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今、詩歌は葛藤する 15
〜『蘭・CALENDRIER』、知的に訓練された感性の行方〜

竹内敏喜

 あらためて問う必要はないかもしれないが、詩を読むときの態度について、詩人自身はどのように考えてきたのだろうか。例えば安東次男は、著書『詩 その沈黙と雄弁』(一九六九)に以下のような明確な言葉を残している。書かれた時期もまちまちなら、その対象もさまざまだが、恣意的にいくつか引用したい。
 「このボードレールの詩行など、そのかっこうの例である。音綴の欠落は、(略)いや、欠落がそのままのこされたがゆえに、行分けにしたまさにそのとき、この平凡な一散文はみごとな詩となった、とさえ私には思われる。そしてそう読むことが、この詩句のばあい、作者の内面に即した自然な読み方であって、理にさからってまでこれを一二音綴にあわせる必要など、いささかもない。無理な解釈者には、けっきょくボードレールの肉声の何たるかは理解できず、したがってまた、詩人の息づかいから切り離せばそのとたんに月並な一散文と化してしまうしかないこの一行が、なぜ書かれなければならなかったかにも、考え及ぶまい。(略)読むということは、作ることにくらべて総じて知的な作業だが、とりわけ詩の場合は、その意味で、知的に訓練された感性によってしか、理解にとどくことはできない」。
 こうした力強く潔い見定めの裏には、本人が述べるような、感性を知的に厳しく訓練したとの自負がまさしくあるだろう。それは魅力的な生き方だと思う。だが、ここで断言されている内容に対し、邪心なく共感できる者もいれば、なんらかの資料等を根拠に批判する者もあらわれるにちがいない。批判する者はその延長で、安東氏の態度のなかに潜む独善性を指摘するのではないか。けれどもそのときには、詩歌という空間はすでに彼らから消え去っており、自己を正当化しようとする言葉を空しく響かせるだけである。もちろん安東氏は詩歌と向き合いつづけているのだから、われ関せずであっても良い。信頼できる詩句の彼方に、ある種の親しみが湧いてくるまで心静かに対峙するのは、贅沢な行為なのだ。その支払いが思いのほか高くつくのは、しかたがない。
 「古典を読むのに、そこに問題意識をつねに捜さなければならないようなみじめな読み方というものが、いやしくも、豊かな古典の伝統をもった国のどこかにあったか? 作品は、まず楽しんで読むものだ。楽しんで読めないほど貧しい古典など、もともと読む必要はない。いわんや、そんなものを引き合いに出して伝統を論じるなど、愚の骨頂だ」。
 これは古典にかぎらず、優れた対象についてなら成立する見解である。逆にいうと、どんな対象についても成り立つと考える者がいるとしたら、それは自分を楽しませているだけであって、作品と真に関われていないと自覚すべきかもしれない。さらに疑えば、その楽しみ方も、惰性の演技にすぎないのではないかと思われてくる。要するに、詩歌という空間に最初から縁のない鑑賞態度なのだろう。そのような者の発表する文章につきあわなければならないという苛立ちが、ときに氏の散文にみられる。しかしこの挑発は、良きものとの出会いを諦めていないからこそのおこないだったと想像できる。そこで、ともかく出会いがあったとして、詩歌と縁のある読みとはどういうものか、一例を挙げたい。
 「いったい現代の詩のほんやくと称するものには、写しうる部分と写し得ない部分についての見境がなくて、がむしゃらに置き換えようとするから、訳だけ読めばまあなんとか読めても、原詩と並べて読めばなんとも味気ないものが多すぎる。しかし本当のほんやくとは、むしろその反対であるべきで、原詩と並べてこそいよいよ躍動するものがあるべきだと思う。つまり固有言語の写し得ぬ一線をあざやかに認識させながら、なお深く同心に遊ぶ心がまえであろう」。
 この同心の見極めが肝要だと、氏はみている。同じように写すだけで同じでない心、違いを際立たせるゆえに同じ心だと認められるものに気づけるかどうか。また、そこで心が喜ぶのを味わえるかどうかである。古くから知音といった成語もあるが、なんらかの道を進むなかで無二の友を見出してこそ、その道を知ることより好きであることが勝り、好きであることは楽しむことに劣るとされてきた精神に、思い至るのではないか。それは同時代の相手である必要はない。社会に生きるうえで、これは貴重な知恵となるだろう。そうした出会いを与えるきっかけとして、詩歌という形式は最適であったが、時代の移り変わりとともに同心と遊ぶかたちも変化せざるを得ないようだ。
 「短歌や俳句は、いってみれば余情の文学である。語られざる空間の面白さによって成り立つ文学である。それを捨てないかぎりかれらの定型はくずれないだろうし、定型を捨てないかぎり余情はいぜんとしてかれらの生命の最重要部分を占める。そしていわゆる現代詩も、かつてそういう法則によって成り立っていた時期があった。一見定型など無縁な口語自由詩に移行してからも、無意識のうちに現代詩を支配しつづけたものは、この原則にほかならなかったといえるだろう。それほど、間(ま)というもののもつ魅力は、こと詩歌とかぎらず、日本人の日常感覚のなかにしみこんでしまっているのである。ところが、その間がいつのまにか消失してしまった。すくなくとも消失の危機にさしかかっている、というのが最も先端的な現代詩が当面している問題である。(略)その点現代詩は、いまようやくその本来の存在の意味を問おうとしている、ともいえる」。
