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今、詩歌は葛藤する 10
〜『歌』、言葉を届けたいという意志〜

竹内敏喜

 現実に検証するのは困難だと知ったうえで、想像をめぐらせてみたい問いかけがある。それは、詩歌をまったく持たない民族はあったのか、というものだ。なんの根拠もなく安易に答えるなら、現代においてみると、その民族独自のものかどうかはともかく、すべての共同体に詩のようなもの、もしくは歌があると思わずにはいられない。ならば、はるか過去へと溯った場合はどうか。文字のない世界、言葉のない世界にまで踏み込んでみたら、どうだろう。人類以外の動物や昆虫などの行動に、現代人が詩的なものを感じる程度には、どんな民族も詩歌とかかわっていたと希望を持てそうだ。
 次に、自然環境下の生物の行動のなか、詩的な印象を受けるポイントとして、求愛や闘争、一種の哀悼の状況を挙げるなら、おおむね同意を得られるだろう。もちろん、求愛や闘争や哀悼の状況にある個々の生物は、詩を表現しているわけではなく、適切な行為を同類とおなじように反復しているにすぎない。その意味では、時期がくれば本能が働き、相手がいなくとも求愛作業がはじめられるような自動性に、生物における詩的なものの特色をみることは、立脚点として正当なものと思われる。
 先走ることになるが、ここで一点だけ確認しておくと、詩歌に自覚的になった人類については、例えば個人に恋愛の気持ちがあふれて詩歌を求めるとしたら、それは詩との関係の出発点にもなり得るとはいえ、本質的には他者に対する恋愛の行為を拡大していると考えられる。一方、詩歌にのめり込んで恋愛の気分に陥るのは、詩の形式に馴染むことを意味し、むしろ恋愛の行為としては観念的な理想像に近づくだろう。つけ加えれば、理想像を持つがゆえに現実との距離を測れるのも真実だが、現実とは常に、存在している対象から選択することで成り立っているのを忘れると、不幸な結末を迎えかねない。
 以上のように捉えた場合、人類の詩歌とは身体行為の延長で発生したものとも思われ、本能が行う動作を模倣しつつ拡大してきたと仮定でき、その歴史の初期の段階で、なんらかの定形が一般化したのは当然の成り行きだと理解できる。もちろん、この見解は空想でしかないが、少なくともアリストテレスは『詩学』のなかで、詩作とは「再現」であると述べ、興味深いことに「散文であれ、韻文であれ、言葉だけを用いる再現がある。(略)この言葉だけの再現には、どういうわけか、今日まで名称が欠けている」と指摘し、紀元前四世紀ごろのギリシアにおいてさえ、広い意味での演劇が詩を表していた事実がわかる。その後の歴史的出来事としては、言葉だけの、むしろ文字で表現される定形詩や自由詩が、詩歌の代表のように認識されてきたのは衆知のことだ。だが、現代に至って、詩歌と読み手との関係がほぼ不定形になったとも感じられ、この事態は、文学の価値とは別の、何か重大なことを人類に示唆している気がしてならない。
 とりあえず、詩歌が消滅した世界は起こり得るだろうか、との疑問が浮かんでくる。極端な条件で譬えるなら、人類のほとんどが個別に引き籠るか、強制的に隔離され、隣人と対立させられ続ければ、それもあり得そうだ。ここで現在の管理社会および格差社会の様子を重ねると、その急激な進行により、人々は他者への不信を募らせ、詩を求める気分もなくなるだろうと思われてくる。それともニヒリズムを描いた作品なら、気持ちを投影させて読み耽るだろうか。そういえば鮎川信夫の著作のなかに、オーデンのある決断に触れた文章があったが、それは詩歌の消滅について考察されていたと読めないこともない。
 「われわれは互いに愛し合わなければならない しからずんば 死あるのみ」。このフレーズは世間でも非常に高く評価され、オーデンの代表的な詩句となったが、彼は詩集の新しい版で、作品からこの部分を削ってしまった。その理由を問われて、「われわれはどっちみち死ぬんだから」と彼は答えている。おそらく最初は、現在の世界について、人類は互いに愛し合わなければ破滅する以外にないと強く感じ、この一節を書いたはずだが、熟慮を重ねた結果、愛し合うことの不可能性にぶつかってしまったのではないか。当時の世界情勢を見渡すと、いたるところで対立が深刻化しており、愛し合わなければならないという不可能性を掲げることは、逆に人々の心にニヒリズムを喚起する恐れがあった。いずれにせよ、その言葉がいかに正しくとも、現実の解決に役立たないとはじめから知っていて要求するのは、オーデンの社会認識として許せなかったのだろう。
 そこで鮎川は自問する。この削除の決断には、現代社会に対するペシミズムがあると同時に知慧があり、人間の限界に対する思いやりがあると。そのうえで、「詩人が自らの言葉を信じえなくなったら、それでもう終わり」だと結ぶ。この「終わり」は、詩人が詩人でなくなることを意味するわけだが、すべての詩人がこの意識に到達したなら、新しい詩は生まれない理屈になる。それを認めることは、詩人だった者への思いやりだろうか。
 資本主義の戦略の影響を受けた現在における、詩的なものの需給状況をみると、本能に訴えかけるリズムばかりが強調された、非詩的な音楽と技巧的なダンスの流行を増長しているのが実情だ。それは感情を緻密に成長させるものではなく、幼稚な感情の高ぶりに酔いしれ、欲望や力において自己の価値を主張するものだと判断できる。非詩的なものが詩的に感じられるのは、その創造発生の瞬間および出会いのときにすぎない。今、生きた化石のような現代の詩人の価値について、忍耐強く理解を深めなければならないと思う。

