今、詩歌は葛藤する 32
〜『こがね蟲』、金子光晴その2〜
竹内敏喜
前回の文章の末尾で、金子光晴にふれたこの詩論の今後の指針となりそうな主張を掲げることができた。要点をまとめると次のようになる。地球上の生物には抑制がはたらいているので、秘めている属性が発揮されるためには特殊な環境の持続が必要だが、人間のつくりだす世界像の実質的な規模拡大は、地球による本来の抑制の方を排除しつつあるということ。つくられた世界像は、地球にとっての正しさとは関係のないものであり、人間が、放たれた自己の属性に基づいて維持されるとしたら、結果として健康(健全性)を買い続けることでしか自己を評価できなくなるということ。もしかすると若き金子光晴のなかの抽象性は、この点を批判していたのかもしれず、彼の直感は地球本来のものとしての詩に近づくために、具象性としての自然状態に近づいていったのではないか、ということ。
上記から導くことのできる重要な論点のひとつに、宗教の本質の問題がある。いわゆる多神教とは「地球による本来の抑制」を尊重した、人と自然との距離感の持続性のことだとすると、平静な自然の力の向こうに、嵐への畏怖を忘れないのは当然だ。それゆえに地域性から逃れられないものだといえる。他方、一神教(世界宗教)とは「人間のつくりだす世界像」を抽象化し、完璧さのイメージを神として整えるとともに、そのイメージの向こうに超越性(永遠)という不可侵の一点を定めることかもしれない。多神教における「嵐」が未来への警告であるのに対し、一神教では過去の清算として、神との新しい契約を意味づける根拠となっている。この神は絶対そのものであり続けなければならないため、全体主義に似てこざるを得ないだろう。つまり、善のかたくなな一般性が特殊な者を浮き彫りにし、反動が大きくなってニヒリズムが現れるのは必然であろうから、構造的に排除の作用を備えていると考えられる。この点、多神教では、そうしたニヒリズムに相当する神が存在することで、全体がうまくバランスを保っていると受け取ることもできよう(もちろん一神教の教えでも、解釈しだいでは同様のことをおこなっていると判断できる)。
このような見地に立つと、宗教は政治形態のひとつだと捉えられ、また視点を変えれば、人に関する生物学的内容として、動物行動学の分野にあてはまると感じないこともない。その意味では、お金や言語のグローバルなあり方に、「超越性という不可侵の一点」を比喩ではなく現実的に認めることも、可能だと思われる。ならば、資本主義(拝金)や民主主義(理想)を正当だとして疑わない者の出現は、地球本来の抑制から逸脱しつつある人間社会にとって、選択の余地のない道筋だったのか。そうした空間では、法を利用しようが破ろうが、他者との関係に、迷いなく容赦のない力の強い人物が、場面場面で有利に行動できるはずだ。その先には、めぐりめぐって人類対地球の図式ばかりがみえてくる。
これらの仮説をふまえて恣意的に換言してみると、金子光晴のなかの抽象性は、他者のいない場所で自己の内面と取り組んでいられた間は(裕福でわがままが通ったとき)、絶対的理念をつかもうとして表現の前面にせり出してきたが、他者にふりまわされ自分の感情がずたずたにされるなかで(財産の喪失、恋愛事件など)、具象性としての自然状態にある自分自身に気づき、そこへと落ちぶれていったとも認識できそうだ。そうした感覚は、三〇代の詩人の二度目の海外生活、特にアジアでの経験によって決定的に身についたのではないか。ともかく、『赤土の家』は他者性が稀薄であったが、次の『こがね蟲』にも他者が感じられない事実を、考察すべき課題のひとつとして掲げておきたい。
ここで、第一詩集が出されてから、『こがね蟲』(一九二三)が出版されるころまでの、彼の主な年譜的事実を並べる。一九一九年一月に『赤土の家』を上梓して後、亡き養父の友人であった骨董商・鈴木幸次郎に誘われて洋行を決め、二月一一日に神戸より出航。三月末には英国に到着し、五月までロンドン滞在。ベルギーに渡り、ブリュッセル郊外ディーガムに一人で下宿。日本の根付の蒐集家イヴァン・ルパージュの厚遇を受け、その親交によりヨーロッパ文化に眼を開く。ベルギー滞在中には、ヴェルハーレンの全集を読破したり、西洋絵画に親しんだ。一九二〇年一一月、半月ほどパリで過ごし、一二月半ばにマルセイユから帰国の途につく。ペルシャ湾で詩作ノートのほとんどを捨て、手もとには『こがね蟲』のノートと『大腐爛頌』のノートなどが残される。一九二一年一月末、神戸着。東京に居を定め、やがて福士幸次郎の依頼により詩誌『楽園』の編輯兼発行人となる。一九二三年七月、『こがね蟲』を刊行。九月一日、関東大震災に遭遇。被災地を離れ、知人を頼って名古屋や関西を転々とする。一九二四年一月、関西から東京に戻る。
一九一九年から一九二〇年にわたる一度目のヨーロッパ滞在では、遺産の残りを持参していたので金銭的な苦労はほとんどせず、一人の日本人とも会わなかった北フランドルの小さな町の思い出として、自伝的小説『詩人』に次のように記されている。
「一すじな向学心に燃えた、規律的な、清浄なこんな生活が、なによりも僕にぴったりしたものと、ためらいなく考えるようになったじぶんを、過去の懶惰な、シニックなじぶんと比べてみて、信じられない位だったが、それはみな、ルパージュの友情のたまものであった。まなぶことのたのしさは、この時期をすごして、永久に僕のもとへかえってこなかった」(『金子光晴全集6』より)。
