今、詩歌は葛藤する 16
〜『悪の花』、意味を復活させる儀式〜
竹内敏喜
現在の日本の自由詩の特性を、祈りのかたちだと受け取るなら、自分のなかでは納得できるものがある。一方、認識のかたち、主張のかたち、言語の可能性のかたち、慰めのかたちなどの見方については、それらにふさわしい状況や大いにもてはやされた時代が、かつて確かにあっただろう。しかし、そうした立場から作られた詩歌に、ほとんど魅力を感じなくなった。個人が何らかの努力によって才能を成長させる際、積み重ねられた文化の変遷を辿ることもあるといった観点から、それらを楽しんだ時期が自分にもあったのは間違いない。同様に、他者が何かに熱中しているのを眺め、彼らの対象とのかかわり方を判断しつつ、その文化的成長の段階を測ることは無意識的にもしていよう。ただ、そこで問題とすべきなのは、自分の判断能力の方だと気づいたころから、他者そのものに関心を抱くことはなくなった。現在という段階を証明するものなど同時代のどこにもないだろうし、逆に古典作品のなかには今の自分の判断能力と呼応するものが少なくないが、これは単に段階を意味するだけなのかと、問わざるを得なくなったようだ。ましてや、そうした対象くらい明確なかたちは他にない。そこからは幻覚的な祈りではなく、作り手の覚醒的な祈りがみえてくる。覚醒的だからこそ、未知なる奥行きが信じられるのかもしれない。
祈りのかたち、と呼んでみたとはいえ、神仏に捧げるような文化的に洗練された祈りのことではない。神仏への祈りが法において有償であることをふまえると、この祈りは気持ちにおいてはともかく、現実との関係としては無償であることを特徴としている。そのように捉えるなら、無償であることの価値が問われているゆえに、祈りのかたちが問題としてみえてきたとも思われる。また一面では、他者とのかかわりは最低限に控えたいという意志表示となっていることもあろう。その点、認識のかたち、主張のかたち、言語の可能性のかたち、慰めのかたちなどは、あらわれざるを得なかった根拠にとらわれ、有償の中身を求めつづける力だとも受け取れる。それは、おかれた状況に決定的に不足していたものがあり、人間の条件において取り戻すことが正当だと感じられたからに外ならない。
日本国内に限っても、縄文時代以降、さまざまな文化の達成があったことは理解できる。無数の努力と、信じがたい偶然の出来事の後、庶民に安定をもたらした時代がおとずれ、次のように異国の人物から称賛される社会を築いたこともあった。「簡易、善良、素朴を愛し、日常生活において無用の贅沢と浪費を憎む精神がある限り、日本の将来は洋々たるものである」。この一文は、熊本五高での教鞭生活を終えるにあたって小泉八雲が残した言葉だ。余談だが、彼の記録した物語からは幻覚的な祈りへの郷愁が伝わってくる。けれどもこれは、記録者のなかに覚醒的な祈りがあったからこそ、目の前の現象を忠実に描き留めることに成功し、人と言葉との関係に位相のふくらみを保つことのできた結果だと考えられる。読み手は、その内容に純化された日本の姿をみつけるだろうが、こうした書物との良き出会いは、物語のなかの幻覚的な祈りを楽しませ、読後には覚醒的な祈りへと誘うだろう。つまり、日常において「簡易、善良、素朴を愛し、日常生活において無用の贅沢と浪費を憎む」精神を倣おうとするはずだ。八雲の仕事をこのような構造で捉えることは、すでに古典となっている事実を知ることであり、また現代性を認めることである。