おとう たん
こえがきこえた
受話器ごしに
きいたのは
初めてで
受話器は
耳にあててきくから
耳もとに
こえがしたの と
おなじ
こえだけがする
すがたはむこうで
いないきみから
耳もとで
よばれて
きみは
そばにみあたらないおれを
いる そっちに
、て
こっちをむいて
いう
そのこえがもう
よぶんだ
おれを
おれの耳は
よばれてむこう
きみのところにとっくに
行ってしまっている
そこからはもう
はがれない

 引用した作品は、白井明大の詩集『歌』(二〇一〇)に収められている「むこうの耳」だ。一読して、幼い我が子とのささやかなやりとりが伝わってくるだろう。
 彼の詩作スタイルを相聞だと捉えれば、その相手として、恋人(妻)、子、沖縄、自然暦のように、本人にとって大切な対象ばかりが選ばれてきたのがわかる。にもかかわらず、その文体をみると、受け手に内容が伝わりやすいものとはとても思えない。この点で、相手に直接的に訴えかけるタイプの恋愛詩とは異なっているといえそうだ。そして自己陶酔に陥ることはなく、相手への気持ちがあふれたときの光景を、どれだけ正確に描けるかに挑戦しているようでもある。その際、詩的な技巧がもっとも凝らされているのは、場の雰囲気の再現に対してであり、間合いの感覚だろう。とりわけ音や時間の感覚については、「、」や「て」を的確に利用しようとする意識が強く、結果的に独自のリズム感を作品に与えている。また、そのリズム感の延長で、作品全体を整理しているらしい。
 具体的に作品「むこうの耳」を読んで、作者の方法などを解いていくことにする。
 まず、「おとう たん/こえがきこえた」と書き出されることで、あどけない口調の幼児と、呼びかけを受け取った父の存在が示される。ここで、「こえがきこえた」という詩句には、語り手の驚きが表現されていると気づいたなら、その驚きを与えた内容に対して、意識を集中しようとする父親が予測できるだろう。まさしく、「受話器ごしに/きいたのは/初めてで」のように、「こえ」に新鮮さを感じた理由を書き留めると同時に、語り手は、「受話器は/耳にあててきくから/耳もとに/こえがしたの と/おなじ/こえだけがする」として、新しい感触にも解釈を与えながら、自己への集中力を増していく。
 こうした冒頭での記述方法は、「受話器」の「こえ」から「耳もと」の「こえ」へと即物的に印象をなぞったともみえるが、新鮮さの要因をこのように整理する心の動きには、「こえ」で象徴される我が子が、より近くに寄り添ってきたことへの愛しさがあったはずだ。それは反動として、対象が「こえ」だけであることへの違和の念も起こさせ、「きみ」の姿を想起させずにはいない。実際、「すがたはむこうで/いないきみから/耳もとで/よばれて」という素直な展開を導き、作品に一息つかせている。
 けれどもすぐに、次の「こえ」が届く。「きみは/そばにみあたらないおれを/いる そっちに/、て/こっちをむいて/いう」。この部分では、「こっちをむいて」といった状況説明がなされており、どうやら室内のこっちとあっちで会話しているらしいことがわかる。幼児は電話を使って遊んでいるわけだが、いないいないばぁのように、父に対して顔を出しては現れ、「こえ」だけとなっては隠れようとしているのだろう。それは親と子の同一性を、応答において確かめる行為とも考えられる。
 そうした我が子の動作に向き合えば、父親は愛情があふれるばかりだから、「そのこえがもう/よぶんだ/おれを」と、受話器を通してではなく、直接に響いてくる声に対してあらためて喜びを表明している。そのうえで、「おれの耳は/よばれてむこう/きみのところにとっくに/行ってしまっている」のように、受話器を通して初めて聞いた「こえ」の魅力によって、自分の「耳」は「きみ」の「こえ」のすぐそばに行ってしまっていると、レトリカルに述べる。つまり、我が子の「こえ」と自分の「耳」がぴったりくっつくことで、父にとっては子の心との距離が限りなく近づいたことを想像している。
 ついには「そこからはもう/はがれない」と駄目押しを加え、離れたくない気持ちを自己の問題としてさらけだしながら、作品を終える。このまとめ方には溺愛のイメージがぴったりだ。もちろん、明けっ広げの愛情を描く作者の心の背後には、子が幼児期の間だけ、ときに成立する奇跡のような経験なのだから、との覚悟もあるはずだ。消えゆく運命にある望みであり、それだけに詩で描かれる際には、場の雰囲気や間合いの感覚を書き残そうと願うのだろう。この客観性をもって、タイトルを「むこうの耳」にしたと思われる。
 ここには、詩人が自らの言葉を信じている姿がある。自分にとって大切なものを言葉で残すことが、他者にとっても良い読書体験となることを疑わない詩人がみえてくる。さらにいえば、対象に対する自己の喜びを、作品内にさりげなく導入することで、いい気分だなぁという感じを読み手に共有させていく才能が、この書き手にはあるのではないか。詩「むこうの耳」でそれを指摘すると、「そのこえがもう/よぶんだ/おれを」あたりかもしれない。子育てをしたことがある者なら、この切実な感動は忘れられないだろう。
 白井氏の作品をもう一篇挙げたい。タイトルは「シャボン玉と手をふって」である。

