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《第二期》詩の散歩道 5

雨だれを舌に受け、蝸牛の気分でみつけた詩、三つ

阿蘇豊

 梅雨だ。6月も後半になるといつの間にという感じで紫陽花が咲き始める。それまでは存在を気づかないほどの地味な草木だが、この季節には「花開く」という言葉通りのあでやかな姿を見せる。土の関係らしいが、紫系の色が微妙に赤に傾いたり青に近寄ったりするのもおもしろい。そして、いつの間にか知らないうちに消えていく。この、半分野草っぽいところもいい。

 さて、そんな季節にこんな詩が似合っているかどうか。

  墓石に漬物石

墓石をいつ買うのよ
まだ生きているのにツレが訊く
言われてみれば仏壇もない
信じんもなければ
坊主だって知らないぞ
そこらへんで小石を拾ってくるか

腹立ちまぎれにツレが泣く
墓石ぐらいこの世に残したい
日本人らしいことを言うものだ
古漬けの白菜を喰いながら
ボクは墓に入る夢をみかけたが
ボクの骨はどんな顔をするのか

ツレが今年も漬物をつくる
大根もいい 白菜もいい
ひょっとして ボクでもいいぞ
オフクロから受けついだ漬物石がある
ときが浸みこんだ女のにおいがする
黒い生き途模様の石だ

墓石があるじゃないか
ボクは漬物石を丁寧に洗う
白墨でツレの俗名を書いてやる
いいじゃないか オマエの墓石だ
ツレが泣きだした
塩が多くて食べられないわ
塩抜きした墓石ができるまで

ボクたちはあの世にいけないらしい
来年もまだまだ
薄味の漬物を喰い続けるのだ
水っぽい関係になるよう
ツレはボクを井戸に沈める

 (後藤順/詩集「追憶の肖像」より)

 一読して、「ブラックユーモア」という言葉が浮かんだ。だが、よく使う言葉であるが、ブラックユーモアの何たるかをはっきりとは知らない。そこで、PCに訊ねた。そこにはこうあった。「ブラックユーモアとは、一応笑えるが後味が苦いジョークや思想・思考である。また、発想が恐ろしくて笑うしかない状況や心境に陥る場合にもこう呼ばれる」と。ふむふむ、その眼で見ると、やはりこの詩には、ブラックユーモアが十分に感じられる。だいたい、漬物石を墓石に、なんてねえ。発想はおもしろい、けれどブラック。読んでいるこっちも、笑うに笑えない。その漬物石に白墨で奥さんの名前書いちゃうんだ。冗談と思えない。奥さん、泣くわけだ。このお方、とぼけて、あるいはかるい冗談のつもりで、「まだ生きているのにツレが訊く」とか「日本人らしいことを言うもんだ」とか「ひょっとして ボクでもいいぞ」「いいじゃないか オマエの墓石だ」なんて言うんだろうな。言っちゃうんだろうな。その気持ち、わかる。自分でおもしろがってんだよ。おもしろいって、言ってほしいんだよ。傷つけるつもりはないのかもしれないけど、でも、口に出すなんてうかつなんだよな、この人、なんて、ひとりごちてしまう。
 「オフクロから受けついだ漬物石」を「ときが浸みこんだ女のにおいがする」、なんてこんな表現、ちょっと出てこないなあ、それから、最終行「ツレはボクを井戸に沈める」にも味が、こわい味があるなあ。そんな、こわいもの見たさの気分をも楽しんで、本を閉じたのです。

 その本は閉じたんですが、記憶の中にひっかかるものがあって、かぼそいその糸を手繰ってみたらこんな詩に行きあたった。

  カプグラ症候群

あんたなあ そろそろ自宅に
戻りなはれ
いつまでもこんなところに居たらあかんよ

近所の目も刺すやろ
家の人らも心配してはるよ

毎日夕方になると
夫は真顔で
妻の私に話し掛けてくるんです

何いうてますねん お父さん
私はあんたの嫁ですやん

アホ! ええ加減なこと言うな
わしはあんたなんか
嫁にした覚えはないわい

そう言うと
殴る蹴ると暴力を振るい
最後に もう一度
家へ帰れ! と叫ぶんです

私は西川夫妻の前で診察をつづける

西川さん
隣に座っておられるこの女性は
あなたの奥さんじゃないの?

ちゃいますよ!
この女は嫁に似てますけど
偽物ですねん
私を騙そうとするひどい女や

奥さんはハンカチで顔を覆い
シクシク泣きだす
夫はそ知らぬ顔

そしたら西川さん
本物の奥さんはどこにおられるの?

