菱木紅『ジャムのふた』
(ドードー局、2002年10月30日発行)
たたかう兄ちゃん 菱木紅
兄ちゃんはいままさに
ねずみを縊殺しようとしている
二十ワットの電球がほのあかい
幅半間、細長い、炊事場で
三和土は黯々と濡れていて
丸刈り頭の兄ちゃんはしゃがんでいて
高下駄を突っかけた母親が
割烹着の裾を握ったまま
直立不動で激励する
マサル カワイソウヤカラ ハヨヤッタリ
兄ちゃんのちいさな肩が揺れ
首筋の血管はとくとくと走り
かぼそい左利きの手が大きく震えて
ねずみはいままさに
頸を火箸にはさまれて
縊死されようとしている
兄ちゃんを見下ろして
母親がふたたび叫んだ
マサル オトコヤロ
ねずみを殺した兄ちゃんは
明くる日の昼下がり
私の二の腕をおもいっきりつねった
この詩集と出会ったのはつい最近のことで、発行された2002年からは十年以上も経っている。発行された当時に読んでいたとしたら、あまりピンと来なかったかもしれない。若かったその頃の私にとって切実なのは「私自身」の有り様だったけれど、この詩集のなかでは「私自身」が控えめにしか描かれないからだ。そのかわり、際立って描かれているのは身近な他者への眼差しで、それがいま優れた魅力と感じられて読めるのは、私が結婚をし子を育てはじめたこととたぶん関係がある。
この詩集には他にも、夫や元夫、子ども、叔父叔母、幸田さん、タムラさん、サキヲと多くの他者が登場する。どれも身近な人たちばかりだけれど、かと言ってただ親密さが描かれているわけではない。むしろ身近な人たちに向けられる眼差しの冷徹さが、ひとりひとりの持つ孤独を露にしていく。配偶者や血縁者のように身近な存在であるほど感じる、触れられそうでいて決して到達できない距離。その埋めがたい遠さについて、たとえば子のことで夫婦の諍いが起こった夜に、こっそりこの詩集をひらきながら考えるのもいいかもしれない。どの作品も、確かにひとりひとりの孤独に満ちている。けれど最後まで読んで心に残るのは、やっぱりそれぞれの存在へ寄り添う、愛おしさなのだ。
井上照子もしくは「千恵子」 菱木紅
叔母井上照子は肘の内側に濃い茶色のアザを持っていた。
「これはチョコレートなんやで」傍らで彼女のオトコも
薄ら笑いを浮かべていた。暗いアパートの一室だった。
曇った日だったかもしれない。それはチューブ入りチョ
コレートを絵の具のように押し出した形をしていた。わ
たしはいくつになっていたのだろう。舐めるとほんとう
に甘い味がするような気がした。
学校から帰ると、円い卓袱台の上に大きな銀色の蜘蛛が
いた。塗りの剥げかかった「お膳」の真ん中に一匹だけ
乗っている。「ほら、銀色やで。こわいやろ」叔母が笑い
をかみ殺しているのがわかった。怖がってみせると、両
切りピースの箱のアルミ箔で作られた銀色の蜘蛛が、少
しだけ動いた。
叔母井上照子は幾つもの呼び名を持っていた。「千恵子」
というのもひとつの源氏名である。ほかのは忘れたがそ
れが一番多かった。水商売一筋だった。若いとき、未婚
で男の子を生んで、一歳で亡くした。腸チフスだった。
千恵子は大工の棟梁の妾だった。棟梁は私の家にもよく
出入りしていたし、棟梁の家にも私たちは行った。千恵
子も棟梁の妻や子どもとも仲良くしていた。
その前は、ハイヤーの運転手と付き合っていた。ハイヤ
ーはタクシーより高級な車らしかった。運転手の娘も家
に来たり、遊園地にも一緒に行った。父親のほうは男前
だったが、娘は不器量だった。後に、兄と高校で同級生
となった。「じっきに分かったわ」兄は得意気だった。
千恵子が私たちの家で居候していたとき、彼との密会に
同行させられるのは、わたしだった。後年、姉によれば、
心中事件を起こしたので、母が「見張り」代わりにと連
れていかせたらしい。喫茶店でガラスケースのドーナツ
を食べるのが嬉しかった。
棟梁と別れた千恵子は、そのあとも何人かオトコを変え
最後にちぢれ毛で乱杭歯の男と入籍した。「タチが良お
ない」と母は嘆き、それ以上に激怒した。二人で暮らし
ていた家で死んだ。ホームこたつに入っていた。変死だ
とされ検死となった。たぶん、五十五歳くらいだったか
もしれない。葬式にも行かなかった。母が私たちが男と
かかわるのを恐れたからだ。
井上照子、さもなくばただの「千恵子」。
ニューブリテン島で戦死した伯父を除けば、母と同じ両
親を持つたった一人のきょうだいであった。
生後すぐ母親を亡くしたひと。
酔って帰って、便壷に落ちたとき「おかあちゃん!」と
叫んだひと。
石切さんの参道で「牛乳か甘酒か」と問うたひと。
そして、わたしの結婚式にさのさを歌ったひと。
あなたが持っていた、大きなピンクのキューピー人形と
姫鏡台が欲しかった。
文/古溝真一郎