今、詩歌は葛藤する 21
〜『ジャンヌの涙』、自然の法と無限性について〜
竹内敏喜
一説によると、紀元前四世紀頃の古代都市アテナイでは訴訟が日常茶飯事だった。法廷では原告と被告の双方が自分で告発や弁護をしなければならなかったから、市民は自分を守るために弁論術を学び、そこで教師としての弁論家(ソフィスト)が活躍した。なかには訴訟で勝利して得られる金銭で生計を立てていた市民まであったらしい。こうしたことから当時の法のイメージは、力の強い者が弱い者から利益を得るための手段とみられ、それに対し、法の上に立つ、より普遍的なものとして自然の法が考えられた。そのような社会に不健全さを感じないこともないが、大きな力として自然の法が想定されていることには、救いを思う。一方、同じように悪意ある告発の増加する現代日本を顧みるとき、かつての救いの位置に何をみつけられるだろう。残念ながら権威への従順にちがいない。
秀でた文献学者として出発したニーチェは、ソクラテス以前の初期ギリシア哲学に示唆を受けながら、哲学者とならざるを得ない自己をしだいに自覚していく。その三〇歳前後の草稿(『哲学者の書』)のなかには、次のような言葉も残されている。
「無限性こそ最も原初的な事実である。言い換えれば、説明さるべきことは、有限的なものはどこからやって来たのかということだけであろう。しかし、有限的なものという視点は、純粋に感性的であって、すなわち、ひとつの迷妄なのである。大地の使命などについて、どうして人は敢えて語り得よう! 無限の時間や、無限の空間のなかにあっては、目標などは存在しないのである。すなわち現に存在しているものは、何らかの形式において、永遠に現に存在しているのだ。どのような形而上学的世界が存在すべきであるかというようなことは、全く見究められるものではないのである。こうしたあらゆるもたれかかりなしで、人類は立ち得なくてはならない、──芸術家たちの途方もない課題!」。
この若きニーチェの思想には、古代ギリシア人の思い描いた成文化されていない「自然の法」の反映と、その超克への意志があるだけでなく、ワーグナーやショーペンハウアーに見出した一種のロマン主義への憧憬が認められよう。二人を称賛する際の共通点をみると、「集大成者であり、寄せ集められたものに魂を吹き込む者であり、世界を単純化する者」(『反時代的考察』)といった視点がみつかる。単に古典的な美を模倣するのではなく、自由で雄大な芸術的達成への強い期待があり、しかもその芸術的表現は原初的な自然の無限性を根拠とし、力を得たものになっていなければならないと考えたようだ。
また同時期に、「認識作用とは、極度に愛好された隠喩における作業、つまり、もはや模倣とは感受されなくなった模倣作用、であるにすぎない。したがって当然それは、真理の王国には突き入ってゆくことはできないのである」とも記している。哲学者としての自身の悲劇的な行く末を予言するかのような主張だが、彼が表現方法としてアフォリズムを多用せざるを得なかったのは、「真理の王国」いわば「現に存在しているものは、何らかの形式において、永遠に現に存在している」ことに突き入るために、模倣や認識にすぎないものを排除しようとした結果だと思われる。そうしてうまれた断言は、仮のものとしての隠喩に頼るのではなく、自然現象を逆説なしに考察することで真に詩的な強度を保つことに成功し、「あらゆるもたれかかりなし」を達成した。少なくとも彼の哲学の全体においては、どんな形而上学的世界をも客観視しようとしているといえる。