 かさねて氏は、「その非詩的構造、言語破壊への欲望の構造を問おう」としている現代詩の流れを唯一の道だと受け取りつつも、自分にはこれに随ききるだけの自信がないと語る。だがもしかすると、「即興の遊は試みの内が花で、うまく成功したら面白みは無くなるだろう。『淋し』とは、無意味で未熟なことにあいにく熟練と意味が現れてきた味気なさのようにも読める」(『木枕の垢』)といった感覚に陥っていたのかもしれない。実際、その後に詩作はほとんどなく、作句はなされたが、芭蕉の連句につきあうことをライフワークとした。もちろんこれは伝統的世界に逃げ込むことではない。狭き門より入り、魅力ある他者とのつきあいのなか、自己研鑽することである。それゆえに初心者向けの時評的な仕事においても、詩歌の本質に触れつつ、明瞭に言及することができたと思われる。
 「日々の短歌、日々の俳句というものは成り立つが、日々の詩というものはない。短歌や俳句は、一方に日常性があり、他方に定型というものがあって、はじめて活き活きとした歌や句になるものだが、詩というものは、日常性からいかにして離れるかに、その離れ方の工夫に、すべてはかかっている。その点、詩の究極は純粋詩につきるともいえるし、他方短歌や俳句に、純粋短歌だの純粋俳句だのというものは、考えられない」。
 この見識内容を過去のものとみる識者は少なくないだろう。けれども、こうした確固たる思想をもって詩歌を見据えたからこそ、取り組むべき対象としての芭蕉がみえてきたのであり、その心を探るなかで、あれほどまでに徹底した連句評釈を残せたのである。それは、「俳諧にとっての季語とは、もともと当座挨拶の趣向であって人情と不可分のものだ、というところに古俳句の見所がある。現代の俳人が考えるような都合のよい後楯としての季語は、俳諧師には通用しない」(『木枕の垢』)のように、真剣勝負を挑む道であった。そこに記された批評の言葉を辿るとき、現代のたいていの詩歌作品より、みずみずしい新鮮さが感じられるのも事実だ。なぜなら、芭蕉における日常性と定形が、厳しく推敲された作品を通して尊重されており、そこで同心に遊んだ安東氏の豊かな喜びが、こちらに伝わるからである。その評釈が、詩心を保つ人物の作品になっているという意味では、氏が口語自由詩から離れていったのは、残念ながら必然だったと理解すべきらしい。
 ここで安東次男の残した詩をみてみよう。オリジナルではなく撰詩集だが、『蘭・CALENDRIER』(一九六三)から挙げる。「CALENDRIER」については、後に加筆のなされた定本もあり、思潮社の現代詩文庫で手軽に読むことができる。それを承知で、一年を一二作品に分けて描いた一九六三年時点でのコンパクトな連作を、「霙」と「球根たち」を中心に読んでみる。ただし、全体の特徴を捉えるため、前提として一月の「氷柱」と一二月の「ある靜物」を最初に部分引用し、私的な解釈を付しておく。
 「…まさしく目の終つたところから視線は始まるのだそして視線の終つたところからは何も始まりはしない始まるのは(略)一種の痛みだけだ(略)それをわれわれは不透明さということに対する若干の嫉妬の気持もあつて 透明だ と云つたり溶けることに対する頑固な期待もあつて 氷つている と云つたりする…」(氷柱)。…先に述べると、連作は水をテーマに展開していると考えられるので、ここからキーワードとして「透明」「氷」を取り出せるだろう。もちろんその背景には、「視線」「痛み」が控えている。ここからさらに詩の純粋な内実を探ってほしいと、この作品では読者を煽っている印象もある。
 「…熟れることができるためには nature morte つまり 死んだ自然 でなければならないと頑固に信じてやめないこんな果物の一つを慌しい歳晩の雑沓の中に認めたときひとは あの男は死んでいる と云う。」(ある靜物)。…ここは全体の末尾にもあたり、「死んだ自然」と「熟れること」の関係に目が止まる。「死んだ自然」については各月の作品で描かれているが、死と同化される時間を持つことで、自然の絶頂としての「熟れること」を表出させ、生そのものを分離していると、ひとまずいえよう。しかし、これらは反語的でもあるため、真に問われているのは死者を「認め」た側の「ひと」の生のことだと思われる。つまり、「ひと」は「云う。」といった存在以上のものになれるのか、との難問を掲げているのではないか。あわせて、先の引用にもこちらにも「頑固」の語がみられ、「頑固な期待」と「頑固に信じてやめない」は、ともに揶揄の対象になっていると読める。これは自戒だろうか。ならば、生における柔軟性に価値がおかれていると理解できそうだが、それは水の特性であることに間違いない。
 二月の作品「霙」を引く。