 家を出てすぐうしろからこえがして、三階のベランダにみえる
のは、柵のあいだをすりぬけていくシャボン玉。道路のうえを向
かいのアパートの屋根へ、窓辺へ、ゆっくりとひろがりわたって
いって、
「どこいくのー」とこえがひびいて、
「いってくるよー」とぼくはへんじして、どこへとは、こんなに
だだっぴろい通りで言えず、
「いってらっしゃーい」
シャボン玉をふくストローをもつ手をちらちらとふっている。
 向きなおってまた歩きだそう、てしたら、
 あおみがかったアスファルトの色にすきとおりながら昼のくも
り空のまんべんなくよわいまぶしさに光のつやをはねかえらせて、
あのベランダにいるきみの背丈とそんなに変わらないくらいの地
面からちょっとの低いあたりを、ぼくの右となりへきて浮かんで
いるのとすこしだけならんで歩くように、またふりかえって手を
ふるよ、
 いってきます と。
 いってらっしゃい と こえがここまで届いてくるから、ぼく
はよけいに手をふって歩くよ。

 ここでも、そのタイトル通り、「シャボン玉と」ともにあることで我が子との魂の交流が空想され、まだ届いてくる子の声に呼応するように「手をふって」いる。まるで「シャボン玉」という信頼のこもった形に対し、「手をふる」という詩作での返事をしているかのようだ。こちらの作品から、読み手に良い気分を共有させる言葉を引くなら、「光のつやをはねかえらせて、/あのベランダにいるきみの背丈とそんなに変わらないくらいの地/面からちょっとの低いあたりを、ぼくの右となりへきて浮かんで/いるのとすこしだけならんで歩く」という部分だろうか。このような他者との関係が、詩歌を持続させる力だと考えるべきかもしれない。それは、言葉を届けたいという意志を支えるだろう。
 一見、だれにでも書けそうな白井氏の作品は、月並みな題材にこそ輝きを与えようとする努力ともみえる。もしかすると詩とのつきあいでは、出会いの驚きと懐かしさの繰り返しが、人間にとっても正しいのだろう。これらの作品が、いずれは、禁欲的な日本の詩歌の世界に来るべき解体の作用をもたらすことを期待したい。

(二〇一四年一〇月二二日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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