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今、詩歌は葛藤する 
〜『渡世』、詩はすでに語っている〜

竹内敏喜

 このコーナーに取り上げようと思っていた何点かの詩集を、数年ぶりに読み返した。しかし、心を動かされなくなっている事実に直面して、空しい気持ちを抱えながら、このところを過ごすことになった。それらの詩集を読み飽きたという感覚はない。さしあたり指摘できるのは、そこに描かれている詩的世界に、不自由さを感じてしかたがないということだ。その意味で、これらの詩は、同時代の言葉から抜け出せなかったとも判断できるが、むしろ詩を通して自己を自由にしたいといった気持ちに、はじめから作者が向かっていなかったのではないかと、あらためて気づかされたのかもしれない。
 ひとまず一九九〇年以降に刊行された詩集を対象として、順に現在に近づこうと予定していた。この期間を選んだ理由は、筆者がリアルタイムで詩集を手にしていたからで、詩人を取り巻いていた時代の雰囲気も、記憶に残っているからに外ならない。当時を回想してみると、家庭にパソコンや携帯電話が急激に普及しただけでなく、資本主義に根ざした経済社会の閉塞感や、現代思想にふりまわされてきた文化全体に停滞感が起こり、他者とのコミュニケーションの形式も、再びマイノリティーという価値観に変化していく過渡期にあったと思われる。そうした状況下において、日常への圧迫感をみることも、表現における新しい解放感をみることも、人それぞれ、場面さまざまにあったと想像されるが、結果的にほとんどの表現者が方法論の枠内で格闘したがゆえに、詩や物語の意味は固定化し、そうとは知らずに自己を見失わざるを得なかったようだ。彼らは、試合では役に立たない超絶技巧者に似ており、見世物として喝采を浴びるとしても、人の心に圧倒的な感動を与えることはなかった。
 一般に、詩人は言語の現実に関心を持つ。換言すれば、現にある人間社会ではなく、人間社会がなくなったときに事物と存在はどうなるか、そこに関心を持つ。それはけっしてノスタルジーの気分を意味しない。逆に、最初に言語が断言としてあり、それが純粋であれば、断言の意味そのものに先行すると認めることだといえる。それこそが詩の特質だ。こうした考え方は、モーリス・ブランショの著作に負っているが、ここではその後に展開された彼の思想には触れずに、詩を純粋な断言とみる認識についてだけ、優れた詩論として紹介しておきたい。
 また、はからずも純粋な断言に似てしまったものとしては、古くから存在する地名が挙げられよう。極端にみると、標準語が事物のレッテルの役目しかつとめないのに対し、方言として残っているような民俗語は、それを使用してきた人々の意識を背負っている。そうした地名を手がかりにして地形を推察することができるとともに、その地形にどんな地名がつけられているかを調べることで、その名を認めた共同体の意識を探ることができる。この観点からも、柳田國男が執拗に民俗語の蒐集をつづけた理由は納得できるだろう。彼の行為は、純粋な断言を前に、ふさわしい解釈を選り分け、ついには死と再生の現実を自覚することだったとも思われる。これは詩を読む態度に一面では似ているものの、まったく同じとはいえない。しかし、その姿勢を、さきほどのブランショの詩論の立場に重ねてみれば、読者は純粋な断言に向き合い、どんな解釈を楽しもうと、しだいに生と死の発生を認識せずにはいられないとも捉えられ、作品の本質を見定めるにあたり、なんらかの死の観念の確認は、未だにもっとも大事な要素だと考えられる。
 一説によると、日本の国生みの神話は、世界各地でみられる洪水神話の一部だという。その論理から導かれるのは、古事記などの日本の神話には、人類の堕落と、神罰による大洪水の来襲といった主題が失われており、高いところから落ちるような失墜感が淡いとの見方だ。そのためなのか、神話のもたらす最大の刺激であろう原始の楽園への郷愁が、日本ではあまり見当たらず、強いていえば、スサノオの追放された妣の国に思慕が向かったと考察されている。つまり、水平線の彼方に故郷を求めようとする感性が強いらしい。
