あの日から
小網恵子
3月が来るとあの震災の日を思い出す。昨年の秋に訪ねた会津の町には福島県の大熊町から避難して来た人達の住む仮設住宅があり、そこで震災の日のこと、今の生活について話を聞いた。「仮設住宅は5年しか使えない。あと2年しかここに住めないのに、この先どうなるか全くわからない。不安だけがある。」と。除染が進まず、それぞれの家族がこれからどうやっていきたいのか役所が各戸に聞き取り調査をしていると話していた。先日の新聞(2014.1.16朝日)によれば町の低線量地域に3000人が住む復興拠点を整備する方針を決めたとあったが。2011年、震災の後に発表された詩を紹介する。
震災と、死者としっかり向き合うというメッセージを感じる。津波にさらわれたことにより死者は鱗をまとっている。津波の犠牲者という一括りの外見、そのひとりひとりの内側を見つめることが硬い鱗をはがしていく行為なのだろう。1枚1枚がその人の思念のように思える。2万人にものぼった死者がそれぞれ歩んできた人生を思うこと、それを私達は「ねむりの土地」として心の中に置いて生きていかなければ、と問いかける。3連の「この世のきりぎしに指をかけ、膝をそろえて立ち上がり、ゆるやかに一歩を踏み出す」では私達がこれからするべきことについて、さらに考えさせられる。
日本では祈りの象徴である千羽鶴を折るという行為、その折られた鶴を見つけたことから展開していく詩だが、苦難を受けた人へエールを送る詩と言っていいかもしれない。私達がひとを思い、また思いを感じることで生きていく、そのシンプルだけれど大切な心持ちを改めて感じる。「普通に生きる」ことを断った地震、津波、そして原発。今、なお不安をかかえる人々をどう私達が支援していくのか、原発を私達の国がどう考えていくのか、目先の経済だけでなくもっと長い先を見通して進んでいかなければと思う。鶴を折ることは自分の今の場所を確認するという意味も持つのだ。
小網恵子(こあみ・けいこ)
1952年東京生まれ。1998年詩学新人。詩集『雲が集まってくる』(詩学社, 2000年)、『耳の島』(書肆青樹社, 2002年)、『浅い緑、深い緑』(水仁舎, 2006年)