今、詩歌は葛藤する 5
〜『石はどこから人であるか』、詩的環境の完成がもたらすもの〜
竹内敏喜
過去の詩歌を読んでいると、要するに和歌はラブレターであり、俳諧は駄洒落なのだとつくづく思う。いわば相手に届けようとすることを本質にしつつ、歌は作者の内面の誠実さを韻律に乗せることで聞き手の高揚感を煽り、句はスタイリストとして作品の外面を装うことで互いにニヤリとしている印象を受ける。そこで学のない者が空想を広げ、「うたう」が「うったえる」につながることを根拠にして考えたなら、詩的表現をめぐるコミュニケーションの発展の様子は、次のようにもみえてくる。
仮に、歌の形式の整ってきた奈良時代以降を見渡すと、宮廷などで題詠を通して技を競い、歌合として勝敗を楽しみ、連歌では共作への挑戦があり、そのパロディも含んだ連句が庶民にあらわれ、やがて俳諧として誰にでも作りやすいものとなる。こうした詩歌と詠み手との関係は、共同体における人の心の成長の過程とも重なり、必然性すら感じられそうだ。その際に忘れてならないのは、万葉集成立後に、歌は、漢詩によって公的な場での存在観を圧倒された時代があり、その後に復活して、天皇による勅撰という価値を背負わされたという事実である。再生した歌には、漢詩に対抗する意識がそれとなく含まれると同時に、和風であることの意味が探求されただろうと想像される。
さらに実用的な作用として、藤原氏の支配した世における歌は、出世したい他氏の男が藤原氏の女とかかわるための道具でもあったし、江戸時代では五七五が賭け事として流行していたことなどをふまえると、詩歌は経済生活を支える手段のひとつだったと捉えられる。現在でも、商業雑誌のためにこそ書いている詩人は少なくなく、文芸誌はファッション雑誌の様相を呈しており、これはこれで伝統的なことなのかもしれない。
貴族の行事的な場であれ、庶民の気晴らしの集会であれ、当事者だけに理解できる隠語が探求されるなかで、高度な表現が可能になったのは間違いなく、あわせて受け手に称賛の念をあふれさせたにちがいない。そうした幸福な関係がいつまで持続されたのかわからないが、時代が変わっても、「高度な表現」に憧憬を感じる者はあらわれ、逆に「受け手に称賛の念を起こさせる」状態に郷愁を覚える者も途切れなかったはずだ。それは信念ともなり、自作を理解する読み手の出現をおのれの死後に期待するなど、しだいに文学の永遠性として、社会的な思想が確立されていったと思われる。
いずれにせよ、詩歌表現が広く日常化すると、批評の基準も社会性を反映して多数決の原理に近づいていく傾向がある。それに反発せざるを得ない向上心の強い書き手などは、個としての生死観といつまでもぶつかり、孤高を余儀なくされたはずだ。文化の熟し具合によるとはいえ、忠度のように自分の名を削られても歌が勅撰集に掲載されることを望む者もいれば、芭蕉のように句が完成すれば書かれたものは反故にすぎないとみなす者もいただろう。さきほど、歌はラブレターに、句は駄洒落にみえると記したが、孤高において作品が極められたなら、瀟洒なもの、風雅なものと、識者に認められることは珍しくない。しかしその特質ゆえに、保守的な衆人からは滑稽なものと受け取られたのではないか。
読者の側としても、詩歌作品以上に、個性的な詩人自身に魅了されるのは不思議ではなく、表現とのかかわり方は、さらに対話的だったと捉えられないこともない。技巧の完璧な作品より、魅力ある書き手のさびた作品の方が心に響くとしたら、それは既に身内のような関係を仮想して接しているのだろう。
詩歌の行為が基本的に「相手に届けようとする」ことだとすると、現代においても真に必要なのは、自己の外部に向かって訴える言葉の輝きが発揮される場所の確保だと、まずは考えられる。それは、同人誌や詩集の礼状なき謹呈のやりとりや、文化事業と称する審査員本位の受賞式などでは、もはや成立するとは思われない。もしかするとインターネットの世界のあちこちでは、小さいながらも達成されていると想像してみようか。なぜならそこでは、読み手の能動性の質が問われるとはいえ、詩歌作品が比較的無条件に立ち止まっていることができるからである。
