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今、詩歌は葛藤する 49
〜『塵芥』、金子光晴その19〜

竹内敏喜

 金子光晴の絶筆を集めた『鳥は巣に』(一九七五)を読み返していて、次の文章をみつけた。「強度な気管支喘息にアルコール類は禁物の僕は、人生に於ける『酔う』という状態に、不信と、嫌悪をいだきつづけて何十年をすごしてきた。僕にとって、もっとも禁(い)むべきものは、人間の感情の昂揚と、そのでたらめな方向への正当化であった。そこに僕の現代芸術に対する揶揄の精神と、詩への根元的な嫌悪がある(僕を知るうえに見のがすことのできない重要な緒かもしれない)」。
 小説や伝記ものに限らず、読み手に感情の昂揚を与えられることで評判になり、しだいに販売部数が増加して、一時的に過剰に評価される書物は少なくない。規模としてはるかに小さな現代詩の分野でも、山本太郎のいう心理的陰影(朔太郎)、論理的構造性(光太郎)、生理的美学(白秋)といった輝き、もしくは発想の奇抜さ、技巧の卓越さ、神秘的な余韻などで瑞々しい魅力を発揮し、自らも詩を書く読者から高評価されることは、要するに受け手の気持ちを昂揚させているという事実に違いはないだろう。しかしながら光晴は、こうした鑑賞者との距離感を拒絶したところで、詩を達成しようとしていたようだ。同様の発言は、晩年に中断されたままで残った自伝小説「太陽が三つ」の文中にもみつかる。
 「僕は、喜怒哀楽のはっきりしない人間で、ひいき眼で言えば、てれやかもしれないが、直情をもっていないわけではないが、それをナイーブに表現する段になると、いろいろ挟まりものがあって、素直にはゆかず、直情的にみえるものほど、きたない腐蝕面としてのこるのだ。それは、自分ばかりでなく、他人をみていてもそうなので、僕となまじいに、ひっかかりがあるためなのか、詩とか、劇とか、芸術家の感激をねうちとするような仕事に対するときほど、人間の感情生活の不潔におもわれるときはない。それで、他人から恩恵をうけて、礼を言わなければならない時、僕は、いつも、よそをむいて、ぼっそりとしている。あいては、親切にも、あいてが僕の気に入らねばならないのではないかと心配してくれる。そういう関係が、二重三重と悪循環してどうにもならない結果となることもあり、そのために、たいていの友情は、ながつづきがしない」(『金子光晴全集8』より)。
 ならば彼は、どのように詩をまとめていたのだろうか。最晩年の一例として、今回は「春」を引用する。この作品の初出は一九七四年六月の『いんなあとりっぷ』で、詩人の死後まもない一九七五年八月一日を発行日とする最後の詩集『塵芥』に収められている。

 厳封された小壜がこはれて、
培養のコレラ菌が
世界にぶちまかれた、そんな春。

 それから、どんよりと曇って、
人間の観念は、混濁してしまって、
うみつけられた産卵は、悉く、
死魚の眼球のやうに白っぽけ、

 いのちと、その解體との
見届けられたその宿命が、
うまれ出ることの去就に迷って、
うごめいてゐるだけのこの季節。

 この季節は、半透明な気流は、
生きるかなしみと死の望でいっぱい。
うまれでて、成長したものたちは、
塗料を重ねてじぶんを匿さねば、

 裸蟲となって、乾きちぢくれ、
くろい生死を今一度味はねばならない。
笛、太鼓の春に誘はれてはならない。
君が螫蟲(つつがむし)や、蝮でないかぎり……。

 春は病菌や、アミーバでなければ、
汐入りの水にわくプランクトン。
寒天のやうな、煮凝りのやうな、
香料入りの星くづのやうなもの。

 ——悩ましい音色も聞えてきて、
心を悔と傷心で掻き毟るけれど、
掻痒(さうやう)といたみが、ひろがるばかりで、
血と膿ばかりの、青春がのこる。

 その笛をふくのは、誰だ?
わづかに腕の筋だけがのこった
黒ずんだ骸骨が吹いてゐるのだ。
それが竪笛か、明笛(みんてき)かも分らない。

 一代の風流よ。五百年の業因よ。
口のなかにたまった黄ろい唾液を
春の花々のうへに吐き捨てるのだ。
もし君が、豚の尻毛でなかったら。

 鼻の孔にたまったくろい砂を
花びらをたたんで路に洟(かみ)捨てるのだ。
そして、なにものにも眼をくれず
昂然として君の自我を歩かせるのだ。

 君の気に入った春を骨迄しゃぶり、
気にくはない春を蹴くり返すのだ。
人情が宥さない? 冗談ぢゃない。
それこそ、春にふさわしい人情だ!

