故郷を記す
小網恵子
お米や果物、きのこなど秋は収穫の季節だ。最近は季節の感覚がどんどん薄れてきているが、新米と書かれた幟旗や色あざやかな果物が店先に並ぶと心うきたってくる。故郷が東京である私もこの季節になると、よく実家から送られてきたという林檎や梨などのおすそ分けにあずかる。梨をタイトルにした詩から紹介したい。
言い伝えや昔の人の話を参考にしたと詩集の最後に記され、詩の中でも「私の夢の園」と語っているが、「赤梨」にはドキュメンタリーの迫力を感じる。梨畑に置かれたガラスの水槽に馬の首が沈められ、それが溶けて梨畑の肥料になるという話は、事実ちょっと前の時代にはありそうな出来事だ。厩を飛び出した馬が衝突した汽車は急停車、その馬の処理を短い言葉で活写し、緊迫した臨場感を生んでいる。そして反転する馬の首の描写。馬の哀切さを感じ読み進めていくと、「水の中の馬の目を見ていたかった」と馬への直接的な思いが語られる。「最後に水に浮かぶのは一対の目だろうか」は印象的だ。馬の目に意識が集中していくのは、肥料となって最期まで生ききった馬への哀悼の念と、馬の見てきたもの―馬と人が緊密な関係をもっていた時代の人々の暮らし―に想いがいくからではないだろうか。「赤梨」は皮が褐色の「長十郎」(最近はあまり見かけない)や「豊水」のような梨を指すらしいが、やや武骨な印象のそれは馬の様子に似つかわしい。同じ作者の詩で故郷の風景を描いた作品をもう一つ。
夕日の中の小屋を描いたこの詩は平明だが、故郷への切ない複雑な思いが読み取れる。「沼と集落の家々を区切るもろい崖の上」の家は自然と人が調和し住み分けていた生活のシンボルとも思える。人が流失していく故郷で無人の小屋は作者にとって一つの拠り所だ。そこに打ち付けられた支え板は村人の思いの結集だが、ヤモリのような違和感や怖れを内蔵している。外壁に打ち付けられた支え板、崩れることが許されない小屋。それは集落を守ってきた人々の善意の証ではあるが、一方では表向きを整えることに執心している因習をも感じさせる。そして「とてつもないものが小屋の中に住むのではないかと思わせた」という現在進行形で語られる。
作者は故郷の秋田を題材とした詩を多く書いているが、風土・歴史・風習などを深く汲み取って筆を進めている。今回取り上げた詩でも単に懐かしい風景に留まらない故郷が見えてくる。作品が書かれたのは東日本大震災の前だが、故郷を書き留めなければという意志を感じる。
小網恵子(こあみ・けいこ)
1952年東京生まれ。1998年詩学新人。詩集『雲が集まってくる』(詩学社, 2000年)、『耳の島』(書肆青樹社, 2002年)、『浅い緑、深い緑』(水仁舎, 2006年)
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