吉岡実と舞踊
隅田有
詩と舞踊は親和性が高いのだろう。クラシックからコンテンポラリーダンスまで、詩と詩人にまつわる様々な舞踊が作られて来た。テオフィル・ゴーチエの詩『Le Spectre de la rose』をもとに作られたパ・ド・ドゥ『薔薇の精』("Le Spectre de la rose" 1911年フォーキン)や、バイロンの長編詩から想を得た全幕バレエ『海賊』("Le Corsaire" 1856年マジリエ、1863年プティパ)などは、初演から百年以上を経過した現在でも上演される人気の演目だ。ステファヌ・マラルメの詩をもとにドビュッシーが作曲した『牧神の午後への前奏曲』は、ニジンスキー版『牧神の午後』(1912)を筆頭に多くの作品に使われている。
舞踊もまた詩人に様々なインスピレーションを与えてきただろう。しかし舞踊から詩に向かって伸びるつながりは、長い時間ののちに薄れてしまうこともあるようだ。『リラの園』または『ライラック・ガーデン』の名で親しまれるアントニー・チューダー振付のバレエと、吉岡実の同名の詩との関係を紹介したい。
チューダーは20世紀に活躍した振付家である。ムーヴメントで登場人物の内面を描写する手法は「心理的バレエ」と呼ばれた。代表作の一つである『リラの園』("Jardin aux lilas" 1936年)は20分弱の作品で、月夜のガーデンパーティの様子を描いている。愛のない結婚を控えたキャロラインと婚約者、キャロラインのかつての恋人、そして婚約者の愛人の四角関係を中心に、ひと癖ありそうな男女が次々と登場する。キャロラインとかつての恋人は人目をはばかり別れを惜しむが、何かと邪魔が入る。婚約者は愛人につれないが、こちらもお互いに未練がありそうだ。キャロラインが婚約者に促され、パーティを去る場面で幕となる。背景画には満開のライラックの花と大きな月が描かれている。
詩の中の「美しい妻」はキャロライン、橙色の男は(現在舞台で見る衣装の色とは異なるが)キャロラインの愛する男だろう。主要な登場人物は四人なので、舞台に忠実に解釈すると、髯の男と緑の女は残りの二人、婚約者と愛人となる。
「純粋な恋の跳躍」「女は支えられる」「なやましい絹の足がまじわるとき」は、そのまま作中のパやパ・ド・ドゥの描写のようだ。本作の振付は、様式美に優れた、いわゆる"クラシック・バレエ"のそれとは異なっている。ポーズは絵としての美しさもさることながら、役柄の心の内を表し、ステップは高度なテクニックを強調することなく、流れるように続いてゆく。したがって「ただいちどしかできない角度」という言葉は"シークエンス"が美しいチューダーの振付を的確にとらえている。橙色の男、緑の着物に加え、ライラックの紫色や、狂ってのぼる月の黄色など、本作はまた実に色彩豊かな詩だ。『果物の終わり』(詩集「紡錘形」より)という作品の中に「オペラ館の極彩色の舞台の予言の歌手たち」という一行があることからも、劇場の色とりどりの照明や衣装は、吉岡実に強い印象を残したのだろう。
『リラの園』の日本初演は1954年。上海バレエ・リュスで活躍した小牧正英率いる小牧バレエ団が8月から9月にかけて、東京の日本劇場(日劇)や大阪の北野劇場で上演した三本立てのうちの一本であった。チューダー本人とチューダー作品を得意とする花形ダンサーのノラ・ケイが来日し、トリプルビルは大きな話題になったという。9月末から10月にかけては、チューダーとケイの送別公演として『リラの園』が再び日劇で上演されている。詩が作られた年代から推測すると、おそらく吉岡実はこの公演のいずれかを見ている。『火の鳥』と『カフェ・バア・カンカン』または古典二作の抜粋が同時上演されているが、果たして『リラの園』以外の作品も吉岡実の詩の中に見出されるのだろうか。
なお本作の音楽はショーソンの『詩曲』。こんな所も詩と関係の深いバレエなのであった。
参考文献
糟谷里美「バレエ振付演出家 小牧正英(1911-2006)研究 : バレエ・ルッスの日本への導入をめぐって」2014-03-24 Ochanomizu University Web Library Institutional Repository
日本芸術文化振興会『日本洋舞史年表I 1900〜1959』
隅田有(すみだ・ゆう)
第一回びーぐる新人
The Dance Timesに、2010年より舞踊批評を書いている。
詩集に『クロッシング』(空とぶキリン社、2015年)