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今、詩歌は葛藤する 37
〜『蛾』、金子光晴その7〜

竹内敏喜

 戦時下の家族三人にとって、もっとも深刻な問題として捉えられたのは、わが子への召集令状だったと想像される。息子の乾は一九四四年四月に徴兵検査を受け、第二乙種合格となった。彼らなりの対応の経過を具体的に辿ってみると、その年の一一月に一回目の召集令状が届き、このときは父の光晴が、もともと身体の強くない子を生松葉でいぶしたり、雨の中に裸で立たせたりして、近所の医師から気管支喘息の診断書をもらって召集を免れている。その後、都内の空襲がひどくなったため、実の妹の手づるで山梨県南都留郡中野村の平野屋旅館の別棟バンガローに一家で疎開。一九四五年三月には、疎開先に二回目の召集令状が来るが、前回同様に水風呂につけたりして、喘息発作の医師の診断書を持参し、再び免れている。そして八月一五日の終戦の報を聞くことになった。
 疎開先では、親子それぞれ読書の日々を過ごし、光晴は詩の創作にも励む。以下に引用する、三人の関係を描いた作品「三点」は、一九四五年二月に創作されている。また彼は、月に一度は上京して情報収集のようなこともしているが、中野村では一反ばかりの荒地を夫婦で開墾するなど、素人なりに大地との厳しいふれあいを経験している。自宅のある吉祥寺に戻ったのは、戦後の混乱を考慮して一九四六年三月であった。
 「三点」には、「——山中湖畔に戦争を逃れて」と前書きが付されている。このさりげない一文のニュアンスは、詩集『蛾』(一九四八)の「あとがき」から感じられる印象と、ぴったり重なるようだ。その赤裸々な全文を引き、つづけて作品も挙げたい。
 「この詩集は、僕の皮膚の一番感じ易い、弱い場所で、例へばわきのしたとか足のうらとか口中の擬皮とかいふところに相当する。だがこの柔さ弱さ、たあいなさがつまり僕なのだ。じぶんの弱い音よりじぶんにとつてたよりになるものはない。そしてこれらの詩は空襲もよほどひどくなつてからのもので蛾は終戦一週間ほど前のものである。全篇に哀傷のやうなものがたゞようてゐるのは、いつ終るかしれない戦争の狂愚に対する絶望と歎きのよりどころない気持からで、いつはりなく弱々しい心になつてゐた」。