 これらの学説だけで、日本文化と他の文化との、罪や死に対する態度の根底的な相違を導くつもりはないが、例えば「神」について両者が異なる反応を示すときの、無意識的な背景として、ひとつの参考にはなるかもしれない。それこそ、大戦を経験した二〇世紀半ばにおいても、混沌とした世相のなか、ブランショは自死による死の現実化に自己の自由を主張して「神」を排除するだろうし、柳田はさらに遠方に民族の起源を探りつつ「神」の探求を止めなかったことが、思い合わされる。
 ところで、管理社会に慣らされた現代人に、そうした感慨が持てるのだろうか。今、このように連想を辿りながら、ここ数十年の詩的世界に不自由さを感じてしかたがない理由が、おぼろげながら想像されてきた。それは、書き手にも読み手にも、生きるうえでの緊張感が欠けていたという事実である。確かに経済生活における危機は、個人それぞれにあったにちがいない。しかし、そうした次元の話ではなく、そもそも生物の本来の姿とは、外部に対して緊張感を持つからこそ美しいものとなって現れるのではないか、との問いかけだ。詩句でさえ、逆説や矛盾を孕んだ一節には単純に魅力があるが、観念の小細工でしかないものなら、二度読む必要はない。表現者は、どんなかたちであれ、結局は自己との闘いが続くと理解すべきであり、ときに日常の様子とは異なる自然の過激さを経験した際に、本当の模範を感じ、見失いそうになっていた情熱が復活したりもするだろう。
 日常にとっての自然の過剰さとは、恋愛や死別、自然災害などの現象となって個人に襲いかかる。そこでの緊張感を、単に不安として受けとめるのでは、平和ボケといわれてもしかたがない。実際、状況に即して最善の行動を選択するしかないのだから、現実逃避の気分で自己の現状に閉じこもっても、不幸が広がるだけだ。こうした理屈には、様々な見識から反論が出ることも承知している。それでもなお、この時点で、純粋な断言としての詩の意味について考える必要を感じざるを得ない。なぜなら大災害の後、とりわけ大洪水の後こそ、神話が新しく始められるとは歴史的真実だからである(福島の原発事故がこの例外だとしたら、まずは人災面での情報を追及せざるを得ない)。
 おそらく神話の発生とは、過去の危機に支えられた現在の平穏の価値を教えるだけでなく、純粋な断言が、永遠にあり続けるようにみえる秘密をも潜ませている。それは、亡くなった者の魂を鎮め、生き残った者の悲しみに共鳴して歌うような、救いというテーマに沿って現れる。また、近くにあっても、人々は気づかないどころか、排除しようとしたものだろう。そのように本物の詩は、常に語りかけているものだ。つまり、その言葉はすでに書かれているのである。
 こうして今、一冊の詩集を思い出した。荒川洋治の『渡世』(一九九七)である。最初に、その「あとがき」の一部を引用したい。「この詩集では、ぶかっこうでも、粗雑でも、自分自身の見方を示すようにしました。舗装されていない場所では、ころんだりもしていますが、詩の言葉には自由があり、そのあたたかみを知ることにもなりました。またたしかに、いまは人に向けて、冷たい風が吹いているのだとも感じました」。この言葉を信用することは、生きた詩に近づくことでもある。
 詩集からは、行数の長い作品が多いため、比較的短い「坂東」を挙げたい。詩作の方法として、複雑な場面転換を多様する荒川洋治も、この詩の場合、主題への焦点が取りやすい。また、セクシャルな暗示がいたるところに見られるものの、それらをひたむきに生きる存在へと集約することで、個と個が向き合う人間らしい関係を描くことに成功している。なにより、純粋な断言である一行「いつも何かはガラスの中にある」が心に響き、読み手に大きな問いかけを残してくれるのが快い。