さあ、どこにおるんやろ?
朝には家におったように思うんやけど

小一時間ほど診療所でぶらぶらした後

憮然とした面持ちで
夫は妻の後について
自宅に戻っていくのである

西川さんのように
認知症高齢者の中にも
この仰天するような精神症候群は
たまにみられて
簡単には治らない

瓜二つ妄想 あるいは
替え玉妄想ともよばれ

百年ほど前
フランスの精神科医カプラグが
初めて報告した症候群である

 (橋本篤/詩集「より添って 認知症の人々と共に」より)

 この作品の中のご夫婦のやり取りには、大阪の漫才を聞いてるような、ブラックユーモアらしきにおいがプンプンするのだが、これをそう言っていいものかどうか。作者はお医者さん兼詩人で、この情景はどうも実際のことらしい。となると、うかつに笑えなくなる。認知症の方々の所作を笑うなんてことはできない。けれど、テレビでは綾小路なにがしが、「あれから40年!」なんていって、昔娘であった方々に、きついブラックジョークを投げかけ、喝采を博している。どうなってんだろう。
 考えてみればこの作品が、実際の事柄であっても、作ったものでも、ことばによる発表された作品である限り読み手はどう感じてもいいわけで、つまり泣いても笑ってもいいということになる、と思うのだが…
 実際に起きたこと、ドキュメンタリーは詩になるのかどうか、書きようによって詩になるのか。3.11や水俣などの例を見れば、できるはずだ。認知症という病気のことも、詩の材料に基本的にはなりうるはずだ。しかし、どんな心もちで接すればいいのか…
 この詩集のことばは飾られていない。ことばの果たす役割は、この詩集では、ありのままの事実を伝えることだ。認知症の方々とその周りの現実をそのまま描写する。
 その現実には傍から見ると、残酷なほどおかしく、信じがたい事例がたびたびあることを僕たちは教えられる。生々しい、まさに「生きる」人間の姿がここにある。患者本人、病院、家族の方々の、それぞれの与えられた場所で真摯に、必死に「生きる」人の姿だ。「詩は言葉の芸術だ」などと軽々しく言っておれないきびしい人生の現実がここにある。

 ちょっと力が入ってしまった。窓の外をジョギングの人が過ぎる。その後をウォーキングの人。今度はウォーキングの面持ちで、涼やかにいこう。できるかな。

  名前

ずっと昔
ずっとずっと昔
生まれる前の
光に満ちた天の草原の
小川のほとりで
私は誰かに呼ばれていたような気がする

それは
この世のどの言語にもない
低くて優しく根源的な響きで
短く繰り返される私の名前
無心に手で水を掬う小さな私を
そっと振り向かせ
微笑みをさせてくれた
遠い呼び声が
いつもそこにあった気がする

始まりの前であり終わりの後である世界には
ただひとつであり無数でもある名前で呼ばれる
白い子供たちがいて
命の灯されるまでの永い時を戯れながら待っていた

ずっと昔
ずっとずっと昔
呼ばれていたその名前で
いつかまた私が表される時が来るだろう
それは
この世のどんな音楽も奏でることのない
深くて荘厳な裸の調べで
誰かに歌われる私の名前

 (柳内やすこ/詩集「夢宇宙論」より)

 ふう。今回は長い詩ばかり選んでしまった。どちらかというと、短くて鋭いほうが好みなんですけどね。  この詩の第2連を読んでいたら、ふっと頭をよぎった詩があった。確か高校の教科書に載っていた詩だ。シュペルヴィエルの「動作」(安藤元雄訳)。こんな詩だ。

その馬はうしろを振り向いて/誰もまだ見たことのないものを見た。/それからユーカリの木の陰で/牧草をまた食べ続けた。//それは人間でも樹でもなく/また牝馬でもなかったのだ。/葉むらの上にざわめいた/風のなごりでもなかったのだ。//それは もう一頭のある馬が、/二万世紀もの昔のこと、/不意にうしろを振り向いた/ちょうどそのときに見たものだった。//そうしてそれはもはや誰ひとり/人間も 馬も 魚も 昆虫も/二度と見ないに違いないものだった。大地が/腕も 脚も 首も欠け落ちた/彫像の残骸にすぎなくなるときまで。

 なんか両方とも、宇宙感覚なんだよね。無辺の時空間の中の自分、また、一頭の馬。永遠とか無限とか、考えてみればわけのわからないことばだけど、実際に時間として、あるいは宇宙として存在しているわけだからねえ。で、凡人の頭では、「不思議だねえ」というところあたりに、結局は落ち着く。
 はたして呼ばれた名前は何だろう、馬が見たものは何だろう。もちろん答えはない。答えはいらない。それが正解。ただ、想像の翼を伸ばして楽しめばいい。

profile

阿蘇豊(あそ・ゆたか)

1950年生 山形県酒田市出身
詩集
『窓がほんの少しあいていて』(ふらんす堂、1996年)
『ア』(開扇堂、2004年) 他
『シテ』『布』『ひょうたん』同人

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