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今、詩歌は葛藤する 47
〜『よごれてゐない一日』、金子光晴その17〜

竹内敏喜

 『よごれてゐない一日』は、光晴が若い詩人たちと詩誌を出していた「あいなめ会」から、一九六九年一〇月に刊行されている。すでに著名な詩人であったにもかかわらず、発行元が大手出版社でないのは、経済主義にとらわれず、以前のような暗鬱とした気分からではなく明朗な心持ちで、若い友人たちとの交流を楽しもうと、勝手気ままに行動していた結果だと思われる。もちろん彼のことだから、名声の空しさに嫌気がさし、詩の業界に反抗しようといった気負いがまったくなかったとはいい切れないだろう。
 しかし運命は、こうしたわがままな日々をいつまでも与えはしなかった。この年の五月に軽い脳溢血で入院し、退院後の六月には狭心症により再び入院、そこで発作を起こして肺気腫を併発するなど、本人も体調に自信を失くさざるを得ない事態が続き、さらには極度に耳が遠くなってしまうのである。そこで、翌年の三月には遺書をまとめ、息子の嫁の登子に預けている。登子への彼の信頼が厚かったことは、家族の証言を待つまでもなく、この事実からも伝わるが、後に遺言の内容を知った彼女はひどくショックを受けることになる。光晴は自分の遺産を、息子、そして孫へと渡すように記し、嫁についてはひとこともふれていなかったのだ。血のつながりに対するこのような極度の過敏さは、人間不信と表裏一体だと捉えるべきだろうし、彼らしいエゴイズムのあらわれとも考えられる。
 ここでさっそく、恣意的な部分引用ではあるが、作品「女の一生を詩ふ」を挙げたい。タイトルの「詩ふ」は「うたふ」と読む。

  一
じぶんが苦しんで、あひての苦しみの肩代りをしたつもりでも、
それは、むだなことだ。あひてがそれで助かるわけでもない。

それは、男と女とは、人間であることでは平等だが、
おなじものを別の感性で受けとり、
おなじことばで、別のなかみを喋る。

その齟齬(くひちがい)に気付かぬあひだは安泰だが、たがひの足並みが乱れ、
ふたつのこころの隙間や、がたつきが気になりだしたら、それこそ百年目で、

男の人生では、女の生きかたが無意味にみえるし、
女の人生では、男の生きかたが非道としかおもはれない。

それにしても、男にも、女にも生きるといふことは難儀なことだ。
とりわけ、男にとつては潔白に、女にとつてはうつくしく生きることは。

 (略)

  二
 (略)

いつの時代にも女の人は、そのときのはやりを身につけて、
変身(メタモルフオーゼ)しながら、ほのぼのとした肌あかりで存在の中心部をうきあがらせてみせた。
私達男は、一生の大部分を、女の人への関心とかかはりあひで、むなしくつかひすててきた。

 (略)

身分や境遇の屈辱的な立場に眼ざめた新しい女たちは、
伏見人形のやうな街のあねさままでもが、ベーベルの『婦人論』を読み、ノラや、コロンタイに女の鑑を見いだした。
また、敗戦後のアマゾンは、学校で、家庭で、職場で、男たちと対等にはりあふやうになりはしたが、

それはただ、男たちに背丈が届くといふだけのことで、
女の虚落は、埋めやうもない。むなしい故にひとしほに、あえかにうつくしい女の開花。
産みおとしたいのちを、むざんに殺める男たちの専断への女のかなしい憤り。

娘や、妻や、母の切れ目のない行列はどこまでもつづいて、
晴れの若さでかがやく美貌が、つぎつぎに受けわたされる。
それをながめては見送るだけで、しらぬまに十年、二十年が、私の一生が過ぎてしまひさうだ。

