江戸時代の禅僧、良寛の書に惹きつけられてなりません。
気の向くままにたゆたうような筆運びから生まれる余白が、限りない広がりを持った空間のようで、眺めているとこちらの心までが寛ぎ、ひらかれ広がっていく気持ちになります。
ざくろが好物だったと物の本にあり、人から贈られた七つのざくろを喜んで詠んだとされるのが、上に引用した歌です。「酒を飲んだ後のざくろは、さっぱりとしておいしいとその味を称えている」(山崎昇『良寛』p28)
万葉集を好んだとも聞きますが、これらの歌をみれば、たしかにそうと伝わってきます。うれしさをうれしさのままに詠み、言葉の姿をあえて整えようとはせずとも、心を辿ろうとする言葉の運動のままに歌を成すような作風に感じます。
晩年の作という、もみじの句は、これもまた万葉を感じさせる、心を包み隠さない詠みぶりにして、事物のありようとそれを受けとる自身と、そして五なり七なりの音数の言葉とが連れ立って句をなすさまが心地よく沁みます。
うらとは何だろう、おもてとは何をいうのだろうと思うこともでき、ただはらはらと散るもみじのさまだけを思い描くこともでき、やはり良寛の自由さがとうとうと満ちあふれています。