この詩集は、作者の20〜29歳の作品集です。
高校中退の18歳時の追想、学生時代、かなしい恋のいくつかの結末、
鹿児島の風土に溶け込んだかのような祖父との交流、
多分シングルマザーの妹と甥っ子、画家の友人、同じく画家の恩師。
おそらく実在の人物がモデルになっているので滅多なことは云えないのですが、
作者と、作者の周囲の人びと、
不器用に生きる人びとの不器用な人となりを、
作者独特の、流れているのにたどたどしい筆致が、
余す処なく包みこんでいくような感触に襲われます。
と、元々句読点の遣いかたに特徴のある作家なのですが、
それだけではない、ちいさな言葉の躓きが一行毎に用意されてて、
それが作者の詩作姿勢であり生き方そのものなのだろうと思い返します。
この分量の詩文に、主語と云える単語はわずかで、
不揃いな省略や凝縮から生じる躓き、読み慣れない言葉の流れが、
読者の脚を次々と停めさせます。
「18歳だった」はカコさんとの同棲生活の終りが綴られています。
どうも高校在学中に古文担当の先生と恋仲に墜ち、
それが原因か原因でないのか高校中退の後、しばらく同棲してたらしいのですが、
詳細は、作者独特の文の躓きに隠れるように、見事に寸止めされています。
この寸止めは詩作品の立ち位置として必要な処理だったようにも思うし、
作者の一種の照れの現われが、幾らかあるようにも思うのですが、
ちょっとしたもどかしさも含めて、
この詩集に流れる、人間臭い体温となっているのだろうと、そう思います。