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佐藤正子『別れの絵本』

(ぜふいるす館、1979年10月15日発行)

この詩集は、一生手放すことはないだろう、と
手にしたときから感じられる詩集があります。

本というのは、読むこちらと直接の結び付きを持って
それが生涯褪せないと、おおげさではなく言えるものだというのは
不思議なことでしょうか、ごく自然なことでしょうか。

そこに書かれた詩人の真実が、
疑いようなく伝わってくるものに惹かれます。

人が生きる軌跡が、詩の姿をとったとき
なぜその人の、なにもかもがありありと出てしまうのでしょう。
そこに言葉の魅力とこわさがあり、
それが詩そのものだというのは、ありふれた感想にすぎないかもしれませんが
そうした一冊をひもとくとき
あらためて詩の、詩集の、魅力と深淵に近づく気持ちになります。

『別れの絵本』は、
ふたりの子を見つめる章(I)と、両親との別れを語る章(II)の、
二章から成る詩集です。

死の厳然とした重みを知る人が
生への愛情を注ぎながら、なおその愛情を言葉にしようとする、
それはどんな営みだろうかと思います。

きっとそれは、愛情とも悲しみとも、近しいけれど同じではない、
詩という表現に、自分を置くことであり、
そのように生身をさらすところに詩が生まれる、という詩作には
家族を題材にするときには殊更、
命を詩に刻み込もうとする、書き手の決意が織り込まれると感じます。

母   佐藤正子


いつもあなたの日々を引き締めた
いっぽんの帯をもあきらめ
起きたばかりの風呂場で
あなたは
その いのちを弛めてしまった
ひっそり ふるえる体を
 吊ることによって

わたしはあなたの 白い末っ子
凍る心であなたを拒絶し
湿った梁に 帯を結ばせてしまったような
白い娘

それなのに いま
まるまるとあたたかい
たしかな 重いいのちをふたつ
母という名で
わたしは抱いている

お祈り   佐藤正子


 これからまいにちおいのりしようね
朝の食卓にならんで
 七才と五才が相談

そして あわせたちびちびの指先を
まるいあごに埋め
 閉じた眸のふくらみに
  朝陽のはげましをうけ
いま おいのりした

 かみさま
 おかあちゃまを
 おばあさんにしないでください
 死ませないでください
 おねがいします

そうだったの ありがとう
だいじょうぶ 死まないよ
たからものをのこして逝けないもの
だから
なるべくゆうっくり おばあさんになろうね

それに
ふたりのおいのりをおまもりにすれば
もう死まないさ きっと

文/白井明大

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