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今、詩歌は葛藤する 28
〜『智恵子抄』、無支配という示唆を受けて〜

竹内敏喜

 『新約聖書』を古書店で購入したのは、高校生のころだった。外国文学ばかりを好んで読んでいたから、その延長で興味を持ったといえるが、毎日数ページずつ読む習慣を七年ほど続けたことで、新約聖書だけなら何度か通読することになった。なかでも福音書には特別な魅力を感じ、そこに記された出来事を味わっていると、心に暖かい明るさが伝わってくるのが、今でも不思議な感覚として思い出される。また、もっとも好きなエピソードを挙げろといわれれば、当時も今も変わらないことを考えると、その場面は自分にとって大きな意味があるのだろうと、自覚せざるを得ない。
 「イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、イエスに言った。『先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーゼは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか』。彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい』。そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。『婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか』。彼女は言った。『だれもいません』。そこで、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません』」(『ヨハネの福音書』第八章)。
 福音書のこの部分を開くと、乱れのない静けさが伝わってくる。その静けさは、イエスの態度から発しているらしい。彼はすわって民衆に教えていた。そこへ、彼を告発しようとする者たちが、姦淫の罪にあたる女を連れてきて、イエスに意見を求める。彼らが問い続けるので、罪のない者がモーゼの律法の命じるように石を投げよと、イエスは述べる。すると誰もいなくなり、イエスは女に、わたしもあなたを罪に定めないが、今からは罪を犯してはならないと告げる。これらを全体として受けとめるなら、イエスは、社会において弱い立場の民衆および女と、強い立場の律法学者およびパリサイ人という二つの階層に挟まれることで、法の行使の良きあり方を示しているようにみえる。ひとまずそれは、人間の不完全さをふまえたうえでの、寛容の精神の大切さにつながるだろう。
 ここで以前から知りたいと思っていることは、イエスが指で地面に書いていた内容である。文脈からみると、民衆への教えといくらか関係がありそうで、かつ、律法学者やパリサイ人からは一瞥すらされないもののようだ。それ以上のことを探求しようとしたら、独善的な想像に陥ってしまうにちがいない。あるいはイエスが自己と向き合う方法として、同時に、拒絶したい他者を前にしての行動として、指で地面に書いていたと理解した方が正確だろうか。民衆への教えは語りによってなされていたはずだから、一時的に民衆とのコミュニケーションを中断し、聞く耳を持たない学者とも隔たりをおくかのように、書かれたものを通して自己(むしろ父なる神)と対話していたと考えられないこともない。
 もう一点、卑近な疑問を加えるなら、ある種の偉人は自分では書き残さず、弟子などにその言行録を記されているという事実について確認したい。端的に結論すると、イエスの場合は多くの者と向き合っていたので譬え話が常だったわけだが、目の前の相手の状況にふさわしい語りこそが意義深く、どんな教えであれ一般化されれば、人々に誤解や悪用の種をまくばかりだと自覚されていたといえる。逆に捉えれば、社会状況に適応させながら自分たちに都合よく法を解釈する律法学者やパリサイ人のようなタイプは、けっしてこの世からいなくならないとの認識があったのだろう。残念ながらそうした人物は、立場的に敵にあたる者からよりも、味方のなかから現れる。師の言葉をめぐっての解釈の違いで、優れた弟子たちがそれぞれの道理に固執していくとしたら、師の精神の本質的な片鱗は、信仰に務める同時代の者においてではなく、残された言行録のなか、登場人物の気持ちになって探り直すしかない。それは、言行録が超越的なものとして存在することを意味する。
 だからといって、先ほどのイエスのように、彼ら偉人がまったく何も書かなかったとは思われない。例えば、プラトンの創作である『パイドン』には、次のシーンがある。ケベスがソクラテスに、今まではけっして詩など作らなかったのに、ここへ来て(死刑を宣告されて)から作ったのはどうしてかと尋ねたのに対して、ソクラテスは答えている。