 作品の前半部分、「厳封された小壜がこはれて、/培養のコレラ菌が/世界にぶちまかれた、そんな春。」から「うまれでて、成長したものたちは、/塗料を重ねてじぶんを匿さねば、//裸蟲となって、乾きちぢくれ、/くろい生死を今一度味はねばならない。」までは、コレラ菌の被害に仮託しながら、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(一九六二)で描かれたような環境汚染を問題にしているようだ。しかも「培養」された菌だというあたりに、人類による自業自得との作者の皮肉が仄見えないこともない。
 「それから、どんよりと曇って、/人間の観念は、混濁してしまって、/うみつけられた産卵は、悉く、/死魚の眼球のやうに白っぽけ、」、これは地球上で傲慢無礼に行動する人類の思考能力への疑問と、その影響のもとでの、あらゆる生き物の生命力の低下を描いているのだろう。つづけて、「いのちと、その解體との/見届けられたその宿命が、/うまれ出ることの去就に迷って、/うごめいてゐるだけのこの季節。」をみると、卵のなかにいることは、生死以前の状態と見做され、そこにあるひとつひとつの意志が、世界へと飛び出すことをためらっている様子が示されている。なぜなら、その意志たちは自己の行く末を知り尽くしているからだという。こういった非自然的な事態に対し、詩人は「この季節は、半透明な気流は、/生きるかなしみと死の望でいっぱい。」と感想を告げるしかない。
 次に、「笛、太鼓の春に誘はれてはならない。/君が螫蟲(つつがむし)や、蝮でないかぎり……。」から「その笛をふくのは、誰だ?/わづかに腕の筋だけがのこった/黒ずんだ骸骨が吹いてゐるのだ。」あたりまでは、音楽による全体主義的な誘惑について、批判的にふれている。この内容は、光晴の嫌悪した「人間の感情の昂揚と、そのでたらめな方向への正当化」にぴったり当てはまる。だが、音楽という選択を迫られる前提として、「うまれでて、成長したものたちは、/塗料を重ねてじぶんを匿さねば、//裸蟲となって、乾きちぢくれ、/くろい生死を今一度味はねばならない。」といった宿命があるのも事実なのだ。それでも、この現実から目をそむけるように「笛、太鼓の春に誘はれてはならない。」と、ここでの詩人は「君」に強く訴える。これは彼自身が、「——悩ましい音色も聞えてきて、/心を悔と傷心で掻き毟るけれど、/掻痒(さうやう)といたみが、ひろがるばかりで、/血と膿ばかりの、青春がのこる。」ような経験を、かつてしたからだろう。それにしても、「春は病菌や、アミーバでなければ、/汐入りの水にわくプランクトン。/寒天のやうな、煮凝りのやうな、/香料入りの星くづのやうなもの。」とは、性行為により放出される粘りあるものについての比喩のようだが、作者の嫌悪感が強く伝わる。以上のように、現代社会に絶望しつつも、誤った選択はしない方がいいと告げることをやめていない。
 そこで作品後半では、「一代の風流よ。五百年の業因よ。/口のなかにたまった黄ろい唾液を/春の花々のうへに吐き捨てるのだ。」と、春の誘惑に対し意地をみせて抵抗しろとかさねて語る。「そして、なにものにも眼をくれず/昂然として君の自我を歩かせるのだ。//君の気に入った春を骨迄しゃぶり、/気にくはない春を蹴くり返すのだ。」と展開させ、あくまでも自我を大事にしたうえで、選ぶべき「春」を見極めることを主張している。これは選ぶべき一人の女性と添い遂げること、その他の女性とは魅力を感じてもかかわらないことを意味するのだろうか。少なくともこの態度について、人々から「人情が宥さない?」と問われても、「それこそ、春にふさわしい人情だ!」と返せるだけの自信が、このときの詩人にあったのは間違いない。現代の道徳性からみると平凡な意見だが、むしろ遺産相続制度を頂点とした家族に関する法律に安息し、偽善的に対等な一夫一婦制に疑問を抱かない一般性こそ、非人間的だと知るべきだろう。もともと、女性はすべて愛に値するものだと自負した光晴からすれば大転換した発想であり、妻以外の女性との隠微なかかわりは、「いたみ」以外のなにものでもなかったと回顧するあたりに、彼の本性がみえてきそうだ。
