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北川浩二『涙』

(ミッドナイト・プレス、2001年8月23日発行)

1999年あたりの『詩学』は凄かった、と思う。
とくに研究作品(投稿)欄には、魅力的な詩人がたくさん投稿していて、
その頃、詩を熱心に読みはじめたばかりの私は、
彼らの研究作品と選評を繰り返し読み、詩についていろんなことを学んだ。
日和聡子、蜂飼耳、沢田英輔、やまもとあつこ、寺田美由記、……。
それから、何といっても私が好きだったのは、北川浩二だった。

彼は2000年の詩学新人となり、現在までに3冊の詩集が出版されている。
今回紹介するのは2001年に出版された第一詩集『涙』。

ウォーカーズ・ハイ   北川浩二

はてしなくくだらないカップルのベンチのそばを
通りすぎるときおもう
ふたりをけりあげて
なぐられてでもはりたおしたくなる
ぼくは間違っている
大幅に
そんなことが求められているのではないので
わけもなく
ぼくは一体何なのかとおもう
何様なんだとおもう
しかし在るだけで
時々ぼくは ぼくのぜったい大切なものを
傷つけている
なみだが突然に
みっともなく鼻水とともにでてくればいいとおもう
年若い恋人ふたりが
ぼくをみてくすくすわらうとき
ぼくは 全く別の理由で
自分を情けなく感じている
歩きかたがおかしいような気がしたり
意識のとびかたが
おかしいとおもったりしながら
きっと ぼくはもう
実際の日本語を忘れるつもりでいる
立ちあがれ
立ちあがらねばぼくはないよ
さびしい国 さびしい家
さびしいひとりひとりの言葉をうけて
ぼくは 自分が
けっして自分のものではないと感じている
とっくに泣いているぼくの横を
とっくの昔に亡くなった
小さな心が通る
わけもなく
ぼくの引き出しが増える
とおもう
それを考えながら
ながすべき別のなみだにのせて
ついに ぼくが
何かいったようにおもう

こころのありようを、何とか言葉によってあらわそうとするけれど、
言葉とこころは、いつも互いにぴったりと嵌りこむということがない。
だからなるべく大事なところが伝わるように、
丁寧に言葉の方を足し引きして、目立たせたり省略したり、
こころのありようを、もっとありありとあらわそうとする。
北川浩二の詩には、どの一行にもそうした地道な格闘が潜んでいるようだ。
ゆっくりと読みすすめるだけで、詩を読むことのシンプルな喜びを感じることができる。

涙は、まるで言葉なしにただ存在するだけで、
こころのありようをありありとあらわすことのできる、数少ないもののひとつかもしれない。
だとしたらこの詩集はきっと、涙みたいになりたくて書かれたのかも、と思った。

花   北川浩二

さよなら といったかどうか
さびしいまま行ってしまったのではないだろうか
ほんとにさびしくなったら
(悲しみでいっぱいになったら)
気の弱い微笑をして
それでも
しっかりとした足どりでいくものだって
だれかがいってた
何だって
あとになってわかるものだ
たったひとりでがんばっていたんだなって
あとになって
みんなでしみじみするものだ
けれど
その彼は戻ってくる
彼は 戻ってきて
このみじめな世界に
きれいな
ちょっとありえないような花を植える

文/古溝真一郎

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