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今、詩歌は葛藤する 14
〜『ふるさと』、あとは全部負けたらいい〜

竹内敏喜

 前回のまえおきでは、労務管理に長く携わった兵頭傳氏の言葉を引いたので、今回は経験豊富なオルグである二宮誠氏の言葉を紹介したい。氏は一九四九年生まれ、大学卒業後に産業別労働組合のゼンセン同盟(現・UAゼンセン)に入り、一貫して組織化活動に取り組む。資料集『二宮誠オーラル・ヒストリー』(二〇一二)を開くと、当時の活躍の様子がいきいきと残されている。まずは本人紹介をかねて、連合総合組織局による「組織拡大担当者中央研修会 講演内容報告書」(一九九七)から、最初におこなった組織化のエピソードを中心に、やや長くなるが任意抜粋する。
 「一九七二年に転勤でF県支部に行きました。支部長から宣伝カーを一台、それに墨汁、筆、ポリバケツ、はけ、タオル、ガリ版(騰写版)と鉄筆だけ与えられました。『おまえは帰って来ないでいいから、○○郡という繊維の密集地に行け』。そこの飯場に泊まり込みの行動日程表を渡されました。朝六時起床、七時出発、労働歌の入った合唱テープをボリュームいっぱいにし、繊維街を回るのです。さらにマイクを片手に労働組合の必要性を訴えて、一日中回るわけです。夜八時になったら個別訪問をする。繊維の密集地ですから、ほとんどの人が繊維の会社のどこかに勤めています。そうすると、あの社長は2号をつくってとかいろいろな話がいっぱい出るのです。それを夜の一二時頃に帰って、ガリを切り、ビラをつくるわけです。そして、その会社の前で出勤時にビラをまく。労働組合をつくったこともないですから、ゴシップ中心のビラです。それが終わるとまたがんがん音楽のボリュームを上げて回るわけです」。
 その後もいろいろな戦術を使い、「最後にS中央オルグからこういう指示がきました。『社長はこんな悪業をしている。それを書け』と。墨汁で模造紙にいっぱい書いたのです。『よし、明日の朝、それを社長の机の上に朝礼時に貼れ』というわけです。さすがにその時には迷って、『警察に逮捕されることないですね』と聞きました。するとS氏は、『絶対ない、悪い事ではないんだ』と言う。二三、二四才のうら若き頃ですから、本当に悪くないのだなと思いながら、持っていったのです。C社に着いた頃、ちょうど朝礼が始まったばかりでした。それ行けというので入っていきました。『失礼します』と。社長が自分の机の前に立って話をしている。『ちょっと社長、失礼します』と、社長の机から電話や書類等を横にあった応接のイスに置き、のりをおもむろに出して、べたっと社長の机に塗る。社長はぶるぶる震えているわけです。いいのかなと思いながら、用意してきた社長の悪口を書いた模造紙を貼りつけて、『どうも失礼しました』と帰っていく。三〇人か四〇人ぐらいが事務所にいて、みんな青白い顔をしてぴくりとも動かない。そしたらその当時の中央オルグが、『おかしい、こんなはずはない、どうなっているのか』と言うのです。後で聞いた話ですが、誰かにきっと二宮は殴られるだろうと、そしたら一斉にのり込むと決めていたようでした。ところが殴られなかった。失敗か」。
 「ところがそれでギブアップした。県支部長、C社社長、間に立った商社の社長が立ち会った中で、県市部長が社員に『労働組合とは』と説明し、その場で『必要と思う人は手を挙げて』と言ったら、全部さっと挙げたのです。その後、そこの労働組合のメンバーから恨みなどひとつもありません。本当は腹を立てていると思うでしょうけれど、『ありがとうございました。あそこまでやってくれたおかげです』と。実際はそうなのです」。
 極端な例となったが、こうした体験を積み重ね、二宮氏は、未組織の労働者はほとんどの人が労働組合を欲しいと思っているとの確信に至る。また、週一日の休みも取らせない会社があって、法律を破るのが平気だとしたら、そういう所に手を差し伸べられるのは、労働組合運動を充分に経験している人たちだと考える。彼らが知らんぷりしたら、その未組織労働者はずっとそのままになってしまうのだ。氏による組織拡大手法の基本をみると、手段としては信頼関係を強めることが強調されている。準備として、業界の企業情報を持つ、その会社の営業戦略を調べる、その会社の人間関係を調べるなどが挙げられている。そのうえで取る行動は、まずは会社の門を叩くことであり、相手の土俵で相撲をとりながら、上手な聞き手に徹し、相手の話のなかから切り口を探していく。ポイントとなるのは、未組織労働者の核づくりや、会社トップまでの階段の登り方だという。