 「僕はただ、ある夢の意味を確かめてみようとしたまでなのだ。その夢が僕にたびたび命じていたのが、もしこの種の文芸作品を作ることだったとしたら、それを作って責めを果そうとしたまでなのだ。その夢というのはこうだ。僕はこれまでの生涯に、たびたび同じ夢を見た。その時々で姿かたちこそ違え、言葉はいつも同じだった。『ソクラテスよ、文芸作品を作り、文芸に精進せよ』と。以前には、この夢は僕が現にやっているそのこと(哲学)を、勧め励ましているのだと解していた。(略)ところが裁判が終り、神の祭が僕の死刑執行を妨げているいまになって、僕はふと思いついたのだ。ひょっとしたら、夢がたびたび僕に命じていたのは、あの普通の意味での文芸の制作かもしれない、そうだとしたら、それに背かないで作らなければなるまい、夢の命じるままに詩を作り、責めを果してからこの世を去ったほうが、安全ではないかとね。こうして僕はまず、ちょうどそのとき祭が行われていた神アポロンへの讃歌を作った。神の次には、アイソポスの物語を詩に作った。詩人はもし真に詩人たらんとするならば、事実を語るのではなく、物語を作るのでなければならないということに気づいたからだ。同時に僕自身は物語など作れないということにもね。そこで手近かにあってよく知っているアイソポスの物語を、それも最初に思いついたのを詩にしたというわけだ」。
 事実なのか、プラトンの創作にすぎないのかの判断はしかねるが、ソクラテスは死刑を目前にして、詩を作ったとされている。理由は、彼が何度もみた夢が命じたからだという。彼の詩作品は残っていないものの、内容に関しては詳細に語られており、アポロンへの讃歌や、アイソポスの物語の最初に思いついたものだと本人は答えている。ただし、彼が知りたかった夢の意味については、直接にはふれられていない。ちなみにソクラテスといえば、ダイモンの声が聞こえたことで有名だが、その合図は公人としての活動を禁じる指令であった。換言すると、私人として活動せよとの意図につながり、詩作は、見方によれば私人としての活動だと捉えられるかもしれない。また、ソクラテスの問答法は、真の世界に達するのを目指すものではなく、知と無知という二重世界の前提にある「知」の廃棄を目指していたとの学者の説がある。その点でも、積極的な詩作こそ、真の世界を目指すものであった可能性がなくもない。しかし、それは断念されることになった。
 ここで試みに、先ほどのイエスの行為を、ソクラテスに倣って反復しながら想像をふくらませてみたい。イエスは間近い自分の死を自覚しているが、人々の無理解に囲まれて、指で地面に書きはじめる。その理由は、神の子としての逃れられない定めを振り返ったからだろう。彼が地面に書いたものは残っていない。しかし、その内容と類似するものが福音書に書き留められていなければ、イエスの行為はまったくの無意味になってしまう。ならばそれは、この場面のどこかに記されているはずだ。真意を含んだ言葉で選ぶなら、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」といったものに近いかもしれない。これらを、自己の死と復活を先取りする行為とみれば、まさに神の子としての限界の姿が示されているようでもある。つまりは愛の表現として、法が存在する意味を、対象の支配においてではなく、対象との信頼を育むことにみる態度であろう。社会生活に即していい直すと、神のもとでの隣人愛の広がりであり、人間は本来、互いに無支配であることへの気づきの促しである。つけ加えれば、法により罪だとみなされても、不完全である人間には神がついているのだから、人々にはその罪人を裁く資格はなく、罪人は自ら神と向き合うことで再生すべきだ、という方法につながる。
 こうした見方を敷衍して、ソクラテスの夢の意味についても考察してみる。仮説を先に挙げると、「物語など作れない」事実に気づくことが、夢の命じた意味ではないかと思われる。当然のことながら、ソクラテスは哲学者なのだから、物語より事実が大切だったにちがいない。事実を直視し、理性のもとで人間の無知を探ろうとすることは、間違いはおかさないかもしれないが、受動的で機械的な取り組みだといえる。それに比べ、詩を作ることは能動的な作業であろう。だが、詩においては、「事実を語るのではなく、物語を作るのでなければならない」と悟ったとき、自分には不可能だという事実につきあたり、彼は無一物という人間らしさを取り戻すかのようだ。ここにイエスとの決定的な違いがある。
 こじつけになるけれど、ソクラテスにおける不完全さは、むしろ姦淫の場で捕えられた女に似ている気がする。彼女は生きるためにしかたなく、姦淫という方法に陥っていた。ソクラテスも自己が無知であることを知っていたため、民衆相手に哲学という方法を徹底した。彼らの生き方は法のもとで罪だと定められたとはいえ、哲学に向けられたソクラテスの精神は、イエスが指で地面に書いていた姿にこそ似て、無支配を象徴する人類の遺産となっている。他方、神の子があの女の女性性を救ったことで、女性一般の苦難がやわらげられたのも歴史的事実であろう。三者の人柄の印象は、愛情深いという点でも一致しており、彼らが普遍性をもって人々に受け入れられたのは、その愛のゆえではなかろうか。
 以上は、ほとんど根拠のない妄想だ。しかしここまで書いてきて、現代社会と照らし合わせてみると、イエスやソクラテスといった存在がお伽噺にしかならない現実をつきつけられ、この社会に生きてあることに虚しさを感じる。願わくば、彼らの精神が真の詩人を通して生きていて欲しい。真とともにあるイエスは人類にとって例外だとしても、ソクラテスの精神から無支配への自覚を学ぶことは、社会の本質を知るうえで有効な手段になる。やや飛躍すれば、職業労働によって社会貢献しているはずが、自らと他者を拘束しているに過ぎないのだとみえてくれば、現代の民主主義に対して大いなる危惧の念を抱かされるだろう。今回の長い前置は、柄谷行人氏の稀有に美しい著作『哲学の起源』(二〇一二)から示唆を受けて連想したものであることを、感謝をこめて付記しておく。