父と母と子供は
三つの点だ。
この三点を通る円をめぐつて
三人の心は一緒にあそぶ。

三点はどんなに離れてゐても
円のうへでめぐりあふ。
三人は、どれほどちがつてゐても
円に添うて心が流れあふ。わかりあふ。

危い均衡の父と母とを、
安定させるのは子供の一点だ。
異邦のさすらひは
子供からさかれてゐる悲しさだつた。

父と母の魂は
あるとき、すさみはててゐた。
長江の夕闇ぞらに
まよひ鳥の聲をきゝながら。

星州坡(シンガポール)の旅の宿で、父と母は
熱病で枕を並べながら。
モンパルナスの屋根裏(マンサル)の窓に
うらはらな雲行を眺めながら。

父は母をうらうと
企らみ、
母は父から逃れようと、
ひそかにうかがつてゐた。

だが一万里へだてた
遠い子供の一点がそれを許さなかつた。
三点をつなぐ大きな円周は
地球いつぱいにひろがつた。

ニツパ椰子をわたる
夜半のしぐれに
父は子供の呼聲をきいた。
それはバツパハの岬(タンジヨン)の泊。

その時、フラマン通りの鎧扉のうちで、
母は、不吉な夢をみた。
うなされたやうな夜の船出で
こゝろもそらに母はかへつてきた。

ぢれぢれとして待焦れつつ
三つの点はちゞまつてゆき
やがて、しまひこまれた。
小さな一つのかくれ家に。

父は毎日、餌をさがしにゆき、
母は、烟のやうに原稿紙をかさね、
子供は背丈がのびていつた。
三点をよぎる円は、こよなき愛。

この宿命的な肉身のつながりを
年月よ。ゆがめるな。
この透明な輪を、稀な完璧を、
戦争よ。めちやめちやにしてくれるな。

父と母と、子供は
三つの点だ。
この三点を通る周のうへで
三人の心はいつしよにあそぶ。

母よ。私たちは二度ともう
子供の一点を見失ふまいよ。
さもなければ、星は軌道からはづれ
この世界は、ばらばらにくづれるからね。

三本の蝋燭の
一つの焔も消やすまい。
お互のからだをもつて、
風をまもらう。風をまもらう。

 この作品に余計な解説は不要だろう。本人の述べるように、「じぶんの弱い音よりじぶんにとつてたよりになるものはない」という面から味わうべきだと思われる。そうしてこそ、一人の人間にとって本当に守るべきものが何だったのか、理解されてくるはずだ。ところで、「三点」の書かれた三年後、『鱒』(一九四八年二月)に「雑感」と題して発表された文章が、全集に収載されている。戦後の日本人の態度に不満をもっていた詩人が、自分の詩作について公にしたものであり、耳を傾けるべき認識だといえよう。これは推測にすぎないけれど、作品「三点」を含む『蛾』の多くの詩に関しては、「自分自身の骨身にこたえる」ものにあたっていたのではないかと、個人的には受け取っている。
 「今度詩集をまとめるについて、自分の詩をまとめて読んでみて、ひどく淋しい気がした。十年の詩作の仕事の量としては、決して少ない方ではないが、やっぱり、何のためにこんなものを書いたのだろうという感慨が深い。僕が書きたいと思う作品は、自分自身の骨身にこたえるものだ。それでいて、何をつくる意義も理由もない。この標準は、いい詩をつくるとか、ほめられる詩をつくるとか、立派な型を示すとかいうのとは全くちがって、いわば、自分自身だけの問題であって、自分自身の骨身にこたえたからといって、それで世間の通用価値もそれだけあるということにはならない」(『金子光晴全集11』より)。
 その一方で、虚無感と倦怠感から逃れられないでいた光晴は、一九四八年三月に詩人志望で訪れた大川内令子(当時二五歳)と恋愛関係を始める。宿命的なことに、これと時期をほぼ同じくして、一九四九年には三千代が過労と風邪気味の後、急性関節リューマチにかかり、闘病生活のなかで寝たきり状態に陥っていく。後年、この三人の関係を題材に小説『恋兎 令子と金子光晴』(一九九五)を発表した桜井滋人は、作品中の光晴に、「もしかしたら俺は三千代の数多い情事に対抗するために、あの娘を選んだのかも知れない。身分も若さも三千代の情人たちとはケタがちがう。それに、三千代はどの情人にも俺と別れてしまえるほど愛されたことはなかったようだ……。だとすれば、今回は俺がどれほど厚顔になれるか、それが勝負の分かれめだ……。」と述懐させている。桜井は、光晴が若い詩人たちと創刊した詩誌『あいなめ』の同人であっただけでなく、聞き書きでいくつかの光晴の著作をまとめている。二人の対談を読むと、師弟関係とはいえ、まったく気兼ねなく互いの猥談や犯罪すれすれの昔話を繰り返しており、それだけに作品中の光晴の言葉にも、真実味が感じられる。三人の関係については、いずれもう一度取り上げたい。
 『蛾』からもう一篇、「蛾 Ⅰ」を抜粋する。

月はない。だが月のあかるさにみちてゐた。

寝鳥ははこばれる。うとうとしながら森とともに、どこをさまようてゐるのかもしらず。
空は、塩田のやうだ。地はあんまり暗い。あんまりしづかだ。

ものがなしい。だが、めづらしげなこの世界の狭間、人間のたどつたはじめての岸辺。

コロンブス一行も、めぐりあはなかつた、うなされた窓、窓。

ねぐさいつゆくさの床に、夜もすがら枝をつたうておちる夜霧のしづくをきいた。

帆柱はおしすゝむ。あらたな悲しみの封緘を截る、ものうい、いたいたしげなあかつきさして、むなしくも。

  2
 (略)

  3
蛾よ。
なにごとのいのちぞ。うまれでるよりはやく疲れはて、
かしらには、鬼符、からだには粉黛、時のおもたさを背にのせてあへぎ、
しばらくいつては憩ふ、かひないつばさうち。
 (略)

 この連作の詩ほど、具体的かつ不眠症的な幻想性が渾然一体となった文体を、光晴の詩ではみかけない気がする。一九四五年七月に創作されているが、実際には鮫も蛾も嫌いな対象らしい。にもかかわらず、作品「鮫」の力強さ、作品「蛾」の繊細さは抜群ではないか。おそらく詩人は、リアルなものをつかまえようとしていたのだろう。その点、『日本の芸術について』(一九七三)の「リアルの問題」の指摘には、彼の本音が感じられる。
 「芸術家と呼ばれる人間は、リアルと常識の間のずれや矛盾に特に敏感な人間のことである。(略)芸術家は、それに、自分なりの表現を与えようとする意欲を持つことのできた人間のことだ。(略)僕という一個人の歴史のなかで考えてみても、どうして芸術などというものに心をひかれるようなことになったかと検討してみると、それを一口で答えれば、要するに、『逃げ場所』を求めるということに尽きるのだ。(略)一ぺん奈落をのぞいた人間は、怖気がついて足がすくみ、もうどんな使い分けもできなくなる。虚弱児童、疾患者、表面はまともでも、特別感じやすい神経や特殊な事情をもった人間、ゆがんだ過去をもっている人間といっしょに、芸術家は、かくれ家とひとりで反省する時間がなければ生きてゆきにくい。彼らは、そこでリアルの深さにふれる。(略)小説にしろ、実録実話にしろ、そのものがリアルというわけでは、夢さらない。一見それがどんなになまなましく見えていても、それは、痕跡であり、去ってしまったリアルのうしろ影にすぎないのだ。リアルは、表現を絶したものだ」(『金子光晴全集11』より)。
 今回は引用が多くなったが、それは、『蛾』が非常に重要な詩集であるからだけでなく、その重要さの理由を確認するかのように、光晴が散文で何度も説明を試みていると思われるためである。見方によれば、『蛾』をリアルなものと思い定めたゆえに、令子という女性に深く関わったとも考えられる。詩人は、彼女のなかにリアルなものをさらに探りながら、自己の孤独を学んでいったのではないか。リアルとは、魔の物でもあるのだ。

(二〇一七年一二月一八日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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