 「あらゆるものを利用しながら組織拡大を行う。その基本は歩いて情報を取るということです。大事なのは情熱ですよ。普段着というか、格好つけないで、ざっくばらんにいろいろ話をしたらいい。知りもしないことを言ったり、分かりもしない高慢な議論を交わしたりするのは絶対にダメ。話をする時には、相手との議論は避けること。議論して勝っては絶対にダメです。説得してもダメ。説得したら、説得された側ができるのです。勝ち負けの議論になるのです。もしも議論をしたら自分が負けたらいい。勝つというのは労働組合をつくった時です。結成したら勝ちなのです。あとは全部負けたらいい」。
 これらの言葉を読みながら、現代詩作品の実際のあり方とまったく逆ではないかと、自戒を込めて感じないこともない。もちろんこれは、自己表現や自己実現について考察されたものではない。簡単に略せば、相手との関係を積み上げる方法であろうし、目的は弱い立場にある者の手助けをすることである。労働組合をつくり、組織として成長させながら、会社や社会にとってプラスになる方向が見据えられている。そうしたものとは異なる表現のあり方、意味や像の常識的な固定化を避けながら、表現そのものの達成を望み、自己のみを頼って、歌もなく思想もなく形式もなく、文化背景を拒絶した言葉とは何なのか。自己表現が、作品の完成をもって完結する行為だとしたら、表現作品の何が受け手の心に届くのだろう。あるいは完成などないのだから、他者に届く必要もなく、作者本人の変貌だけを実りとするのか。ならば、その詩人の表現展開に興味がなければ、読まれないということになる。皮肉な見方をすると、他者の作品から技法を学びつつ、互いに技法の冴えを競い合うことが、現代詩という場を持続させる根拠だといえよう。これでは、どれも似たような作品になるだけでなく、現代詩ジャンルが社会のなかで孤立するのは当然だ。
 他方で、次のような言い分もあるだろう。個人の感情とは、もともと価値が備わっているものではなく、いわば他者へと訴える力を発しているにすぎない。その力の背景について理性的に分析できる限りは、特に関心を抱く気にはなれず、例えば大衆向けの甘い歌謡曲に生理的な拒否反応が起こることさえある。だからといって、人類の過去のおこないを統計的に整理したものともみえる理性の論理性を、信じているわけではない。こうしたバランスを保つ個人として、理性の分析能力を超える感情の力を前にした場合、逆に意識が興味を持とうとするのは自然だといえよう。そうした力を未知の言葉で表現しようとしたものが、現代詩ではないか。その現代詩作品が真に力あるものとなっているなら、力のある歌謡曲に否応もなく人々が心を動かされるのにも似て、読み手に訴えるものがあるはずだ。むしろ問題は、宗教(意味)や哲学(思想)などが文化的背景となる力を弱めたために、受け手との接点として、修辞のおもしろさへの共感に頼らざるを得なくなったと、書き手自身が思い込んでいることではないか。
 ここでもう一度、二宮氏の発言を味わってみよう。「議論をしたら自分が負けたらいい。勝つというのは労働組合をつくった時です。結成したら勝ちなのです」。もしかすると詩歌にとって、修辞のおもしろさへの共感を期待することは「議論に勝つ」ことであり、読み手との関係として普遍的な一行を得ることが「労働組合の結成」に通じるのではないか。真に力ある一行が、どのような性質のものであるかの説明は至難の業だが、その成立のためには、議論するかのような技法はない方が良いと、今は感じる。そして、内容に含蓄のある一節や響きの快い表現が普遍性につながっているわけではなく、受け手が意識せずに求めていたものを、そこに見出せるような一行が力ある言葉だと考えてみたい。

