今、詩歌は葛藤する 24
〜『土地の名〜人間の名』、大いなる生の空間へ〜
竹内敏喜
読書をしていて、ハッとさせられることは今でもあるが、その内容の目新しさについてではなく、その指摘があまりに当然でありながら見落としていたことに気づき、我ながら驚くといった場合が多くなった。これはある点で、おのれの習慣に対しての盲目さを理解する瞬間こそ、学びの喜びを感じるきっかけになっているとともに、習慣にかかわらない出来事とは良い関係を築けなくなった事実を、教えてくれるようだ。換言すれば、世界との新鮮な関係を失ったことを意味するだろうし、同時に自己という形成された対象と、逃げ場なく向き合わざるを得ない現実をつきつけられているとも考えられる。
最近の経験でいえば、小林秀雄の『近代絵画』を再読していて、「ゴッホ」の章の次の部分にひどく感心させられた。「自然とは、貧乏人の生活に、侵入して来る容赦のない力なのであり、絵筆はこれを緩和するわけにはいかない。(略)画家は、一種の観念や感覚を以って、自然に近付くと自負してはなるまい。人が自然と交渉するのは、さういふものを通じてではない。生活や労働を通じてである」。
自然を征服していくことが文化だという安易な見解は、貧乏生活と自然現象との関係をふまえたなら、素直に導けないこともない。確かに現代文明の財産をもってすれば、自然現象との関係において、そうとうな備えや対処ができる。日本の都市部でのサラリーマン生活を顧みただけでも、社会秩序の管理方針のもと、敵(人)に抵抗しようとする自然本来の現象を可能なかぎり排除したなかで営まれていることがわかる。舗装されたアスファルトの道を歩き、移動には乗用車を使い、食料はマーケットで購入し、自宅も職場も好みに応じて空調をきかせられる空間となっている。また、誰でもわかることだが、街路樹や鉢植えが並んでいるからといって、通行人が自然と交渉したことになりはしないのだ。
空腹や寒さから身を守る日常が成り立つかどうかについては、収入の多寡により少なからず決定されるわけだが、賃金格差の拡大する現在、個々における「侵入して来る容赦のない力」というイメージに差異がうまれることは、容易に予想できる。とりわけ表現者なら、たいてい若いころに金銭的な苦労をしただろうし、創作の経験を積んだからといって、その後に生活が必ずしも安定するわけではない。一例を挙げると、大学時代からの友人の一人に彫刻家がいるが、ここ数年来、彼は一年のうち一〇カ月を造形のアルバイトで過ごし、発表前の二カ月を制作に専念している。大きな賞もいくつか獲得しているとはいえ、注文があったり作品が売れることはなく、増えつづける巨大な作品のため、今では山のなかの工場跡を借りて倉庫とし、自分もそこに住むようになった。景勝地で釣り客の訪れる土地らしいが、大雨の際の川音はすさまじいという。けれども、その体験が「生活や労働を通じ」て自然にふれることになるかどうかは、本人の意識次第であろう。
実は『近代絵画』の今回の再読では、「自然とは、貧乏人の生活に、侵入して来る容赦のない力」という一節を、「容赦のない力」とともにある「貧乏」経験者だけが「自然」とのかかわりを知っていると解釈したために、自分のなかで驚きが起こったらしい。この発見により、長く求めていた思想が整理されることになった。端的に述べれば、貧乏人が犯罪を起こすのは自然の脅威から逃れるためだとすると、富裕者が犯罪を起こすのは自然の脅威への郷愁である、と捉えられるのではないかというものだ。この貧乏や富裕という語は、物質面についてだけ言及するものではない。ここにおいて最初に連想したのは、ドストエフスキーの小説である。迷うことなく『カラマーゾフの兄弟』(一八八一)を手に取ってみたが、この度の興味は、修道司祭ゾシマ長老の言葉に集中する結果となった。
「今でも仮にキリスト教会がなかったとしたら、犯罪者にとってその悪業を阻止するものは何一つなくなり、したがってそれに加えられる罰すらもなくなってしまうにちがいありますまい。もっとも罰といっても、単に人の心を苛立たせるにすぎぬ機械的なものではなく、真の意味の罰のことですが。つまり真に効果的な、人の心をおののかせ、かつ柔らげ、ほかならぬその人の良心に自覚されるような唯一無二の真の罰のことでしてな」。
これは、思索家であるイワンの述べた「今日の犯罪者の良心は、きわめて容易に自分自身と妥協しがちです。『なるほどおれは盗みをすることはしたが、なにも教会に叛くわけではない、キリストの敵になったわけではない』と、こんなふうに絶えず自分に言い聞かせるのです」をふまえた発言である。ところで、イワンのこの意識は未だ観念性が強く、健全な社会生活者としての心の動きは感じられない。そのためなのか、彼はやがて自分の積み上げた観念に蝕まれ、小説の後半では、さまざまな感情の噴出のなかで精神を病み、「侵入して来る容赦のない力」(彼には悪魔の姿までみえる)に翻弄された心は、次々に観念を破壊していく。それこそ現実の有り様だと、作者はいわんばかりである。