こうした気分のまま、貞久秀紀の『石はどこから人であるか』(二〇〇一)を読んでいると、ぴたりとこちらに寄り添ってくる言葉が感じられた。詩集から「ズボン」という一篇を引用する。
これは作者のユーモアで成り立っている作品ともみえる。ならばまず、その機知と作者の詩意識との関係について考察し、そのうえで作品の目指すものを探ることは、読解において有効だろう。そのためにも、この詩人の自負する詩論を確認することは必要なのだが、できるだけ実作品に即して考えたいので、今回は二〇一〇年に出版された詩集『明示と暗示』の特徴をたどることで代えることにする。この詩集については、某雑誌のアンケートで次のような簡単な感想をまとめたことがある。
「なにより詩人の生身の声が心に響いてくる。徹底的に単独者の位置を受け入れることによって、繰り返し何度もひとつの方法を試み、結果として、そこにあらわれる詩の形に、普遍的な『よろこび』を見出しているような、誠実な詩人の存在が感じられる。だからこそ作品の末尾における、その肯定性も否定性も疑問性も、そのまま他者に向けられているというよりは、他者を気遣う詩人のあいさつのような留め方だと思われる」。
このように読み解いた本性が、この詩人の向かうところに出現するとして、例えば引用した作品を、その原石の状態にあると仮定し比較すると、いくつかの指摘ができそうだ。その前に、詩集全体のなかでの「ズボン」の位置を見定めるなら、『石はどこから人であるか』は非常に多様な書き方を試みた詩集であり、『明示と暗示』がどちらかといえば散文詩形式にこだわってまとめられていることをふまえると、後年よりも以前の作風に近いと考えられる。その意味では、以前から使用していた形式に、新しい内容を盛り込んでいる可能性が高く、過渡期ゆえに露出する性質を期待しながら、以下に解釈を進めたい。
まず、「目をあけたところが前/とおしえられた/朝」とあるが、ここには積極的な提示を避けられた他者の存在が感じられる。逆に、気づきについて受け身である「私」を創造することで、作者は一種の外部を存在させたともいえる。その外部の性格の一端としては、「私」の目覚めの感覚を尊重していると思われないこともないが(それは詩人の理想の環境なのかもしれない)、他者そのものではなく、他者の教えの内容だけに「私」が反応しているため、その他者が絶対的な存在なのか、対等な存在なのかはわからない。ただ、以上のような点から、「私」ののめり込みやすい性質は認められそうだ。
つづいて、教えられた内容の強調された現実があらわれ、「目をあけると/目からかぎりなく大きく/前/がふくらみ/私には前がついていた」と展開される。その「朝」の光景に対し「私」は、「夢のなかで/蟹として生きていたことがつづき/ふとんから/蟹のような/人となりで這いでると」のように、夢とはいえ自分の少し前の姿を抜け出すことからはじめる。それはまさに脱皮だが、その様を真面目に描写すればするほど、現実との齟齬が起こるらしく、人ならではの不器用さがあらわにされていく。こうした齟齬の発見こそ、詩人の生身の声とも思われ、結果的に単独者の位置を浮き彫りにするようだ。
そうしたことは次の一節にも感じられる。「前のなかへ入り/たたんでおいたズボンをひろげた/それはひろげた/というよりも前をしずかに揉んでいる/と/そこからやわらかく/ズボンが揉みだされ/私はズボンをはいて犬の散歩をしていた」。細部の描写が行われると、「私」の動作が反復されているともみえて、読者にはなにかしら滑稽さが伝わってくる。しかし「私」が未知の状況に立たされていると気づけば、そこに悲哀の情が漂ってこないこともない。そのとき「犬」が登場する。最初に断っておくと、この「犬」に一般の犬のイメージをみることは間違っていないが、その場合でも、限りなく無垢な欲求を象徴する存在として感受すべきだろう。なぜなら、例えば無垢なものの行動は、共にいる者の滑稽さや悲哀の情を、決定的に意味づけるからである。