 さて、本稿は金子光晴の詩集にふれる最後の回となるので、ここで一九回分をざっと振り返り、この詩人から広がるイメージの一面をまとめてみたい。
 まず、「現代人は、地球の自然に則ってではなく、放たれた自己の属性に基づいて維持されるため、健康を買い続けることでしか自己を評価できなくなってしまった。金子光晴のなかの抽象性は、この点を批判していたのかもしれない。そこで彼の直感は詩を救うために、具象性としての自然状態に近づいていったのではないか」と問うた。これは、真実への探究心が言葉によって絶対性をつかもうとし、必然的に、任意の約束事で縛られている人間社会に疑問を抱いたといい換えても良い。この観点については、「文学空間が人々の社会生活から乖離する様子は、人間社会が地球本来の秩序から乖離する光景に似ている」こと、また一方で「人々の生活感情に寄りそうように歌われた昭和の歌謡曲は、当時を振り返る個人にとって、今、驚くほど身に沁みてくる。それは、かつてのように心を躍らせるのではなく、失われた大切なものの具象性に覚醒させてくれるようだ。ここにこそ、地球本来の秩序に近いものがあるのだろうか」とも展開させてみた。つまり、ノスタルジーにふけるのではなく、過去を想起する時点での新たな発見が主眼であり、そのときこそ多くの生命にとっての的確な判断ができるのではないか。このように、表現における抽象性から具象性への移行の意味について、自然状態との比較を交え、かなり恣意的ではあるが最初に提起した。これは金子光晴の現代的意味を問いかけることでもある。
 次に、詩人が数年にわたるアジア・ヨーロッパ放浪で心に深く感受したのは、「歴史のもとで弱者の位置にいた者の姿だったのかもしれない。ヨーロッパでもアジアでも、権力を擁する者は、弱い立場の人間を絶え間なくいたぶっていた。そうすることで、いたぶられる者をその生活に慣れさせてしまうのだ。光晴は彼らの生活を、哀れみをもって眺めるとともに、それぞれの個人における生命力の風変わりな強さをこそ、自伝三部作で丹念に描いている」と捉えた。同様に、戦時下の彼については、「対象の捉え方が再び形式的になっているのがわかる。けれども、さまざまな具象を眺め、経験したうえで、抽象化され整えられた観念は、形式化されても現実感を疎外するわけではない。彼が敵視した団結という自然悪の正体を、探り出すために必要な試みであり、団結という観念にふさわしい表現方法として、受け取るべきだろう」と考察した。まさに彼の内面にあふれた反骨精神は、社会の側に原因があったとみるべきなのだ。それは誠意ある文学を描くことが罪になった時代の現象であり、罪人となることは、すぐさま心身に苦痛を与えられることに直結していた。それだけでなく、多くの日本人は戦争が終結すると、加害者だったアメリカ人の生活スタイルを真似るようになる。これらの不快な現実との距離感を微妙に保つ経験を積むことで、詩人の精神は鍛えられ、同時に内なる愛情をもてあまし、人類に絶望していく。
 その結果、やや無責任にみえるほど自我がむき出しになってくるが、それを象徴するものとして、「鬼の存在は、宇宙にとって禍となるしかない。彼がたとえ宇宙の幸福を夢みたとしても、宇宙は反射的に彼を裁くだろう。その原因である、この『我』とは何なのか。仮説を挙げるなら、それは、宇宙自体の不完全性のあらわれではないか。つまり宇宙の存在を証明するには、鬼が必要だということである」と仮定した。さらには、「彼は、他人に向けての自己の魅力の限界を知ったうえで、その距離感を楽しんでいる。それは不自由さを超越する方法であり、表現においては、正確さを探求するという自在さを得させている。だが、生活者としては、『不可避的に悲惨な結果に終わる』しかない。なぜなら、本人も含めてだれもが、詩人の自由の成果を彼の美学だと誤読するしかないからであり、これは本物の詩人の運命なのだろう。詩人はいつだって、裸足で道を歩き、喉が渇けば川の水を飲みたかったのだ。近代以降の人間の肉体は、その能力を失い、地球環境から乖離した。多くの人は美学で納得するが、詩人は生物として享受したいのである」とも指摘した。このあたりも、必ずしも証拠の挙げられる解釈ではないけれど、光晴による自我の探求の道筋を辿るために、試論として述べておいた。