ここで仮に、「貧乏人が犯罪を起こすのは自然の脅威から逃れるためであり、富裕者が犯罪を起こすのは自然の脅威への郷愁である」との観点から、両者の態度を比較すると、ゾシマの言葉は自然の力をキリストの掟として敬うなかで自己の良心を育む方向を目指し、イワンの言葉は自然の力の分け前を自己の能力で奪うことに良心の呵責はない、といった内容を表現しているように思われる。つまり、ゾシマは質素であることで自然を賛美し、イワンは内なる郷愁、いわばロマンチストである自己から目をそむけているといえよう。あるいは、その自覚があったからこそ、彼の創作とされる「大審問官」のなかに、「子供の幸福こそ何よりも甘美なものである」との一節がみつかるのかもしれない。
ところで長老は、先の発言につづけて次のように述べるが、引用が長くなるため、任意に省略することをことわっておく。
「すべて、この流刑に処して強制労働につかせるというやり方では、何人をも匡正(きょうせい)することはできぬものです。しかも一番肝心なことは、ほとんどいかなる犯罪者にもけっしてそれは恐怖心を起こさせず、また単にそれによって犯罪の数が減らないばかりか、むしろますますそれを増加させるということです。つまり、こうした方法では社会は全然保護されないということになる。なにぶんにも、有害な分子が機械的に切り離されて、目にふれぬ遠いところに追放されるにしても、たちまち別の犯罪者が、それに取って代わることになりますのでな。もしも、この現代においてすら社会を保護し、犯罪者自身をも匡正して、別の人間に更生させるものが何かあるとするならば、またしてもそれは自己の良心的意識に現れるキリストの掟だけではありませんかな。すなわち教会の子としても自分の罪を自覚してこそはじめて、犯罪人はほかならぬ社会、すなわち教会に対する自分の罪をも悟ることができるのです。ただ教会に対してのみ現代の犯罪人はおのが罪を自覚できるのであって、けっして国家に対して自覚するものではありません」。
「ところが現在、教会はなんら実際的な裁判というものを持たず、持っているのはただ精神的な非難を加え得るという権利ですからな、犯罪人に対して効果的な罰を加えるということからみずから手をひいていることになります。つまり、けっして自分から突き放してしまうことはなく、ただ父としての監督の目をゆるめぬというまでのことです。むしろ努めて犯罪人に対してキリスト教会的交渉を絶やさぬようにして、教会のお勤めや聖餐式にも出席させるし、施し物も分けてやる。罪人というより悪魔に魅いられた者として扱うわけです。もしもキリスト教の社会、つまり教会までが、俗社会の法律が彼を排斥し、手をさしのべることを拒否するように、彼に対して顔をそむけたならば、その罪人はどうなるでしょう。少なくともロシアの罪人にとっては、これ以上の絶望はありますまい」。
「教会が処罰を差しひかえている主な理由は、教会の裁判こそ、そのなかに真理を包容する唯一無二の裁判であり、したがって、その他のいかなる裁判ともたとえ一時的な妥協にもせよ、本質的に相結ぶことのできぬものであるからです。ここにはもはや取引きの余裕はありません」。
こうした立場から見出される一種の結論は、その場にいたパイーシイ神父が告げるように、「国家が教会に変貌するのです、教会の高さにまでのぼって、全世界にまたがる教会になるのです」というものであろう。それはロシア正教の理想とも考えられる。また、作品の後半、特に裁判の場面では、あるべき父親像(不甲斐ない父親像はすでに数種類示されている)と農民の頑固さが描かれており、ゾシマの言葉をふまえての作者の思想の展開がみられる。これらの物語的達成を前にして、個人的な感想を添えると、共同体には秩序が必要であるために、世界全体として社会主義化していくのが必然だとしても、共産主義的な管理には義務と報酬(主に金銭と名誉)しかなく、宗教的管理には義務と救い(大地とのつながりの保証)があるだろうとの印象を受けたといえる。この「義務と救い」を好ましい文化だと認識すれば、「侵入して来る容赦のない力」である自然との関係を、この文化的位置から構築することは、現代においても急務だと思わずにはいられない。
