さて本当に好きな詩人の好きな詩集であるのにいざ言葉にしようとするとラブレターを世界に公開するような気恥ずかしさと、好きを説明するために失礼なことを言い放ってしまいそうで恐ろしいのだが覚悟して書く。
あとがきによると、この詩集は私家版で出したいくつかの詩集から再編集し、また新しいものを少し加えたものだという。
しばらく彼女の動向を知ることができなかった私にとって、偶然知ることができた今回紹介する詩集の出版情報と、それをポエケットで直接彼女から購入できたのは幸運だった。私家版もそのとき並んでいたのだが経済のために泣く泣く諦めた。おのれ経済。
しかし変わらず書きつづけていたことに安心して、彼女の詩の手触りを確かめるように読み、深手を負い、また読み進め、抉りとられる繰り返しに、そうだこれが私の思う彼女の詩の魅力だったと思い出す。
とても優しい人がいて
その人がにこにこと一緒におしゃべりしてくれている
飲み物を持ってくるからと一度席を離して
戻ってくるとこちらに気づく前、そのとても優しい人が先程とまったく違う強い眼差しでどこか遠くを見たまま一人でいる
わたしがかぼさんの詩を読むときに感じる気づきってこういうことだ。
ただ優しくてかわいい、という手触りに安心したところで、
必ずどこかで張りつめた言葉がぱんと弾けて、そこでようやく、こちらが勝手に受けとった優しさにもう少しで甘えてしまうところだったと気づく。
かぼさんの詩はかわいい。
詩の、紙に印刷された、ぱっと目に飛び込んできた字面がかわいい。
出てくるキャラクター(この詩集では特に野生動物が多く出てくる)が、彼らがいきいきと彼らのルールで生きている様がかわいい。
寓話的なその語り口もかわいい。
そしてかわいさを、孤独な眼差しが貫いている。最初から最後まで、ぶれずに、慎重に、細い糸がピンと通っている。
こちらが少しでも手を貸そうとすれば、それすらも拒んで、そのために途切れてバラバラになってしまいそうな、バランスの危うさに読んでいると目が離せなくなる。
しかしその糸が切れることはない。
目の前を通過して、はるか遠くまで、光を反射しながら糸は続いていく。切れてしまいそうな限界の淵を沿って。
できればこの先も、キラキラ光る糸を追いかけていられるように。