 また、具体的な詩作の方法に関しては、「小学生時代を京都で過ごした光晴からすると、『ズバリとモノの急所をつく』ことは野暮ったく感じられたはずで、必然的に『たとえ話』の語り方の進化を目指したと考えられる。それは言葉というものの性質上、二つの方法意識へと分かれ、『人間の悲劇』のような長大な自伝的散文化と、『愛情69』のような小粒な虚構的工芸品に至ったのではないか。いずれも、歴史性が与えられ、世界的な視野を持つ、たとえ話である。この方法を維持するためにも、光晴は自我の大切さをますます学び、それを普遍的な表現へ高めようと、自信をコントロールする努力をしていた」と理解してみた。逆にいえば、内なる美学的なものを根拠としたのではなく、一篇の詩を書き始めたら、直前の一文の補足のように自我の発する次の言葉が連なっていったのではないか。それは過去の方を向いておこなわれているようだが、常に現代が意識されていただろう。
 そして最終的に、一五巻にもなる全集が刊行される。ひたむきに文学に取り組んでこなければ、積み上げられない量である。この業績をどう受け取っていたのか、本心はわからないものの、「人の全体性を背負う名前という象徴に、価値の高まりを認識するようになったのは、同時代の者の誤解にうんざりしてはいても、自作を正当に読んでくれる時代が来ることを信じはじめたからかもしれない。そのためには、余計な虚飾のついていない状態で自分の名前が伝わらなければならないと考えたのではないか」と推測することはできる。実際、桜井滋人の聞き書きによる猥談が全集に入っていないのは、編集委員の判断もあるだろうけれど、できるだけ作品としての詩人像を尊重したためだと思われる。
 不思議なことに、日本語で自由詩に取り組んだ過去のどんな詩人の作品よりも、金子光晴の詩から、現在でも多くの刺激を受けるという事実に、筆者は直面してきた。彼の作品からは、現代社会に潜んでいる問題と真正面からぶつかろうとする精神が、ぷんぷんと匂ってくる。もちろん現代詩人のなかには、緻密に社会性を反映させた作品を書く者も少なくない。しかし彼らの詩の読後の印象としては、強固な独善性ばかりが残る。そこに真面目さはあるものの、全体主義化する社会の道筋に忠実なのであって、澄んだ自我のまなざしはあまり感じられない。光晴の場合は違う。「人情が宥さない?」と問いただされれば、「それこそ、春にふさわしい人情だ!」と返せるだけの自信を持っていた。こうした態度は、実は、自然状態における平等感覚に近いと考えられるのではないか。
 文学空間が人々の社会生活にとけ込むには、人間社会が地球本来の秩序から乖離していないことを感じさせる作品を示さなければならないのかもしれない。例えば、詩人としての賢治や中也には、不器用さやへたくそな面も目立つ。この二人より巧みな近代以降の詩人、今の詩の業界から高評価を得ている詩人は幾人もいる。しかし、人間社会でより好まれているのはこの二人であろう。これは、一休や良寛といった人物についても同様にいえる。彼らほど一般の日本人に愛されている僧はいないだろうが、僧としてさらに偉大だった人物はいくらでも記録されている。ともかく、この四人に共通するのは、若いころに苦労しながら生真面目に勉強し、一種の完成を自覚したあと、その表現方法を徹底的に崩してしまったということだ。そこで彼らが向き合ったのは、天然の自我であろう。この結果、現状の社会に対して謙虚になるのではなく、地球本来の生産性と同化するような働きを、受け入れたと思われる。この働きは、過去の文化を乗り越える意図などわざわざ持たないので、専門化された文学空間や宗教空間の内部には、本質的に居場所がない。光晴もそうした位置にいたのではないか。だからこそ、いまだに彼の言葉は人間の心に響くのだろう。

(二〇一八年一一月二二日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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