その成果が、帰国後の推敲を経て第二詩集となる。前回の論考で、作品「海の言葉」の読解から、「大声で笑う波は、存在するものとしての『私』を少しも重要視していないと同時に、さらに目覚めよと諭しているようにも思える」と捉え、「これは現実の彼の姿でもあった。これから、社会という大波を前にして、極度の貧乏生活や、放浪に近い旅を味わう運命にあったからだ。そのなかで、美を感じ取る視線は、崩れそうになりながらも変化していくことだろう」と述べた。まずは二〇代半ばの時点で、彼は北フランドルでの稀有に平和的な経験を的確に咀嚼し、自己の美意識のひとつの頂点を体得したのだ。それは、幸福な夢を保存するかのように懐古的でありながら、日本語による耽美的表現の極致を目指したものだといえよう。『こがね蟲』には「自序」が付されているが、この時期の詩人の自意識が強烈に表現されており、多くの論者も述べる通り、日本では珍しいほどの自負にあふれている。かなり長いものなので、ひとまず、詩歌に直接ふれた部分だけを引く。
「(略)かゝる愛慕と、長い徘徊から、余は、益々冷酷と、倦怠を撫育したが、総ての楽しからざる現存から、『詩歌』丈は、此後も、余を代償する任命を荷うてくれるだらうと信ずる。何故ならば、余の、『崇高さ』や、『鮮新さ』に対する強い憧憬は、余の驕奢は、余の哀戚は、又、真実を希求める人間性は、『詩歌』の世界にのみ絶対無障礙であるからである。此故に、深い『憂愁』にまで、余を知解する事は、いかなる遇難い友情であらう。(略)」(『金子光晴全集1』より)。
正確に理解できているという自信はないけれど、この部分を中心にして「自序」の意図を読み解き、詩人の自負の傾向を確認してみる。…「夢見るために夢見る者」のみが「真実の夢想家」であるとの発見も、現実生活のなかで次々に傷つけられ、自分は、他者にますます冷酷になるとともに、無気力にも慣れていった。それでも詩歌だけは裏切らないと信じていた。なぜなら、自分のなかにある、崇高さや新鮮さへの憧れ、華やかさや物寂しさ、また真実を求める心は、詩歌の世界でのみ、完全にあらわされるからだ。そして、自分の詩作品を読み、そこに深い憂愁までも理解してくれる者がいるならば、それ以上の友情はないと思う。『こがね蟲』こそは、生命を賭けた贅沢な遊びであり、雅の精神を演じ輝かせるためなら、自分の身は蝋燭のように滅びてもかまわない…。こうした思想で内面をふくらませていた詩人は、そのとき二八歳であった。
さっそく、『こがね蟲』から作品「雲」を挙げる。ちなみに金子光晴は、詩集での発表後にも作品に手を入れることがあり、原則として作品の引用は中央公論社版の『金子光晴全集』からおこなうことを断わっておく(ルビは筆者の任意で付した)。
作品には、「金襴、照映し眩ふ雲雲(わたくしら)の意想と、精根は、/乱れ噪がない私自らを、どんなに裕裕と写映しつつ、/無辺の山上湖を航行したか。」として、天の意識があり、それが地に反映するのをみつめている。とはいえ詩人の地上意識も強く、そこに戻らざるを得ない。「憂鬱児よ。/其時、私らは幸福を知悉する者の如く失神する。/季節は、只、/悦楽の順序に私を送る。」という最終連をみると、他者性のないまま、摂理だけを見定めている。この抽象的なまとまりは、自己の頼りなさを描いているようだ。
『こがね蟲』の発表により、詩人として注目されはじめた二カ月後、関東大震災が起こる。東京を中心とする日本社会は動揺し、詩壇にはやがて、アナかボルかといった現実的な潮流が生じたり、モダニズムの新風も吹いたため、『こがね蟲』の審美的な詩は一気に古くみえはじめたという。だが、どうして急に古くみえだしたのか。おそらく社会状況との関係において、人々の生活感情に訴えるものが失われたからにちがいない。この世の終わりのような災害が発生し、人々の感情は命の大切さをいたわりつつ、不満を爆発させて政治意識を高め、社会主義的なもの、無政府主義的なものを露出させた。それに反発したのかもしれないが、芸術至上主義も、危機意識をふまえて詩的レトリックを過度に発展させていく。どちらも現実を変えようとして、実のところは観念性にとどまり、その共感者は理想を押しつけることで他人を非難していたにすぎないと、現在ならいえる。ただ、贅沢な遊びのような詩集を楽しむ心の余裕は、不運にも追いやられるしかなかった。
それにしても、文学空間が人々の社会生活から乖離する様子は、人間社会が地球本来の秩序から乖離する光景に似ている。一般に、技術的な洗練により作品が抽象化されることで、作品内容が多方面の娯楽性を抱え込む。このとき文学空間は、目の前の人々の生活感情を、過剰に刺激しようとする。その点、例えば人々の生活感情に寄りそうように歌われた昭和の歌謡曲は、当時を振り返る個人にとって、今、驚くほど身に沁みてくる。それは、かつてのように心を躍らせるのではなく、失われた大切なものの具象性に覚醒させてくれるようだ。ここにこそ、地球本来の秩序に近いものがあるのだろうか。文学であろうと映画や漫画であろうと、作品空間が地球本来の秩序との接点を見出すことは、現在の地球の生態系が不安定になっているとみえるだけに、来るべき批評になり得る気がする。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)