そして、「犬は紐をとかれてかけまわり/私とともに/前の/なかにいることをよろこんだ」には、貴重な発見があると読んでみたい。つまり、この「犬」の「よろこび」が、「私」の「よろこび」につながるかどうかが、この詩人の読解の大きなポイントだと思われるからだ。この作品から約十年後の詩集の個性として、「繰り返し何度もひとつの方法を試み、結果として、そこにあらわれる詩の形に、普遍的な『よろこび』を見出している」との見解を示したが、ここで重ねると、「犬」とは作者の形式意識の自然な発露であり、一面で詩的環境の比喩ともみえないだろうか。それは、解放される喜びであり、「私とともに」いる喜びであり、ついで「なかにいる」ことを肯定している存在なのである。
さらには「犬がなにかを嗅いでいる/それは/冬野を/犬とともに四つん這いでかけまわり/たおれて横たわったなりうごかずにいる/蟹股の/ズボンである/それは股中心の/人である」と続けられ、「犬」の好奇心を存分に活かしている。当然のことながら、形式である「犬」よりも、内容である「人」の順応性が遅れるため、「蟹」の記憶が残されてしまう様子も正確につかんでいる。それは巧みな詩的技法だ。また、ここでも「私」の姿を反復するかのような描写が行われるが、「私」が「人」として客観的に眺められることで、ついには作品全体の位相も変化し、何かが乗り越えられたように感じさせる。
その何かとは、おそらく末尾の詩句に含まれるものだ。「夜/目をとじてねむれば/犬も/ズボンも/前とともにどこかに吸いこまれ/体/のようにきえてしまった」。作品冒頭の条件をふまえるなら、消えることが「前とともにどこかに吸いこまれ」と修飾されるのに違和感はない。しかし、「体」のようにと比喩されるとき、読者はちょっとした目眩を覚えるのではないか。あえて述べれば、「人」には自己への客観性があったが、「体」にまで至ると主観的な他者性があらわれ、作者の分析癖が強くにおう。とはいえ、主体が眠るときに、「前」という新たな世界観も喪失され、自分の「体」が感じられなくなり、「きえてしまった」との言葉だけが残される展開は、語り手の柔軟性として理解できる。ならば、この柔軟性が、読者に超越の感覚を伝えるものなのだろうか。
おそらく「ズボン」の時点の作者は、不可解さをそのまま残すことをユーモアと捉え、そこに重心をおいて書いていたのだろう。それは「作品の末尾における、その肯定性も否定性も疑問性も、そのまま他者に向けられているというよりは、他者を気遣う詩人のあいさつのような留め方」とは異なり、未だ自己確立に向けた葛藤の自画像なのかもしれない。その点で、「犬」の「よろこび」が、「私」の「よろこび」につながるまでには至っていないと判断できる。あるいは「体」が「人」に戻り、「人」が「私」であって良いと安堵できたとき、柔軟性が世の流れに身をまかせるとき、詩人の詩論はひとつの完成をみるとも思われる。それは「犬」ゆえの自在な散文性、換言すれば、解放の喜び、私とともにいる喜び、なかにいることの肯定を、詩の喜びとして受け入れられたということだろう。
以上は、この詩人の未来を想像しながらの仮説だが、おもいつきとして記しておく。
ところで詩歌の歴史のなか、現在の現代詩の主流の特徴をひとことで述べると、回顧性にあるといえないだろうか。高齢化社会、格差社会、ひきこもり社会の影響が大きいのかもしれないが、作者の生々しい声の伝わってくる恋愛詩も少なければ、笑いの要素はさらに一部の詩人に限られている。むしろ過去の経験や知的興味に基づいた内容を不自由にフィクション化し、表面的には華麗な断言を作中にちりばめつつ、全体として落ち着いた文体の構築を目指す傾向にあると考えられる。それはまるで亡霊のための言葉のようで、実際、詩人のつきあいとは、書くことをやめれば切れてしまうのが常らしい。
貞久氏の詩は、そうした流れに抗っているようにみえる。あくまでも生を肯定するために書かれ、それは人との関係を信じつつ、現代という「前」とともにあるだろう。
竹内敏喜(たけうち・としき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)