永遠に活動するものとして、「疲労」は「私」の限界を知らせるものとして、特徴づけてみた。両者を比較して「洗面器」作成時の詩人の姿勢を捉えるなら、ものに動じない精神の強さが導かれなくもないけれど、「さびしさ」にこだわっている面からいうと、いまだ天国よりも地獄を意識していると感じられる。こちらについては、「南方詩集」中の一篇「ニッパ椰子の唄」を参考に、考察してみる。
赤鏽の水のおもてに
ニッパ椰子が茂る。
満々と漲る水は、
天とおなじくらゐ
高い。
むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞から出て、
ニッパはかるく
爪弾きしあふ。
こころのまつすぐな
ニッパよ。
漂泊の友よ。
なみだにぬれた
新鮮な睫毛よ。
なげやりなニッパを、櫂が
おしわけてすすむ。
まる木舟の舷と並んで
川蛇がおよぐ。
バンジャル・マシンをのぼり
バトパハ河をくだる
両岸のニッパ椰子よ。
ながれる水のうへの
静思よ。
はてない伴侶よ。
文明のない、さびしい明るさが
文明の一漂流物、私をながめる。
胡椒や、ゴムの
プランター達をながめたやうに。
「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
今回は三点だけ指摘しておく。「こころのまつすぐな/ニッパよ。/漂泊の友よ。/なみだにぬれた/新鮮な睫毛よ。」における「新鮮」について、以前に取り上げた「この國でもつとも新鮮なものは、武士道である。」と、「この國では、/さびしさ丈けがいつも新鮮だ。」との関連で述べるなら、作品「ニッパ椰子の唄」が最初に書かれており、印象でしかないものの、ここでは涙で濡れている睫毛に新鮮さを認めている点から、清純さへの憧れがありそうだ。それをふまえると、武士道の新鮮さという皮肉には、本質的に清純さを裏切るものという意が込められている気もしてくる。そのうえで、「さびしさ」が「新鮮」だという思想に至ったのだろうか。すると当然のことながら、若者ではなく、老人のまなざしがあるといえる。換言すれば、発見の喜びよりも、愛情の確認があったと考えられよう。
次に、「文明のない、さびしい明るさが/文明の一漂流物、私をながめる。」では、「私」は漂流物だが、文明に染まったものでしかない。しかも、「さびしい明るさ」に目を開くことはできており、ここが肝心だ。詩人の心の奥底にある葛藤は、自然の「明るさ」への共感と、文明ゆえの「さびしさ」への親和のぶつかりに、認められるのではないか。
「「かへらないことが/最善だよ。」/それは放浪の哲学。」、もはや清純なものではなくなった自分にとって、最善なのは「かへらない」ことだ。さまよい続けることは、天国というよりは地獄の感覚につながり、いわば、文明という明るさのないさびしさを放浪することかもしれない。そのとき光晴は、対象としての「女」を本当の意味で見出したのだろう。それは、「ゆれ」「海」「疲れ」「世界」が渾然一体となった魔界であった。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)