ここで、ニーチェの原点ともみえる無限性の感覚を思うとき、近代以降の芸術的表現が見失ったものとは、それだったと想像されなくもない。その喪失の背景には、文化的世界観が厚みを増すとともに、人々と自然との接点が希薄になった事実もあろう。皮肉なことには、最先端技術こそが、個別的とはいえ自然現象にもっとも肉薄しようとし、しかもそこに見出されるものは、人間による擬人化の範疇を超えるものであった。デジタル形式が主体となれば、対象はデジタル化において捉えられるわけであり、それは人類と、環境としてのデジタル世界との、関係のはじまりを意味する。付け加えるなら、その環境に郷愁をおぼえるのは、デジタル映像やデジタル音響に包まれて育った世代にちがいない。彼らにはデジタル化による環境こそが擬人化にふさわしいのだ。こうした事態について、「事物を非人格的に把握することほど、人間にとって難しいことはない。私がいわんとするのは、事物のなかにまさに事物を見るだけで、けっして人格を見ない、ということである。実際、人格を描き出し人格を創作する人間の衝動の時計仕掛けを一瞬でもはずすことが、いったい人間にとって可能なのか、と疑問に思うこともできるほどである」(『人間的、あまりに人間的 』)と、反ロマン主義を意識した頃のニーチェは書き残している。
他方、原初的なものを感受しようとする表現者は、孤立しつつも消え去ってはいない。だが、彼らの成し遂げた作品のほとんどは、素材を活かしながら擬人的な装飾を付加するものであって、自然を模倣しようとしたものに止まっている。このように、デジタル形式であれ、自然の模倣であれ、そのままでは無限性に近づいた創作とは呼べないだろう。ましてやデジタル化による環境は、技術の進歩と平行して変化しており、人類の環境という観点からみれば、けっして普遍性を持つものではない。さらに根本的な問題として、名画や名演におけるオリジナルとデジタル複製を比較した場合、オリジナルから受ける光の反射による柔和な膜や音の多層変幻化する波といった経験が、デジタル複製では細部の罅や疵の強調および音の圧力の直接性といった貧弱な内容に変わってしまう。あるいは貧弱さという性質は、デジタル文化の優れたオリジナル作品からも、消えることはないかもしれない。それはモダニズム詩と呼ばれる近現代詩にも感じるものだ。ちなみに、名画には魂のふくらみにも似た感触があり、名演からは音の広がりに触れられそうな体験がある。
これらを乗り越えるためには、人間を主体とする限り、形而上学的世界を客観視できる能力が必要なのだろうか。
引用したのは、有働薫の詩集『ジャンヌの涙』(二〇〇五)のなかの「献月譜」である。これは、三月、六月、八月の三つの作品で構成されており、単純に考えると、秋や冬をふまえた部分が欠落しているので、「献月」としては物足りない感じもする。だが世界を見渡して気づくように、秋から冬へかけての季節が、生物にとっては籠もることを意味するとしたら、芽吹きから成熟までの過程こそが表出されるに値し、その収穫において「献月」がおこなわれたと受け取れないこともない。実際、三月の「芽吹きの不安」という未来へのまなざし、六月の「やさしかったおばちゃま」といった死者を懐古する情が描かれることで、八月の「妊娠」という自己のうちに籠もる次世代の命への、限りない愛情を表現することが可能になったと思われる。つまり「幾らでも深く/潜ってゆけた」のように、語り手は躊躇なく自然と同化できるようになったのだ。こうした点から「献月」とは、月の成長という特色をふまえ、胎内の我が子に捧げるとの意味で理解することもできよう。
あわせて作品では、同化する対象を多重化しながら表しており、それらは自然であると同時に詩歌のようでもあって、むしろ詩歌という形式を通して自然を発見しているといえる。例えば「乾季の地層に/ちいさなまるい種が/蒔かれた」とは、詩的感受性の出発点を表明しているが、そのきっかけは「──あなたの手で」とされている。この「あなた」は、夫であるとの解は論外にするとして、「真っ青な海」から擬人化されたポエジーのこととも取れるし、我が子の成長をふまえたうえでの天上の月(これもポエジーの象徴だ)かもしれない。もちろん、作品では目の前の昼間の光景しか記されていない。けれども、そうすることで逆に、言葉では書かれていないもの、籠もっているものを、よりリアルな状態で匂わせたのではないか。まさしく両者の接点になるのは「眠った」という行為である。それは莫大な夢、いわば自然全体を受け入れ、向き合うための時空のようだ。
以上を念頭におきながら、三つの作品を個別に解釈してみる。