 この作品は、男と女の関係性についての集大成的な考察として、光晴が描き上げたものだと筆者には感じられる。タイトルからもわかる通り、男の側からうたわれた女の一生であり、その意味では、抽象的に女性像を辿りながら悲劇的に美しく理想化されていて、むしろ文化的洗練を見据えた作者の願望のあらわれだと判断できそうだ。
 それにしても、光晴は女性のどういった点にもっとも惹かれ、興味を抱いていたのだろうか。それを、修飾の豊富な文章語からではなく、ポロッとこぼれたような感想、とりわけ身近な弟子との会話のなかに探ってみたい。詩人の語る話を桜井滋人が猥本風に仕立てている『衆妙の門』(一九七四)や『金花黒薔薇艸紙』(一九七五)もおもしろいが、金子光晴の実像からはやや遠そうなので、松本亮との談話を集めた『新雑事秘辛』(一九七一)の「女性考」の章を取り上げ、彼ならではの発言をいくつか引く。なお、この章の収録は一九六九年一二月一三日におこなわれたと記載されている。
 「僕はまず邪慳じゃないですよ。(略)まあひとつには平等の思想があるからね。女に邪慳じゃないってことは、やはりニグロに対しても、ホッテントットに対しても邪険じゃないってこととあまり変りはない」。
 まず、この平等の思想に至りついたことが、金子光晴の詩人としての強みになっていると考えられる。その感覚は、『史記』が生涯の愛読書であった事実からもわかるように人類の歴史を書物などから吸収していたことや、数年にわたりアジアやヨーロッパを放浪して人々の多様な生き方を見聞したこと、また関東大震災や世界大戦下で自己の非力さを心底知らされる体験をするなかで、実っていったにちがいない。しかしながら、彼以外のたいていの者なら、そのような境遇に陥れば、社会に恨みを抱いて目立たない復讐を繰り返すばかりの人生を送っただろう。光晴にもそうした面がなかったとはいえないし、どちらかといえば人間の尊厳など信用せず、他の生き物とたいして違わないと感じていたのではないか。その一方で家族への切実な愛情表現があるが、これは妻と子を自己の一部だと感受したうえでの自己愛に近かったのかもしれない。いずれにせよ、どんな人間も、自分とほとんど変わらないといったニュアンスの平等感覚があったように思われる。
 「男に対してはずいぶん冷酷なことがしてあるかもしれんけど、女の人には程度がわからんので二十歳前から細心に注意をするようにしてるつもりですよ」。
 妻の三千代も述べるように、光晴は、臆病にみえるほど女性に対してはだれにでもやさしかったらしい。ただ、「程度がわからんので」と述べられていることには注意が必要だ。これは、やさしさが身についた晩年はともかく、それまでは意識的に他人にやさしくしていたと受け取れる。いわば他者との距離感を絶対的に保つ方法であり、自己を防衛する手段でもあったのだろう。彼を慕って集ってくる詩人志望の若者に対しても、さまざまなサービスで楽しませたものの、超えられない壁を常に聳えさせていたと想像される。
 「女の人じしんよりも、おかれた関係の方がむつかしい。それからお互いに男女以外の過去の教養の強請力といったものね。たいていの場合、女のいう合理的な考え方と男のそれとは、密度のちがうことが多い。女のいう合理性には時として不純物の多い場合が多かった。女の方からもおなじ苦情がおこるというわけですよ。そうなると調整に時間がかかり、その間に初志がちがった方向へ流される」。
 ここで指摘されている内容は、光晴が詩歌で女性を描くときの要になっている観点かもしれない。つまり女性とは、その個人の本来の性格以上に、生活を送ってきた環境の影響によって、個性がより露出するという問題意識である。日本でも長く続いた封建的な社会では、女性は男性の一種の所有物と見做されていたわけだから、その位置で合理的な考えを表明しようとすると、最初に自己の立場の正当性を主張してからでなければ男性に理屈が通じないことを、女性は身に沁みて知っていたはずだ。けれども、均質な観念的空間を前提として生きさせられている男性にとっては、それは利己的で不純なものと感じられざるを得ない。こうして、男女間の言葉のすれ違いが、そのまま性格の不一致として認知され、多くの不幸な争いも生まれただろう。それは現代でも未だ同様に起こっている。
 「人間ていうのは、男にしたって女にしたって、自分の利害からはずれたものに対しては、理解がある方がマイナスのほうに回るってわけですよ」。
 この発言は理解しにくいが、譬えるなら、二人の意見がぶつかったとき、AがBの発言内容にも一理あると肯定する様子をみせると、BはAの意見などもはや聞こうとせず、同じ内容を繰り返し主張するようなことだろうか。そうすることで、Bは自分が優位に立っていると感じていたいのである。このとき、恋愛などの大事な利害がからんでいたなら、それが客観的価値となり、良くも悪くも対立する軸はぶれないだろう。いずれにせよ、「理解がある方がマイナスのほうに回」るのは、理解のない方の人間性を拒絶しないからであり、哀れみの感情で受け入れているともいえる。超越的に相手に無関心を示すことで、無駄に相手の感情につきあうだけの時間を過ごさないという選択肢も存在するのである。
