雪と曇り空、すきをついて顔をみせる太陽のように目に染みる詩、三つ
阿蘇豊
日本は四季があっていいとは思う反面、今日この頃の北国の冬真っただ中にいて、朝、窓の外の変わらぬ銀世界を目にすると、若干気持ちが沈んでしまうのを禁じ得ない。が、そんなこと言っても何の足しにもならないから、眼鏡をふいて、挑戦者の心持ちで机の上に積んである一冊に手を伸ばす。
よくわかる、よく伝わる詩である。この詩を写しながら、「ウン、ウン」とうなずいていた。一行一行がそれぞれの情景を几帳面につないでいる。詩は行と行、連と連に置く飛躍が味だと思っていたが、それだけでもないと知らされる。きっとこの作者も几帳面な人だろうな。とある組織の事務局長とかが似合う人ではないかなんて、勝手に想像する。
思い出した。昔、「東京詩学の会」で知り合った人からもらった名刺の肩のところにやや大きな字で「詩人」と印刷されていて、何とも言えずびっくりしたことがあった。
この詩は名刺の社会的意味みたいなことを、それとなく織り込んでいてそれもいい。たかが名刺、されど-、というところだろうか。最終連の切り上げ方もすっきりと好ましく感じられた。
おや、こんな本があるんだ、と図書館の詩歌のコーナーで見つけて、読んでいっぺんで気に入っちゃった。そうそうこんな詩がおれ、好きなんだって思いながら。読み終えて、こちらの懐も暖かくなる。そこはかとなく漂うウイットが胸のあたりを暖めてくれるのかな。一行一行のことばも芝生のように同じ高さに切りそろえられ、シャキッとしたリズムを作っている。また、この心地よいリズムは「~こと」の適度なバラまきでもつくられていることに気づく。「気になること、不思議に思うこと、腑に落ちないこと、なぜだろうと考えること、疑問に思うこと、未知のこと」。「?なこと」をこれだけ書き分けているのもおもしろい。そっ、とにかくおもしろかったといいたい、それだけで十分。
うううんいいなあいいいなあといったらいいにはならないのか ん
なんてつられて書いてしまった。久しぶりにこんなことばそのもののおもしろさにふれる詩にふれた。
「うで」は「つくえ」と手をつながないんだよね、どうして?と子供みたいにたずねてみてもこたえはない。じゃ、「うみ」と「コンパス」は?「ぶた」と「めぐすり」は?などと、だんだんシュールになってくる。「おおなんということ」!
ぼくもこんな詩を書いたことがある。「またあした」と「あたました」と「あたしまた」がからむみじかい詩。
たしかにことばはふしぎ、こばともふしぎ、ばことやとばこはふしぎじゃない。
そんなことばそのもののふしぎをもっともっとたのしみたい。
阿蘇豊(あそ・ゆたか)
1950年生 山形県酒田市出身
詩集
『窓がほんの少しあいていて』(ふらんす堂、1996年)
『ア』(開扇堂、2004年) 他
『とほく とほい 知らない場所で』(土曜美術社出版販売、2016)
『シテ』『布』『ひょうたん』同人