地上に届くまえに
予感の折返し点があつて
そこから
腐爛した死んだ時間たちが
はじまる
風がそこに甘皮を張ると
太陽はこの擬卵を温ためる
空の中へ逃げてゆく水と
その水から零れ落ちる魚たち
はぼくの神経痛だ
通行止の柵を破つた魚たちは
収拾のつかない白骨となつて
世界に散らばる
そのときひとは



泪にちかい字を無数に思い出すが
けつして泪にはならない。

Février

 指示された内容を辿ると、降ってきた「霙」が地上に届くまえに消える、その蒸発の瞬間に作者の意識が集中しているのがわかる。もちろん単純なおもいつきではなく、「予感の折返し点があつて」のように既知の自然現象を分析する意識であり、対象がみえなくなることを「腐爛した死んだ時間たちが/はじまる」と捉える過剰なものだ。つづけて、その「死んだ時間」という観測点からの連想が、「風がそこに甘皮を張ると/太陽はこの擬卵を温ためる/空の中へ逃げてゆく水と/その水から零れ落ちる魚たち/はぼくの神経痛だ」として、具象的な動きを呼びこむ。水は逃げることで生のうちに留まる一方、あえていえば、「魚たち」と「神経痛」の関係は「視線の終つたところからは何も始まりはしない始まるのは(略)一種の痛み」の効果的な反復で描かれる。こうした作品の流れから、痛みの「白骨」とは「ひと」の世界に散らばる文字だと受け取れよう。そこで、逃げた水を取り戻そうと「漁」「泊」「滑」などを思い出すが、空白の中心としての「泪」が残されることになる。おそらく「泪」は生の側になければならないのだ。なお、この作品からは、芭蕉の「行春や鳥啼魚の目は泪」を容易に思い浮かべる。この句は離別の泪をあらわすといわれており、『奥の細道』の旅では、その離別の未練を断ち切ったうえで神域に入る工夫がなされている。その点でも、「泪」は再生への道筋を示唆しているようだ。
 次に六月の「球根たち」を引く。

みみず けら なめくじ

目のないものたちが
したしげに話しかけ
る死んだものたちの
瞳をさがしていると

一年じゆう
の息のにお
いが犇めき
寄つてくる

小鳥たちの屍骸
がわすれられた
球根のようにこ
ろがつている月

葬むられなかつた
空をあるく寝つき
のわるい子供たち

あすは、
すいみつ。せみ。にゆうどうぐも。

Juin

 まず、「目のないものたち」(=非「視線」)が「死んだものたちの/瞳」(=非「非『視線』」)を探すというのは、同一物を通しての反転の試みであり、これは痛みに支配された「したしげ」な世界における生命の無意味な営みをあらわすようだ。次に、「小鳥たちの屍骸」(=死)と「球根」(=生)のかたちの類似性における反転があって、こちらは生命の満ちていく「わすれられた」季節を暗示している。それは、「一年じゆう/の息のにお/いが犇めき/寄つてくる」という一節からも導ける解だろう。また、「葬むられなかつた/空をあるく寝つき/のわるい子供たち」は、作品「霙」での、「擬卵」からかえって「空の中へ逃げてゆく水」を受けての展開だとみると、梅雨どきの蒸し蒸しした感覚だと思われる。そこから抜け出ることが「あす」であり、「すいみつ。せみ。にゆうどうぐも。」のあらわれは想定内のこととなっている。
 それにしても季節の成り立ちが期待とともにあることを、作者は葛藤をもって問うているようだ。なぜなら期待は、一途な硬直に通じるからである。だが、生における柔軟性は、水の特性を真似ることで本当に得られるのか。作品「球根たち」では、水は「すいみつ。せみ。にゆうどうぐも。」として期待のもとに存在しており、これらは球根と同意だと見做せる。そのような生の距離感に気づくとき、「ひと」は自らも球根であることを知って、「云う。」存在であることを止め、沈黙のなかに生の充実感を見出すのかもしれない。そのとき、「泪」の位置を取り戻し、次の一歩が選ばれ、その姿勢は詩歌に留めおくことができると学ぶのだろう。だからこそ詩人は、この連作をさらに推敲し、より純粋な沈黙に近づかざるを得なかったのではないか。そういえば安東次男の号は流火であった。水の業に留まることを、彼は自分に許さなかったのだと思われる。定本「CALENDRIER」の流れが、同心を知る読み手に出会うことを、願ってやまない。

(二〇一五年四月二四日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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