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斉藤倫『手をふる 手をふる』

(あざみ書房、2004年10月10日発行)

斉藤倫の第一詩集です。
いまよりもう少し若かったころ、
なかよしのともだちと昼下がりや夜更けにあてもなく歩きながら交わした会話を、
思いださせてくれた本です。
歩きながら、話している感じがします。

一見ひとりごとのよう、とりとめがないようでいて、事物の大事な関わりについて、
「聞かせようと」してくれる本です。
とりとめのなさについては、
その構造を自ら説くような一篇があります。

見えないものの鳥の頭   斉藤倫


見えないものの鳥の頭
それが大きいかどうかは別にして
それが浮かぶかどうかは別にして
それが光沢をもつかどうかは別にして
それがその
でんとした存在感で
ぼくらの胸をうつかどうかは別にして

すべてを別にしたときに
もう見過ごすことのできない
ゆるがせにできない
痛い痛い空虚があらわれたなら
ぼくらは畏れ
大きく歓声を揚げながら
それをまた別にするのだ

すこし隔たったところから、声なく呼びかける。
かさねて、いくたびも呼びかける、
「手をふる 手をふる」
そんなタイトルのもとに束ねられた、
詩群のかたりくちはやわらかにみえますが、
なかみはせわしなく動いて、
切迫する片鱗です。

「でもここに/たどりつくまで/ずいぶん遠回りしちゃったなあ」に着地する一篇からはじまる、
『さよなら、柩』(思潮社、2009年7月30日発行)を読むと、ずいぶんさばけているのに驚かされます。


『手をふる 手をふる』で交わされる会話には、くつろぎと、閑散があります。 心地よいのだけど、ひらひら翻り流転する会話は、皮膚だけのふれあいのようにも感じます。

『さよなら、柩』では、自分の「ある一定の目線」だけで見るのではなく、その視点と発語が、運動していきます。
その手足を伸ばすような躍動ぶりに、第一詩集で「見つめるものよりいつも小さいまま」と書かれていた「わたし」って、
ひょっとして我慢していたんじゃないか、ずっと焦れていたんじゃないのか、とにやついてしまう。
こんなふうに比較して読むのも、おもしろい。

ぼくらの都会は
からっぽだね
ぼくらのうたは
からっぽだね

しんでもいいとか
ゆってたのに

ねておきたら
愛とか
すすけてきたね

     (「白い歌をきいた」より部分抜粋)

文/丘野こ鳩

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