 「男も女も物にはちがいないし、セックスもものだから、違わないんじゃないかな。しかしセックスの場合は、相互の所有感で性別によらず主導権をとる方の、分配、あるいは譲与のよろこびが主体となって、そこにふくらみをもたせた所有感が成立つ」。
 この一節は、「女を物としてみる場合とセックスとしてみるのと、これは同じ次元かしら」との問いに答えたものだが、換言すると、性的な結びつきにはどんな可能性があり得るのか、その理解についてふれられているようだ。キーワードになっているのは、「所有感」や「主導権」であり、主体の側の「分配」や「譲与」による「よろこび」の感覚が、客体からの反応を受け取ることで、関係性の中にふくらみが生まれると述べられている。逆に、人がそれぞれ単なる「もの」としてのみ存在し、互いに交流・交歓することによろこびがないとしたら、所有感覚に成長がないだけでなく、主体としての自由にも気づかないにちがいない。また、一般的にいって女性は、その身体自体が異性からの欲望の対象になるという二重感覚に向き合わなくてはならないが、この経験は男性には希薄だ。その違いが、男性による「所有感」や「主導権」といった意識につながっているとしたら、この時点では男性は欲望にふりまわされているにすぎず、精神的な主体性が確立しているとは考えられない。同様に女性に関しても、安心して相手に心身を開放できない限り、他者から得る真のふくらみを知りえないだろう。おそらく、客体の側の気持ちを察してこそ主体になれるということを光晴は告げており、彼の発言は成熟したまなざしによるものだと捉えられる。そこで次元としては、「違わないんじゃないかな」との発想に落ち着くようだ。
 「女も経済的な地盤があれば男と平等じゃないかと、一応法的にもいえるんだけど、そんな割れ目から入ってゆくと話はもう一度振出しにもどる。今日の生活は、今日の人それぞれが考えている封建制から足を洗っているわけではないから、大へんな仕事があとからあとからのこっているのに出くわす。特に感情生活の面でね」。
 この発言から導かれることのひとつに、女性が経済的に充分に自立できる時代が訪れ、社会の状態として、教育や就業の機会の平等、その選択の可能な限りの柔軟性が保障されるなら、男女のかかわり方についてもあらためて整理し直さなければならないという点がある。過渡的な現在でも露骨に生じているように、平等性や柔軟性という理念の側を極端に強調されると、個人間のささいなくい違いでさえ、一方から他方へのハラスメントだと主張されてしまう。これは、新しい時代ゆえに、そこでの人間関係ならではの感情生活が経験として乏しく、社会習慣として熟成していないことが原因となっている案件だろう。あわせて、他者との齟齬に危険を感じることで、健全な人物の多くが慎重になり、人とのかかわりに強い隔たりを置く傾向にある。その結果、監視と密告の構造が社会的に強化されているようだ。また、時代の変化がゆるやかでなければ、家庭においても職場においても、共通の感覚をもつ人間としてうまくとけ込めないのが現実であるが、急激な時代変化のなか、世代ごとに習慣が異なるというマイナス面ばかりが目立ってきた。そこで、あらゆる方面から、人としてのコミュニケーション能力の不足が指摘されている。けれども正確には、全体主義的な流れが主体化し、平等性や柔軟性の完全さをモデルにしていることで、そのようにみえているのであろう。この恐ろしさを、だれもが自覚すべきである。
 「僕の年齢ではもうセックスは縁遠くなっている。(略)そして、とりのこされた思慕は、はじめて、プラトニック・ラブをおもいえがくというわけですよ」。
 説明は不要だろう。プラトニック・ラブの純度は人によって異なるが、思慕の力が引き締まるほど、目の前の女性の向こうに、宗教的とも呼べる昇華された女性像が思い描かれるはずだ。おそらく光晴の抱いたイメージは、マリアよりもダキニに近かったのではないか。そしてその感覚は、絶筆となった未完の詩「六道」につながった気がする。
 さて、以上のように晩年の光晴の女性観を辿ったうえで、「女の一生を詩ふ」を読み返してみよう。一章では、『新雑事秘辛』の「女性考」での発言内容がそのまま作品化されているとも感じられる。とはいえ理屈の段階を飛躍して、「それにしても、男にも、女にも生きるといふことは難儀なことだ。/とりわけ、男にとつては潔白に、女にとつてはうつくしく生きることは。」という心に訴える超越的な一節が出現するあたりに、詩人の実力があらわれているだろう。また、二章では新しい女性像について、「それはただ、男たちに背丈が届くといふだけのことで、/女の虚落は、埋めやうもない。むなしい故にひとしほに、あえかにうつくしい女の開花。/産みおとしたいのちを、むざんに殺める男たちの専断への女のかなしい憤り。」と描かれ、若い女性の未来に対し、美の儚さや夢の喪失を思い重ねずにはいられないようだ。ただし、母から娘へと「晴れの若さでかがやく美貌が、つぎつぎに受けわたされる」のを眺めることで一生が過ぎるという感想については、老いた光晴の一面として、彼らしいプラトニック・ラブの形だと思われないこともない。

(二〇一八年九月二六日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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