ところで、この国の現状を見渡すと、欲望の対象であるモノや形式が主人となる傾向が強まり、多くの勤労者は制度の家畜として身動きが取れないでいる。一方、退職者は組織の外部に排除された気分になっているだろうが、それは搾取の対象とされることも意味する。そのためなのか、信頼関係を深めたい相手を確かめるツールとして、なにより無償の行為への憧憬が広がっているようだ。しかし、なんとか自分を主人の位置に戻そうとするゆえに、互いに不満が残るといった事例も多いだろう。無償でありつづけるためには、それぞれに心の豊かさを信じていなくてはならず、その豊かさは知性、勇気、愛情において自在にあふれるものでなくてはならない。情熱のもとでの自在さという点では、自信を喪失すると、とたんに消えてしまうものでもある。いわば貧しさと表裏一体であり、相手の状態を考えずに既存のツールで測って、うまくとらえられる対象ではない。
そうした現象にもっとも早くから敏感だった詩人に、北村太郎がいる。
引用したのは、北村太郎の『悪の花』(一九八一)のなかの「1」である。この詩集では個々のタイトルは数字であらわされ、「1」から「30」までの作品が並べられている。連作というほど緻密に構成されているわけではないが、テーマは持続されており、特に最後の作品「30」は冒頭作品を意識して作られたと思われる。こちらも挙げてみたい。
この二作品を比較し、例えば「終わり」への意識を辿り直すだけでも、心の豊かさをめぐるモチーフを導き出すことは容易だ。まず、作品「1」なら、この連作が30で終わること、すてきな始まりのある時代が終わったこと、新聞にテロによって生命を終えた者の数が出ていること、鳥たちは一日の終わりを沈黙だけで示すことなどが、明瞭な口調で語られている。これらを大胆に解釈すれば、詩とは限定してこそ効果的であるという持論、かつては自然な情感に基づく時間を経験できたという悲哀、思想のために殺される人が今もいることへの違和感、詩は鳥たちとは異なりいつでも「ひらいて」いることへの冷めた視線、などが指摘できそうだ。とりわけ、「ひらいて」いる状態を「死の目ゆめの目」と認識する方法は、詩を生の反対側として、墓場や幽霊のイメージで感受しているともみえるが、この発想は、北村太郎という詩人を考察するにあたり重要なポイントだろう。
他方、作品「30」では、何事も終わり方はむずかしいこと、終わりというのはあるのだろうかと問うこと、臨時と臨時の交替にすぎないと考えると詩の終わりも生の終わりもどうということはないと思えることなどが、あいまいな態度でつぶやかれているのに気づく。なかでも作品のはじまりで、「十四行詩をいろいろ書いてみたが/うまくいかなくてやめた」と、持論への不徹底を告白した部分に注目したい。自伝的エッセイでは、「いつもだるそう」と若いころから鮎川信夫にいわれてきたと記されており、この煮え切らなさが、生き方にとどまらず、創作態度にまであらわれているようだ。ただ、形式を意識してそのズレを示すことは、高等なヴァリエーションだと認められるので、ある意味では、彼の煮え切らなさが軽みへと向かっていく姿を、ここに読み取ることもできる。
それにしても、この詩集における明瞭さとあいまいさの間には、何があるのだろう。おそらく、「人性は善であるわけがないよ」という感想や、「成熟こそ——すべて、は/猥褻の世界でだけ達成されている/といえなくもない」との文化観ではないか(いずれも作品「29」から引用)。それらを自己の思想として自覚するにつれ、終わりあるものに対する尊厳の情が薄れていったのかもしれない。より正確に述べるなら、詩歌と人生との関係を見定めるにあたり、最初に詩歌を「死の目ゆめの目」と認識する態度を選んだため、はからずも実人生の価値を守ろうとするスタンスになったようだ。しかしながら、人の一生の「悪」の部分を言葉で描いていくほどに、自己の感情が一種の判断停止状態になり、意味の支えを見出せなくなったのではないか。そこで「臨時」という観念に頼ろうとするが、これは「終わり」への態度をごまかす行為にすぎず、ますますあいまいさを本質とする立場に陥ってしまう。
