『悼 大西和男さん』
空気のような存在感の人がいます。
いつもかたわらにいて、淀みなくたゆたい
実は、かけがえなく、要石のように場を支えている人。
大西和男さんのお名前は聞いたことがあっても、
その仕事の全貌は、この本を読んで初めて知りました。
小学館の永遠の詩シリーズに携わっていらしたと知り、
そのうちの一冊『山之口貘』を好きで大事に読んでいたので
そうだったんだ……と驚きました。
『永遠の詩3 山之口貘』(小学館、2010年1月30日発行)
1970年、財政的に苦しかった詩学社を救うために
力を尽くされていたこと、
石原吉郎や北村太郎ら、名だたる詩人の詩集づくりに携わっていること、
近年ではたとえばアーサー・ビナードさんの仕事を
さまざまな出版社と結びつけたこと……等々。
本ができあがっていく過程では
ほんの一言、その言葉が場に差し出されるかどうかで
がらりと本の方向性も佇まいも変わってしまいかねないものだと思います。
そんな本づくりの場で、
大西さんがいかにかけがえない存在だったかが
本書中に寄せられた追悼文を読むと伝わってきます。
たとえば「永遠の詩シリーズ」に関して。
何と彼は石垣さんの遺族のもとに日参し、書かれたものにすべて目を通し、年譜の間違いも調べ、貯金通帳!まで見て、更には本籍地の寺にも行き、墓参をしたついでに、詩碑のチェックもしてきたのだ。そのためこの『石垣りん』詩集の中には、著者の秘蔵の写真や、生前誰も知らなかった墓所の詩碑に刻まれていた「契」という文語体の詩を、最後に載せることができたのであった。
(井川博年「大西和男さんとの付き合い」)
私が詩のアンソロジーを企画したい、と言い出した時のことでした。(中略)大西さんは早速、私にさまざまな知恵を授けてくれました。「何人かのくわしい人間で集まって自由にトークしてみようよ、どんな詩人が好きか、どういう詩が好きか、そばで聞いてるだけでも勉強になるだろう」と言って、音頭を取ってくれました。そのブレストでも、もちろん私はちんぷんかんぷん。でも、なんとなく、詩ってどういうものか、本当におぼろげにですが、その存在が浮かんできました。
(土肥元子「妖精のような人」)
たとえば詩人を誰かに橋渡しする日々の中で。
「あのね、ぼく、これを作ったんだ。若い詩人だよ」
喫茶店の小さなテーブルに
自分が編集した新しい詩集を置いて
その詩人の魅力を
一時間でも二時間でも語る
口角にコーヒー色の泡を溜めて
(永田仁志「大西さんのいる風景」)
また、大西さんと長年懇意になさり、
本書をご恵与くださった小柳玲子さんが、
大西さんの温かな人柄が伝わる、こんなエピソードを紹介しています。
大西さんと正式に挨拶を交わしたのは、一九七二年一月らしい。石原吉郎さんの仲立ちで、出来上がったばかりの西脇順三郎詩画集『蘀』(筆者註:同書は大西さんが詩学社から自費出版された書籍)を、私が当時経営していた「ときわ画廊」に見本としておいていただけないか、という申し出だった。(中略)見せられた詩画集があまりに美しい豪華本なので、汚したら大変!と私が怯んでしまった。で、「その本、まず私に売ってください」と申し出た。自分の本なら汚れたってかまわない、おいくら?
ところが大西さんは泣き出しそうな顔で、石原さんの背中に隠れてしまい、そんな押し売りみたいなことはできないと、大判の画集をしっかと抱えてちぢこまっているのだ。
(小柳玲子「なかよし、だった」)
いま、手もとにあるのは
掌にすとんと収まるほどの小さな布装の詩集、
佐藤正子さんの『別れの絵本』(ぜふいるす館)。
シンプルなスリーブから本を取り出すと、
イニシャルを銀箔で押されたブルーの表紙。
開けば、美しい赤い花柄の見返しが挿まり、
気持ちが落ち着いていきながら
詩の世界に入っていけるよう。
これが大西さんの仕事だと知ると、
さまざまな詩集の編集や装丁を手がけられた、
その詩人や詩への愛情をひしと感じます。
佐藤正子『別れの絵本』(ぜふいるす館、1979年10月15日発行)