今月のコトバト
2013.8
月 中原中也
今宵月は蘘荷を食ひ過ぎてゐる
済製場の屋根にブラ下つた琵琶は鳴るとしも想へぬ
石灰の匂ひがしたつて怖けるには及ばぬ
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!
さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちてゐる、いやメダルなのかア
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやらう
ポケットに入れたが気にかゝる、月は襄荷を食ひ過ぎてゐる
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!
illustrated by ©Yuh Morimoto
中也の詩には印象的なフレーズが、というよりも、ひとたび触れたら忘れられず、ふとした時に口をついて出てきてしまうほど記憶に残るフレーズがあります。
今宵月は蘘荷を食ひ過ぎてゐる
ほんのこの一言が、中也の詩を中也の詩たらしめるのはなぜでしょう。
中也が自身の詩に関する考えを述べた文章のなかに、こんな一節が出てきます。
「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。
(中原中也「芸術論覚え書」より)
手なら「手」という呼び名が名付けられる以前の、手そのものをどこまで感じられるか。自分の実感から生まれる言葉そのものを書き付けようと、あらゆるものを置き去りにしてきてそれでも掬い取りたいと心底思える意だけを見出そうと、そこに中也は一身を賭けます。その意を追いかければ追いかけるほど人は裸になるものですが、そうして裸になったとき、剥き出しの姿がなおも詩を希求しつづけているところに中也の詩の魅力があるように思います。
文/編集子