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂濫怒涛の世界の叫びも
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。

昭和一五・三

 高村光太郎の『智恵子抄』(一九四一)から「梅酒」を引用した。この作品のことを考えようとすると、個人的な思い出が伴ってくる。大学生のころ、卒論は創作だったので、指導の時間には自作の詩を数篇用意し、教授に読んでいただいていた。部屋には二人きりだったから、静かな時間ばかりが過ぎた。ゆっくりと読み終えられると、作品とは関係のない他愛のない雑談をしばらくなされ、いつも昼食に誘われた。教授の専門は哲学であり、もしかすると詩人を志す青年の指導に戸惑っておられたのかもしれない。しかしあの時間は充実していたと、今でも懐かしく感じる。
 ある日、教授は机のうえにラジカセを用意されていた。こちらの作品を読み終えられると、おもむろにラジカセのスイッチを入れられた。そこから聞こえてきたのは、詩人本人による「梅酒」の朗読だった。光太郎のたんたんとした、少し鼻のつまったような声が響いてくる。作品の後半では、テンポがやや早まり、声が荒くなった。そして最後の一行はつぶやくように、力なく語られた。こうした印象は、一気に心に焼きついたようだ。その印象を振り返るたび、ぶっきらぼうとも思われる彼の語りから、刃の鋭さが伝わり、一種の緊迫した空間が自分の内面に成立するのがわかる。そこに包まれていると、じわじわと悲しみがにじみ出てくる気配もするのだが、その悲しみはだれのものともわからず、まるで感情とは別次元にあるという感触さえおぼえる。
 ところで『智恵子抄』には「智恵子の半生」という文章が載っており、そこに次の一節がみつかる。「製作の結果は或は万人の為のものともなることがあろう。けれども製作するものの心はその一人の人に見てもらひたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はさういふ人を妻の智恵子に持つてゐた。その智恵子が死んでしまつた当座の空虚感はそれ故殆ど無の世界に等しかつた。(略)さういふ幾箇月の苦闘の後、或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失ふ事によつて却て私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言はば彼女は私とともにある者となり、私にとつての永遠なるものであるといふ実感の方が強くなつた」。
 大切なものを喪失した悲しみは、悲しみ自体を引き金として、対象との関係を別の次元に変えることがある。利己的であるかどうかはともかく、それは死者に捧げる念であり、自己の世界観の変化としても、新しい感覚を目覚めさせるだろう。やがて死者の存在がいつも身近に感じられるようになったなら、自分は一人ではないと気づく。悲しみは浄化されるのではなく、悲しみとともにあることの決意により自己の内面が浄化され、死者はその存在を遍在という姿であらわすようになる。
 「あはれな一個の生命を正視する時、/世界はただこれを遠巻にする。」には、私人としての独立心があり、そうした個の自負に近づけない世間を、悲観的に肯定している。そのうえで、末尾の「夜風も絶えた。」から強い諦観を受け取ると、亡き妻とともに自分の道を行くしかないとの決意が読み取れよう。「罪人は自ら神と向き合うことで再生すべきだ」という方法に通じるものを、ここに見出せないこともないが、その後、戦中に公人として詩を発表したことで、ソクラテスとは異なる悲劇に巻き込まれることになった。

(二〇一七年三月一日 了)

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竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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