新聞もよまず
テレビも見ず
ただ土と木と山と空を
眺めて暮す
電話のベルも鳴らず
訪問者もなく
完全にひとり

山小屋の朝の光り
虻と蜂のぶんぶん言う声
そのなかにじっとしていると
もう十数年
住みなれた都会の団地には
今ではもう
ネズミもいなければゴキブリもいない
ノミもハエもアリでさえいないことに
改めて気がつき驚くのだ

アリがいそがしく働き
合間に小鳥がのどかに鳴く
静寂
それは
騒音になれた都会人の耳には
ただそれだけで
無限の豊かさ

自分の時間がただ
自分のものであるという
そんな日々を
かりそめでもいい
夢でもいい
ほんの一瞬でもいい
アリのように小鳥のように自然に
僕はただ単に僕であって
それ以外の何ものでもない
そんな日々を

山小屋に来て十日余り
僕はすでに
自分が自分でないものにかえることを
忘れつつある

 黒田三郎の『ふるさと』(一九七三)から「山小屋で」を引用した。この作品の主題は、「静寂/それは/騒音になれた都会人の耳には/ただそれだけで/無限の豊かさ」という部分と、「山小屋に来て十日余り/僕はすでに/自分が自分でないものにかえることを/忘れつつある」という部分であらわされているだろう。静寂については、この作者のこれまでの作品をふりかえると、たくさん描かれていることがわかる。試みに作品の制作順でいくつか挙げてみたいが、このキーワードを辿るだけでも、そのときどきの詩人の意識のあり方が浮き彫りになり、心境の変化の跡が窺えるようだ。
 「追いつめられた影が/路上にころがる蛙の死体をふみつける/ぶざまにつぶれた死体/破れた沈黙/救われたひとりの男が/明日の方へと歩いてゆく/余りみじめなので/笑い声を立てながら/わめきながら」(『失われた墓碑銘』の「沈黙」より)。…この沈黙は、社会の不正を許せない男の潔癖さをあらわすのだろう。ぶざまな死と接触するという思いがけない出来事によって、ぎりぎりまで張りつめていた自意識の風船が破裂すると、自分を客観視してそのみじめさに気づき、生の全体を受け入れようとの気持ちになる。
 「たれにも打ち明けられぬ秘密のように/近寄る者ことごとくの命をとる青い湖水のように/沈黙のみがふさわしい//虚偽の弁舌を瓦礫のように踏み/雑草のようにのびるものを押しわけて/ひとり背を見せてゆく友よ/雲のみの美しい日に/ポケットの穴から/友よ/パンのかけらがこぼれ落ちる」(『時代の囚人』の「友よ」より)。…善意にこだわり沈黙を守るひとりの他者への共感のなかで、彼の選んだ美への夢と空腹という現実を、語り手は想像している。そして生き方の選択という点では、自己のなかの美への憧れと空腹への不安を、生活者としてみつめ直している。
 「ああ/そのとき/この世がしんとしづかになったのだった/その白いビルディングの二階で/僕は見たのである/馬鹿さ加減が/ちょうど僕と同じ位で/貧乏でお天気屋で/強情で/胸のボタンにはヤコブセンのバラ/ふたつの眼には不信心な悲しみ/ブドウの種を吐き出すように/毒舌を吐き散らす/唇の両側に深いえくぼ/僕は見たのである/ひとりの少女を」(『ひとりの女に』の「賭け」より)。…人はひとりの異性を愛するとき、プライベートな場における自己のバランス感覚を変化させ、その影響で社会の見方も変わる。しんとしづかになったのは、少女との相性として調和を感じ、同時に自分の生へのバランスがはじめて安定したことを示している。少女の個性的な性格を尊重するなら、他人の常識が無意味なものに思われてくることさえあるはずだ。このとき社会は、二人に従属する背景にすぎないものとみえるだろう。
 「かんしゃくもちのおやじが怒鳴る/「自分でしなさい 自分でェ」/かんしゃくもちの娘がやりかえす/「ヨッパライ グズ ジジイ」/おやじが怒って娘のお尻をたたく/小さなユリが泣く/大きな大きな声で泣く//それから/やがて/しずかで美しい時間が/やってくる/おやじは素直にやさしくなる/小さなユリも素直にやさしくなる/食卓に向い合ってふたり座る」(『小さなユリと』の「夕方の三十分」より)。…父と娘が同等の存在として自己を主張してぶつかり、やがて相手を受け入れて静かになる。それは美の露出する瞬間だ。向かい合ったやさしさは、奇跡のように不必要なものを排除する。
