夏の記憶
小網恵子
今年は梅雨明けが早かった。しばらくはぐずついた天気が続くと思っていたら一挙に照りつける太陽の夏がやってきた。近くの小学校を通るとプールで歓声があがっている。子供の頃、プールは夏の代名詞だった。プールで溺れた記憶から生まれた詩をはじめに紹介する。
溺れそうになるという不安感はかなり強烈だと思うが、その記憶よりも妹の両腕と沢山の足の印象が大きいという。溺れるという地上での騒ぎとうらはらの水の中の音のない情景。それが時を経て、浮かび上がってくる。自分はえら呼吸していたのだという想像がのびやかに膨らんでいく。「水のいっぱい入ったコップ」はプールを連想させ自分とプールの関係のように思うが、さらに湖のほとりの山小屋で寝ている夢を見るという。夢の中にまで水は訪ねてくるのだ。えら呼吸している自分。子供時代への回帰の想いと読み取れる。
夏にまつわる詩ということでもう一つ紹介する。
今はもう亡くなった姉と弟、となると作者も死についてあれこれ考える年になっているのだろうか。姉と弟の様子が1・2連で象徴的に描かれている。「空の青さ深さをたばねるように洗濯ものを取り入れている姉」は美しい描写だ。それは姉の動作の比喩であると共に、生活の中で空が身近であったこと、または姉のその後の生き方を暗示しているのかもしれない。すると弟は「虫取り網の影を垂らしながら」駆け回っている地と結びついていく。「空」をたばねる姉と「地」を歩き回る弟―その対比が鮮やかだ。「小さな闇」もある「砂地の家」は崩れるイメージも感じさせ、必ずしも幸福感にあふれていた訳ではない。作者はその隔てられたむこうの世界を懐かしさと哀しみをもって見つめている。作者の原風景、そこに還っていくという想いが伝わってくる。
小網恵子(こあみ・けいこ)
1952年東京生まれ。1998年詩学新人。詩集『雲が集まってくる』(詩学社, 2000年)、『耳の島』(書肆青樹社, 2002年)、『浅い緑、深い緑』(水仁舎, 2006年)