坂東一帯が
坂東とはずれた一帯とどう異なるのか
ということは
世間の風向とは別に
自分でもよくよく考えたが
どうにもよくわからなかった

 私はその雨の日、
 彼女の洗濯したもっとも小さな下着を
 少しでも彼女のために
 早くかわくようにと
 近くにあった
 ライトのスタンドの上にのせ
 しばらく茶をのんだり
 昼の男性の本をめくっていたところ
 焼ける匂いがしたのか
 彼女が飛んできて
 彼女の顔は彼女のかなしい顔になった
 下着の中心部に
 島のような
 火が降りたのだ
 私と彼女はそれから彼女のために
 かなしい顔をした
 彼女はそれを身につけてふわりと外出した

さて私は後日、坂東のいなか町の建物に入った
柱状のガラスの中に
短歌が一首ずつ入っていた
そのとき私はそれが坂東であると感じたのだ
ガラス・ケースの中で
月をうたう万葉の歌は月と配置され
くさやぶにすわりこむ古今の男の歌もあった
それはたしかに、くさやぶにすわっているのである
それらガラスのなかの人形は
掌にのるかのようにかわいいものだが
歌の状況をくっきりと示すあたたかな気配のもので
私はその建物の外に坂東の大地がよくよくひろがりながら
みだりにものを引きうけず
月夜にもたけやぶにも
沈黙がなされているさまに情意を深く支えられた
いつも何かはガラスの中にあるものだ

 彼女もまたガラスの中に踏み出していた
 焼けたところを裸身の一部にあて
 もうじき春の来る坂東の大地の
 町なかへとすいこまれていくのだ
 私は昼の男の本を捨て
 それを坂東の一角で想像するのだ
 ライトの肌着はそのあとも
 ときおり燃え移るそぶりを見せ
 彼女とともに現われながら
 夜でもないのに
 至るところで沈黙し
 ガラスの月夜をつきすすむ

 読み終えてまず、「ガラスの中にある」ことを肯定するとは、いわば諦観ではないのか、と思う。あわせて自作解説にも似た、「歌の状況をくっきりと示すあたたかな気配のもので/私はその建物の外に坂東の大地がよくよくひろがりながら/みだりにものを引きうけず/月夜にもたけやぶにも/沈黙がなされているさまに情意を深く支えられた」の告げている内容は、限られた交友範囲内で、充実感を得ようとするスタンスだろう。その結果、語り手の意識において享受される自由と、この詩作品が任意の読者に感じさせる自由とは、ほとんどのケースで重なりはしない。困ったことに、この隔たりが解消されない限り、理想的な「沈黙」は成立せず、詩の内容が真に読者に伝わらないとも考えられる。そこで思い当たるのは、法に支配された現代人にとって、そのとき、その場で、皆が同じ自由を感じられるのは、相互扶助的な共同体が発生する災害後の無秩序の最中くらいではないか、という論法だ。
 同詩集中の「VのK点」という詩には、次の一節がある。「Vのゴム靴は/危険なK点をさらに延ばす/美徳の欲得へと延びつづける他に道はない/白い足首を汚し/「がらめきの水」につかる/それはだが世のため人のためでも助け合いでもなく/自分のためである/自分を感じとる場所も引き留める場所もいまや/この日本にはどこにもないのだ」。「V」とはボランティアの略、「K点」は限界点の比喩であり、この作品は、福井でのタンカー事故にともなう海岸の油の処理のため、各地から手伝いに集まった人々の様子を風刺している。どこにも「自分を感じとる場所」がないから、他人の場所に長居する彼らへ、作者は一種の哀れみを感じているようだ。逆に地元の人間については、新たにみつかった油の処理場での、無理のない自然体の活動が報告され、しっかりとした定住者への共感が示されている。この共感の根拠を探ると、作者によって、生死の匂いが嗅ぎ分けられているのがよくわかる。それは「Vのゴム靴は/危険なK点をさらに延ばす」ような無茶なものではなく、平凡と呼ばれさえする浄化意識だ。
 たいていの日本人なら、東日本大震災の現場で、「VのK点」を声にすることはできないだろう。だが、この詩に記されているような、ボランティアという存在を批判する気持ちを、心のなかに持っていない日本人も稀れだと思われる。なぜなら、それは外部から強制される秩序を代表するからである。無論、政府のあり方も同類には違いないが、その権力に抵抗する術を、われわれは見失っている。こうした認識のうえで、今という、そのとき、その場において、ここは日本なのだろうかとの疑いを頭によぎらせた人には、世界が見え始めるはずだ。それは、「いつも何かはガラスの中にある」ことを自由だとする世界観を、逆説として受け入れ、自身が外部でもあるとの意識で、「存在=自由」を人々に共有させるきっかけを、垣間見せる瞬間である。

(二〇一三年一一月二〇日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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