 「夕方のビアホールはいっぱいのひとである/誰もが口々に勝手な熱をあげている/そのなかでひとり/ジョッキを傾ける僕の耳には/だが何ひとつことばらしいものはきこえない//たとえ僕が何かを言っても/たとえ僕が何かを言わなくても/それはここでは同じこと/見知らないひとの間で心安らかに/一杯のビールを飲む寂しいひととき//僕はただ無心にビールを飲み/都会の群衆の頭上をとぶ/一匹の紋白ちょうを目に描く/彼女の目にうつる/はるかな菜の花畑のひろがりを」(『ある日ある時』の「ビアホールで」より)。…自己を保つために、もはや他者は役に立たず、無心な生命だけが愛されている。ここに至れば、作品「山小屋で」まで、気分においてはほんの数歩だ。だが、そのきっかけとなる行為の決心は、一般社会人から眺めると、生活者として破綻していくものとしか思われないだろう。要するに、彼は定年を待たずに退職し、人とのつきあいを減らしていく。さらには大病を得て入院し、退院後は酒を飲むこともできなくなってしまう。
 黒田三郎にとって、詩とは何だったのか。外部を批評する気持ちを失うにつれ、その作品は、自負心をちらつかせながらも自己を恥じる言葉で描かれていった。『赤裸々にかたる』や夫人による『人間・黒田三郎』を繙くと、大量の飲酒による波乱続きの生活のなかで、多くのものを犠牲にしてまで彼が守ろうとしたのは、自分自身であったことがわかる。確かに、詩を書くのは「生きることの耐えがたさ」からだ、という本人の発言も残されている。詩歌の書き手なら、この言葉に容易に共感できるだろうが、同時に、その真意の奥行きが他人から理解されないことを、痛いほど経験しているはずだ。
 仮説として述べるが、他者を知覚する働きでは、未知なる概念が時間軸上の流れとともにしだいに言葉で示され、その単一方向の統合のかなたに、相手の内的複雑さが秘められていると感じさせる。つまり複雑さとともにある単純な表現であり、実際、相手の個性を形容できるが、その意味するものを本当に理解しているわけではない。一方、自己を知覚する働きは、未知なる概念が空間的に分裂し、それらが内面で図式化される様子をそのまま言葉にしようとする。そのため図式を共有できない他者には混乱としかみえない表現があらわれるだけでなく、複雑さを疑いにおいて派生させるため、中心の喪失を余儀なくされた体系が生まれるだろう。以上の作用をふまえると、対自意識によって自画像を描くことが、非常に困難な理由も理解しやすい。とはいえ、どんな言葉も関係性のなかの一部だからこそ、中心の喪失そのものを言葉で存在させることが可能なのだ。その喪失感を、外部との関係性で埋めようとすることが、実存の不安の根源になっているとしたら、言葉にかかわるとは、足元の本質的な矛盾を超えられないまま、主題の発見を先送りしている行為だと見做せるのではないか。そして自分でありながら自分でないものから逃れようと酒を求め、自分でないものを自分とするために詩歌に頼らざるを得なくなる。秘められた真意の奥行きそのものが、詩人自身にもわからないような成長をするのである。
 「結成したら勝ちなのです。あとは全部負けたらいい」。…真に力ある一行とは、目の前に存在しているだけで、人に不思議だと思わせるものなのかもしれない。けれども、その一行が生まれるために、人間としてぎりぎりの行為が必要であったことを、忘れずにいるべきなのか、それとも忘れるべきなのか。多くの労働組合が、社会を良くするうえで現在でも機能しているにもかかわらず、その存在意義が日本社会にとって希薄だとみえるとしたら、それは何かが忘れられたからだろう。この国の詩歌作品のあり方も、それと似た状況にあるといえる。詩的なものは身近にあふれているのに、詩歌として発表されている作品には、距離がおかれている。それでいて細々と持続する奇妙な何かがあるのだ。
 一息つけば、こうした状態こそが、日本の風土を形成してきた特質だと思われないこともない。それは芭蕉が私信で告げていた「貫道」するものだろうか。「山小屋に来て十日余り/僕はすでに/自分が自分でないものにかえることを/忘れつつある」。忘れたくなるようなものは、その個人にとっては忘れた方が良いのだ。やがて、取り戻したくなった別の個人が、それらを得ようと努力する。そのとき、逆説的な現象だが、「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」との伝承された言に、無限の力が感じられてくるのではないか。
 ともかく、黒田三郎の創造した詩は、今でも確実に読者を持っている。

(二〇一五年四月五日 了)

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竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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