そこで、先ほどのイワンの言葉に観念的なものが感じられるのに対し、ゾシマの言葉には観念性以上のものが感じられるとしたら、こちらの観念性が、個人にとどまらず人々との良きかかわりを目指しているためだと考えられよう。しかしながら、いわゆる農民の頑固さ(バルザックの最晩年の作品もこのテーマだ)は、人と大地とのつながりの大いなる意味を理解しないがゆえに、凶暴なまでに利己主義を発揮して、平和の真実から目をそむけさせるにちがいない。これは、報酬こそが価値基準であるといった誤った平等主義だといえる。こうした過剰な人間性の実態を捉えようとすれば、逆にイワンの言葉の観念性が現実感を帯びてくるのも事実であるけれど、好ましい文化の側からみたなら、それは未成熟なものと判断されるだろう。未熟な子供にははかない美しさもあるが、成熟できない大人は醜いかたまりにすぎない。以上は、求められる現代の詩歌の本質にも近いはずだ。
嵯峨信之の詩集『土地の名〜人間の名』(一九八六)の「同行者」の章から、任意に作品を引用した。ここでは、「自分からもはるかに遠ざかつている」意識に不安をおぼえることで、語り手は「歩き」だし、「自分を失つてはいなかつたという憶い」を確かめているようだ。そのきっかけは、「かつて歩いた道だという記憶」であろう。ある意味で、反復を促すこの生の感覚こそが、「ある名」と人との自然なかかわり方であり、人間としての成熟の位置へと誘ってくれるものだといえる。他方、「小さな死」が横切っていくのを前にして、名を「忘れ」るとは、二度と歩かないだろう道の存在を示唆し、そうした道のつらなりを思うとき、ついには大いなる死の空間を想像せずにはいられない。その空間は自分の遠くにあるわけではなく、心が立ち止まること、いわば「長い夜がつづ」くという経験においても、大いなる死の空間の内部にいることに似てしまうと考えられる。そうではあるが、これらの障壁を乗り越えることでしか、「その時」も「自分を失つてはいなかつたという憶い」を感じられない、というのも事実なのだ。
つづけて、同じ章からもう一篇挙げる。
大いなる死の空間があるならば、大いなる生の空間もあるだろうと想像する意欲を、否定すべきではないし、死の空間への入り口が名を忘れることにあるなら、生の空間への入り口は名を見出すことにあるはずだと考察することに、道理がないとはいえない。それこそ、「小さな詩句は/いつも夢のなかへ帰りたがる/ただ一つの大きな詩に集まろうと」との思想は、大いなる生の空間を目指したものではないか、と受けとめられよう。
一般に詩句とは、「名」を生きた状態でとどめようとしたものであり、詩句の帰りたがる「夢」とは「救い(大地とのつながりの保証)」の空間だと見定めて良いだろう。そこでは、もともと個人に属していた「名」も、だれもに親しいものとなり、「ただ一つの大きな詩」のように感じられるはずだ。その親しみの感覚までの一連の流れを、詩人は次のように表現している。「環のなかの一つの数珠玉がゆつくりとりはずされる/同じように並んでいるのに/触れ合うのをあらためて見なおしているのに/時はそれを慈しみぶかく所有する」。この「時」は、ドストエフスキーにとってのロシアの「大地」と、限りなく近いのではないか。もしかすると、真に信仰心のある者には、「時」が「場」において成立している様子が、しっかりと感じられているのかもしれない。
一方、詩人はこの一篇を、「それを愛とも呼び詩とも呼ぼうとぼくは思う」の一行で終えている。「それ」とは結局のところ、「慈しみぶかく所有する」ことだといえよう。ここで「愛」と「詩」が、その名を反響させる対象において同一化しているのは、まさに大いなる生の空間とは、そのような心とともにあると詩人が確信しているからに外ならない。つまりそのときこそ、この「時」も現実の「場」において、成立するのである。
ゾシマの述べた「真の意味の罰」とは、罪を背負うことは大いなる生の空間を失っていることだと気づかせ、その自覚を深めさせるなかで、キリストの掟の位置へと誘引する行為だと考えられる。嵯峨信之におけるそうした行為を探るなら、まずは「愛とも呼び詩とも呼ぼう」との姿勢で歩きつづけることに当たるだろうし、そのうえで詩歌とかかわりつづける決意につながったのではないか。事実はともかく、九五歳で亡くなられるまで、詩学社の社主であったと読者が記憶しているなら、それが「歩きつづける」というリアルな遺産そのものだと捉えられよう。この気持ちを忘れないようにしたい。蛇足だが、「自然」とかかわらない者の多くは、イタズラ程度の犯罪をこぎれいにした商品を身に纏うことが、この世における魅力だと信じて疑わない人種のように思えてならない。悲しいことだ。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)