reviews
詩と出会う

essays
いま

interviews
人と出会う

今、詩歌は葛藤する 26
〜『もんしろちょうの道順』、詩は詩人にしか書けない〜

竹内敏喜

 柿沼徹の詩集『もんしろちょうの道順』(二〇一二)を読み返していて、ひとつの感覚が思い出されてきた。ひとことで述べると昔話の世界観に近いのだが、実際に受け取った感覚は、その世界観から排除されている現在の作者を通したものであるため、永遠に喪失されたものとつながる瞬間を無意識的に求めた結果、幻をつかまざるを得なかった語り手の失望感において伝わってくる。だが、その失望感に基づいた詩作品を創作するなかで、あきらかに作者は救われている。こうした過程を含めて、昔話の本質との類似性が感じられるのかもしれない。例えば、題材として昔話に直接ふれている作品「脚注」なら、次のように展開されている。

そのページをめくると
脚注が犇めいていた

そこから先は何も動かない
正午だけがつづいている

川で洗濯したあと
おばあさんはどこに帰ったのか

川面の光はおどり狂っている
静かな水の音が聴こえているのに

むかしむかし、あるところに
と記された本文が見あたらない

あるところに
いなかったわたくしがここにいる
長い脚注がつづいている

 おそらく「犇いてい」る脚注とは、現代社会を支配する自己言及的な情報量(法規制)のことだろう。そうすると、ページがめくられるとは、子供から大人になって社会生活を余儀なくされることだと理解できる。人間はこの位置に立つとき、自己の能力を証明しながら、社会の歯車として、奴隷の形式に馴染むことを強制されてしまう。それは、情報という力(公権力)を主体として捉えるなら、隈なく明るい「正午」にも等しく、人間からは、幼年時代には育まれていただろう陰影の価値が排除されることになる。ただ、この語り手には、恵まれた幼年時代がなかったようにも、作品からは読み取れるかもしれない。
 それにしても陰影の価値とは何だったのか。ヘルダーは、「真の昔話は、私たちを時間と空間からばかりでなく、死すべき運命からも解き放ってくれる。私たちは昔話を通じて霊の国へ入る」と述べている。もちろん、霊の国にも自由だけでなく拘束がある。「川で洗濯したあと/おばあさんはどこに帰ったのか」、ここには昔話の価値に対する共感がみられるが、その共感は、おばあさんにおける自由と拘束を認識したうえでのものとなっている。おばあさんは、おばあさんを取り巻く世界のなかで、成すべきことを成し終えており、簡潔に記されたその行動の全体によって、永遠に生きているといえよう。
 そんなおばあさんの行方を問いかける柿沼氏の作品では、「川面の光はおどり狂っている/静かな水の音が聴こえているのに」と詩句が続き、生命の過剰なきらめきが感受されるなか、視覚は自由を担当し、聴覚は拘束を担当するともみえる譬えを示す。これは現代詩のあり方が、昔話の感覚に抵抗している姿だと思われないこともない。
 一方、語り手にとって「本文」は、次の一節のように、無いのではなく、見あたらない状態において確かめられている。「むかしむかし、あるところに/と記された本文が見あたらない//あるところに/いなかったわたくしがここにいる/長い脚注がつづいている」。これは、脚注という位置に抵抗する一人の人物が、自己を主張しようとしているとも考えられよう。その姿は、「あるところに/いなかったわたくし」として、「ここにいる」違和感によって描かれるが、これは「おばあさん」との関係でみると、まったく逆になっていると受け取れる。「ここにいる」ことは、生きることと程遠いという気分である。
 調和という観点からすれば、逆の立場を選択するのは、すでに相手との関係を得ていることだといえるかもしれない。そのように捉えてこそ、「脚注」の内部から飛び出したい語り手の意志があらわれるだろうし、具体的には、詩作品を創作し続けることで担えるのだとすると、詩歌は自由意志の結晶にも似てくる。もちろん拘束としての自己の限界も同時に背負わなければならない。このとき、昔話の精神が一瞬、甦っているのではないか。