「三月 ゆきやなぎの月」には、戸惑いにも似た軽い苛立ちがある。籠もることを肯定したい気持ちを持続させたいときに、何者かに「未来へ!」と背中を押されるのは、迷惑なことだろうと思われる。ともかく、ここには「芽吹き」があり、その生誕は、「やるせなさ」「にがい視線」「不安」といった感覚で捉えられている。それだけでなく、「にがい視線は/芽吹きの不安と/こすれあう」という一節には、性的なニュアンスさえ感じられ、新しい出発に対する、女性特有の印象が吐露されているようだ。
「六月 伯母の月」は飾り気のなかった亡き伯母への親愛の情にあふれ、「下駄に素あしをハの字にして」からは、その人物の明朗さが伝わってくる。それだけに、「ひとり身で年寄って/たったひとりの弟の奥さんに/(わたしたちの母だが)/あからさまに敬遠されて」いたことを、語り手が悲しく追想するのは、重ねて痛々しい。空白の一行の後の、「やさしかったおばちゃま/……」との一行が、くっきりと読者の心に響く。
「八月 オリーブの月」は、転居後の新しい風景のなか、「訳詩集」との幸運な出会いを受け入れるという出来事から展開される。これを誘因したのは、「わたしは妊娠して」いるという、女としての完成を迎えた意識だったかもしれない。そして、本の「白い表紙をひらくと/真っ青な海」がひろがり、「はるかな沖で潮が音をたてて」いるのが、語り手にはわかる。その経験は、「乾季の地層」(妊婦であることによる精神的負担?)といった孤独な経験のなかで、「ちいさなまるい種が/蒔かれ」ることに似ており、安らぎを与えるものだ。こうした気分において、「日ごと膨んでいく/腹の上に/よみさしのページを伏せて/眠」ることができ、「幾らでも深く/潜ってゆけた」が達成されている。
繰り返しになるが、タイトルに「献月」という語が含まれていることに、もう少しこだわってみたい。その月はもしかすると、「真っ青な海がひろがった/はるかな沖で潮が音をたてていた」において、潮をうみだす力として登場していたのかもしれない。すると、この引力による不安定さが、静止して無くなるのではなく、揺れのまま快いものと理解されることで、語り手は大きな世界を受け入れることができた、との読解も可能だろう。その際の喜びを、「献月」という言葉に込めたと考えるなら、「──あなたの手で」の「あなた」は、生誕を促すものすべてを包容した言葉だと読めないか。ここにおいて、世界が愛すべき無数の子供で満たされていく感覚が、みなぎってくるようだ。
我が子とは自己の一部でもあり、その自分は世界の一部である。ニーチェを介して導いた無限性の感覚の秘密は、この辺りに探るべきかもしれない。作品末尾の「幾らでも深く/潜ってゆけた」には、水面から覗き込み、濁りを深さと誤るのではなく、心が深さを直接体験する無限性がある。この透明性を確保させたものを、現代の詩人は学ぶべきなのかもしれない。それは、形而上学的世界を客観視できる能力に通じると思われる。
空想を飛躍させると、有働薫にとって透明性を象徴するものとは、ジャンヌ・ダルクの「涙」だったのではないか、と気づく。そこには、人間にかかわる「深さ」が手当たりしだい込められている。たまたま、「ジャンヌの涙」という名前のナッツ菓子に出会ったとき、その深さは濁りかけたともみえるが、詩集『ジャンヌの涙』を完成させることで、さらなる純度を得たと感じられる。その後、内なる純度に身を委ね、詩人はモーツァルトに惹かれていく。「モーツァルトの曲の演奏者の心は、モーツァルトの心になろうとしているはずだから、聴く側が演奏者の心を追ったなら、自分もモーツァルトにならざるを得ない。その達成は理想であるはずなのに、不思議なことにモーツァルトに関しては、たいていの人に素直に成立する気がする。これこそ天才の技なのだろうか。ましてや、彼の音楽は心に染みつきやすいものでもあり、だれもが容易に思い返すことができるため、その人が必要としたときには心で響くはずだ」。かつて筆者が書いた、『モーツァルトになっちゃった』(二〇一四)の書評の一部である。無限性は、こんな風にも現れるのだろう。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)