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茨木のり子『詩のこころを読む』

(岩波書店、1979年10月22日)


 この本を読んで欲しくて、たびたび人に贈ってきました。
 ある時、悦に入って友人に呉れてやると、「これ、前にもらった」と言われ、恥をかいたことがあります。
 それでも、彼女は快くもらってくれました。
 茨木のり子さんは、「情熱こめて」、一つ一つの詩を、心の中からとりだして語りだします。
 安西均、黒田三郎、岸田衿子、吉野弘、石垣りん……、その他たくさんの詩人による、主に「戦後の詩」を、読むにやさしく、平易な表現のものがほとんどですが、ときに、顔を赤らめてしまうようなとびきりの「恋唄」、ときに、やるせないけれどもユーモアに満ちた生活詩、などなどが織りなす言葉の饗宴です。
 茨木さんはこんなことをいいます。

 逆にダイヤモンドやミンクの毛皮は、身につけたいと思わないから、もらったとしても、がらくたなみ。一般には人間も、学歴や社会的地位で価値が決まるようですが、私のランク表によれば、役立たずのダメ人間とされている人が、すこぶる高みの椅子に坐っていたりします。
 (中略)
 というわけで、黒田三郎の詩ばかりでなくこの本で私が選んだ詩はすべて、一篇五億円くらいの値打ちありと思っているのです。

 この言葉に、僕はどれだけの希望をもらったかわかりません。そしてこれは、実はとても痛烈な社会への批評です。
 しかし、「一篇五億円」とは、なんとまあ楽しく鋭い想像であることでしょう。

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
(中略)
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまつて、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。

(金子光晴「寂しさの歌」より)

 「寂しさの歌」を引用して茨木さんは、「その題名にもかかわらず、全体を支えているのは憤怒に近い怒りの感情」といい、「金子光晴の詩業ぜんぶにも当てはまること」として、こう述べます。

さまざまな怒りはこの世に充満してしていますが、それを白熱化し、鍛え、詩として結晶化できているものは、多くの人の努力にもかかわらず現在でもいたって数は乏しいのです。

 ところで、この本のタイトルは、「詩のこころを読む」。「詩を読む」ではありません。詩の「こころ」を読んでやろうという試みです。
 レトリックよりも、詩人の生きた暮らし、詩に込められた詩人の思い、に力点を置いて、「結晶」になったそのこころもようを味わおう。
 「偶然に「誕生から死」までになってしまった」と語るこの本の構成は、人の一生に出会えた詩が、あるときには生活を彩り、またあるときには寄り添い慰め、詩とともに生きてゆく素晴らしさに気付かせてくれるのです。

 茨木さんは、濱口國雄の詩「便所掃除」を紹介します。

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
(中略)
くちびるを嚙みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞に おそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
心臓 爪の先までくさくします
落とすたびに糞がはね上がって弱ります
(中略)
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません

 この詩に寄せて茨木さんは、

重装備でじりじり地を這い、登山するのが散文なら、地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます。「便所掃除」は散文的な言葉のつみかさねからおしまいに、もののみごとに飛翔し、誰の目にもあきらかな離陸をやってのけているので、良い参考になります。

 と、やさしいけれどとても重要な詩論を展開します。そして、

どうぞこの人に、姿かたちも気だても美しい、人もうらやむ楚々とした新妻があらわれますように……でなかったら、怒っちゃうから、もう

 なんて茶目っ気をみせるのです。
 正直者が馬鹿をみる、そんな言葉があります。
 僕に、もし詩が産まれるのであれば、馬鹿をみても正直者でいたいと思います。

 詩ってなんなの? という読者には、やさしく詩の扉をひらき招き入れ、詩なんてしってるぜ! という血気盛んな若者には、詩の多様な表現をもって恥じらいを感じさせ、また、詩を志す者には、詩作の秘密のエッセンスと、重厚な詩の世界の感覚をもたらしてくれることでしょう。
 そんな本です。
 つまるところ、詩が、大好きになってしまうことうけあいの一冊なのです。

文/関口隆史

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