せんせい!
最前列の女の子が手をあげた
国語のテストが始まっていた
「アオキくんは、わたしの名前までまねています」
教室じゅうがざわついた

アオキくんだけが
なにもなかったかのように
おとなしく前を向いていた

一番前の席に
休み時間もひとりで座っている
アオキくんは
だれとも話をしない

アオキくんはなぞだった

一度だけアオキくんが
話しかけてきたことがあった
ぼくの席まで来て
「かきねまくんって、○○○なの?」

この○○○の部分が思い出せない
ほんとうは○○○なのかもしれないのに……

 次に、作品「アオキくんのこと」を読んでみたい。小学校と思われる教室のなか、精神が少し薄弱であるらしいアオキくんが、周囲の生徒には「なぞ」な存在となっている。語り手が彼をめぐる思い出をたどると、彼に話しかけられた一部分が欠落しており、「なぞ」な存在から与えられた言葉を欠落するという、二重の不可解さによって、対象の神秘性が増している。ましてや語り手は、加齢とともにあらためて自己認識を進めている渦中であるだけに、その欠落したものの価値は、とてつもなく大きくみえざるを得ない。そういえば作品「脚注」において、本文が無いのではなく見あたらない状態で認められていたことと、これは構造的にそっくりだといえるだろう。
 ここで述べておくと、「ほんとうは」という問いが、この詩人の要だというのが筆者の確信である。詩人は、長い詩作の期間を通し、この「ほんとうは」を常に胸に秘めてきた。そうしたスタイルを取ることで、感情を吐露する抒情詩にかかわることを拒否するとともに、生物の形態に美を見出したり、数学的な象徴性の絶対化に惹かれていったらしい。それは他方で、詩作の方法を技巧的にさせ、対象の描写はさらに簡略にされていった。一般に、人が絶対化を求めるのは、内面に不安や安定感の欠如があるときだと考えられる。柿沼氏も、不安と真向からぶつかり、短くない闘病生活を経たあと、その体験をもとにした作品を残している。念のためつけ加えると、たとえ病的な作用をモチーフにして作品をまとめるにしても、この詩人はけっして読者サービスとしての一種のユーモアを怠らない。この芯の強さと柔軟さが、作品「アオキくんのこと」に結実している気がする。
 あわせて、「ほんとうは○○○なのかもしれないのに……」という一行くらい、昔話の感覚に近いものはないのではないか。仮に「○○○」の内容を思い出し、自分がそうであると自覚するにしても、いや違うと感じるにしても、あるいは、いつまでも思い出せないとしても、いずれにせよ語り手は、この「○○○」と向き合ったことで一つの段階を乗り越えていくにちがいない。それは、拘束を自由へと昇華することである。識者が述べるように、ある意味で昔話は、物事がぴったりと合う世界を、人がふつう思っているよりもはるかに広い視野から描かれている。そうすることで、人を喜ばせるだけでなく、人格を形成し、励ますことができるのだろう。詩人は、その形成の意義を大切にしている。
 もう一篇、「空き缶」を挙げる。

コーヒーの空き缶が
歩道の上にころがって
陽光に照りつけられていた

交差点付近の
人波と自動車の流れのなか
あたりいちめんの偶然から
とつぜん浮かびあがって
空き缶の姿が
静止して動かなかった

空き缶が
私と直線で繋がった
空き缶が
動かない「空き缶」にくい込んだまま
私の目を凝視していた

それはありえない
ありえない一つのことが
ほかの全貌を浮かび上がらせている
(歩行するまばらな影、踏切の信号音
(親子連れの声、とおくの家並み

動かなかった
そこにころがっていた
そしてあたりは
空き缶の外部だった

 これは、不動心への憧れを作品化したものだろうか。古来、禅僧が目前の竹や桃から瞬間的に悟りに至ったことは、エピソードとしては有名だ。柿沼氏も一つの空き缶と出会い、ある悟りを学んだのだろうか。試みに、語り手の感受性と空き缶との関係を中心にして、本文を辿り直してみる。
 空き缶は、「歩道の上にころがって/陽光に照りつけられていた」。「あたりいちめんの偶然から/とつぜん浮かびあがって/空き缶の姿が/静止して動かな」くなる。空き缶は「私と直線で繋が」り、「動かない「空き缶」にくい込んだまま/私の目を凝視していた」。周囲にある「ほか」の「全貌を浮かび上がらせて」、「動かなかった」。そこに「ころがっていた」。「そしてあたりは/空き缶の外部」だった。
 そこにころがっていたような存在が静止したことで、換言すれば、その対象についてころがるような存在でしかないと語り手が信じていた常識において、動かないことが存在にとっての価値として高まり、語り手の注意を引いている。それは北極星のような位置をとり、他の存在を、彼をめぐって回転する星座のように浮き彫りにする。このとき、その無数の星座の全体は、彼の外部であるとともに、彼の位置でしか成り立たない形象という点で、彼の内面そのものでもある。そうした位置があることに語り手はふいに気づくのだが、さらに大事なのは、空き缶がそれに気づかせてくれたという衝撃かもしれない。
 そもそも空き缶とは、飲料を飲み終えた人にとってはゴミでしかなく、本来の役目を済ましているものだ。この現実が、語り手には切実に感じられたのだろうか。経済社会を中心に日常が送られてきて、今の自分は、職場では定年退職間近であり、子供たちはそれぞれ独立し、外部から強く縛りつけてくるものが減りつつある。そうしたときに、空き缶がみえてくる。自分も空き缶と同じならば、空き缶であることでつかめる世界観があるのではないか。いわば、外部にとらわれない生活意識へのまなざしである。
 言葉は、「人がものに向き合うことで現れ、さらには人と超越性が出会う場にもなり得る」と、この連載の第八回のときに記したが、それは言葉が始源的に象徴的なものであったことを意味する。そうした始源の状態に自分自身が至りつくことで、人は詩人になるのではないかと、このところ考えるようになった。詩人が、象徴性である自己を維持するために、おのれの内部から言葉をみつけざるを得ない事実を、柿沼氏も前回の中村氏の場合でも、明確に作品化している。彼らは脚注などない本文そのものである存在なのだ。ここにおいて、詩は詩人にしか書けないとの命題を、認めることができるだろう。
 柿沼さんはお酒が飲めない。それでも毎度毎度、毎月の合評会のあとの居酒屋での歓談につきあってくださった。はじめてお会いしたのは二〇〇〇年くらいだったが、こちらが酔って暴言を吐いても、いつも穏やかに接してくださった。あまりにおいしそうに冷酒を飲む姿がうらやましいと、「生まれ変わったらタケウチになりたい」と冗談をおっしゃっていたのが懐かしい。わが子の相手などでこちらが合評に参加できなくなってからは、お会いする機会もめっきり減ったけれど、心にあたたかく残っている詩人である。

(二〇一六年一一月一九日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

>>竹内敏喜の詩を読んでみる

>>essays