貘さん、という詩人がいました。山之口貘と書いて、やまのくちばく、と読みます。戦前から戦後にかけて活躍した詩人です。
沖縄に生まれ、絵描きを夢見て上京したのが、いつの間にか詩を書くことが生きる中心になり、故郷からの仕送りが途絶え、身寄りのないままその日暮らしのように、詩の原稿だけを抱え、都下を住む部屋も仕事も輾転としながら過ごします。あるときは公園のベンチで眠り、またあるときはダルマ船に住み込みで働き、住所不定の貧乏詩人の代名詞、とさえ言われるようになりました。
でも本当は、そんな世間向けのレッテルでは、貘さんという人間を呼び指すことはできません。生きるところに詩があり、詩があるところに生きる姿がある。そんな貘さんの詩は、ゆらぐことなく、人間の本性を照らします。
座蒲団に坐ることを、さびしいといった。貘さんの代表作のひとつです。那覇で六十年以上続いているという、古い民謡酒場で飲んでいると、店のご主人が「ここに貘さんが来たことがあります」と教えてくれました。そして店の二階へ案内していただくと、この詩が刷られた暖簾がかかっていました。
濃い静かな空間に、貘さんのいた名残りがあったかどうか、酔った身で何が感じられたわけでもありません。ですが、たしかにここにいたんだと思うと、土の世界からいまの世の中まで、ぐるんとあたりが回るような気持ちがして、一体いま自分が立っているのはどこだろう?と、不思議な時空へ連れ出される思いに駆られます。