そのとき心に浮かぶのが、語り手にとって無償で思い出すべき他者の言葉、「しかしまた、悩み、苦しみ/生きて地獄を知るすばらしさ」であり、情熱のすばらしさ、生きて地獄を知るすばらしさに、なんとなく共感していく。これは、ロバート・ブラウニングの詩のなかの言葉らしいが、かのベートーヴェンの残した言葉へと連想を誘わずにはいない。「無限な精神をもつ有限なわれわれは、ただ苦悩と歓喜とのために生まれた。そしてほとんど、こういうことができよう。もっともすぐれた人々は、苦悩を通して歓喜を勝ち得るのだと」。北村太郎は、音楽ではベートーヴェンを好んだという。その事実にあやかり、苦悩を通して彼が勝ち得たものは何かと仮に想像すると、作品「30」の末尾の内容に近い気もする。歓喜などではなく、「泰然と」することであり、「ゼロなんかに戻ることはないらしい」と開き直る姿勢である。それは肉体による世界観かもしれず、猥褻の世界を肯定するものと考えられ、そこでは詩歌という存在は放逐されているともみえる。
だが、ここでようやく、冒頭作品の「一日の終わりを/鳥たちは/沈黙してしまうことだけで示す/詩は一日中ひらいている死の目ゆめの目」という抽象的な一節に、「肉体に宿るものは/カッコなんか考えずにいつも泰然として/終わり または始まり/ゼロなんかに戻ることはないらしい」との巻末の気持ちが重ねられ、肉体に宿ることが可能な声となるのではないか。それは意味を復活させる儀式ともいえる。「死の目」は死者に宿っているものが差し出されるといったニュアンスになり、「ゆめの目」はまだ生まれていない肉体に宿るだろうものを差し出す。要するに、「ゼロ」に戻らないとは、何かが受け継がれることをあらわすのだろう。やがて詩には背景としての沈黙が広がり、個々の読み手のなかで、さまざまな一日のかたちが形成されていく。ちなみに詩人は、「たまたま三角関係でゴタゴタしていたときの揺れ動く気持ちがわりとよく書けている」と、この詩集について述べており、あるいは悪を描くことを通して情熱を取り戻し、心の豊かさを蘇らせたのかもしれない。それは彼独自の覚醒的な祈りとして、自身や読者の肉体に、他者としての言葉を宿らせ、詩そのものを再生させることにもつながったと理解したい。
話は変わるが、今年の三月に転居した。こじんまりとした家だが、ささやかな裏庭もあり、敷き詰められた白石のむこう、隣家との壁に沿ってプランターを並べた。今、そこには枝豆やミニトマトの茎と葉が伸びている。四月のさくら祭りでは、六歳の子が金魚すくいをし、四匹つかまえてきた。小さな水槽のなか、毎朝、近づくとエサをねだる。それらの世話も日課になった。歩いて五分ほどのところには葦などの群生する沼があり、近くに幅一メートルくらいの水の流れもあって、休日になると子の強い要求のまま、ザリガニつり、カエルさがしなどにふりまわされる。そうした日々が、自分の過去と重なる。なんと、とりとめもなく、勝手放題していたことか。そして生命の輝きとともにあったことか。
かつて、詩歌に惹かれたのは、生命の輝きと似たものを感じたからである。二〇代半ばから首都圏で生活するようになり、いつのまにか見失っていたのはそうしたものであった。優れた詩人とつきあっても、それはほとんどみつからなかった。多くの詩人は、自分の日常生活について語らない。たまたま酔いが深くなり、交歓が高まることはあったが、おのれの無意識の一部がさらけだされる以上の収穫はなかった。今にして思えば、詩について論じることや、詩を介して知識を話すことではなく、肉体に宿るものを通して語り合うことを求めていたのではないか。そうしてこそ、他者になり得るものが何なのか、明らかになるだろう。詩歌が示そうとする祈りとは、そうしたものに近い気がしてならない。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)