佐藤正子『同い年』(水仁舎)は、一九四五年五月三日生まれで〈戦後〉と「同い年」の著者が、護憲と改憲にゆれる世の中にぶつけるように出した詩集だ。自らを「愚人」(あとがき)とよぶ詩人は、じつは〈愚行権〉も
といい
と向かう。
憲法を護るとはどういうことだろう。
その最良の方法のひとつは、保障される人権を思いのままに行使することではないだろうか。そうでこそ詩集は「頭でっかちかと思えば心でっかちでもある」〈わたしのこころ〉のままに構成される。愛も、感謝も、憤りも、耽溺も、母性も……。この構成が映し出すのは、憲法がめざした自由な姿だ。
「こっけい以外に人間の美しさはない」といった作家がいたが、時にこっけいのようであり愚弱ともみえる人のこころのまま生きる姿は、それが少数派になるほど、じつは憲法によってしか護られ得ない。この詩集は、人のうつくしさのきわを描出することを以て、憲法の価値を語る。「同い年」とは、戦後憲法にかばわれてすくすくと生きているすべての同時代人をも指すだろう。
この詩集はどこからきたのか。人らしくいたいと思い、そうあろうとするきわめて個人の道ゆきからきた。一冊を貫く縦の線として据えた護憲をも時にわすれたように、恋に酔い、老いに戦き、子を想うほどに人間的なひとりの人からきた。
ひとりで立つその立ち姿がうつくしく、愚かしく、大事であることが、護憲に通じると。自分の生き方はこうだと。賢くあるという錯誤より、愚かであるという分別に生があると。