reviews
詩と出会う

essays
いま

interviews
人と出会う

今、詩歌は葛藤する 
〜『沖の音』、人類の幸福感と喪失感の調和の姿〜

竹内敏喜

 詩と詩人との関係は、いかなる接点によって長く持続されるのだろう。端的にいえば、書き続けられた要因は何だろうと問うことからはじめたい。内面からあふれる無償の愛によるのか、美や真実へのゆるぎない信仰によるのか。逆に、抑圧された憎しみの断続的な爆発のゆえにか、耐え難い絶望から一時的にでも逃れられるためか。それらさまざまな感情にふりまわされることを通し、詩的表現の変幻を垣間見ようと期待してなのか。いや、どんな感情も拒否しながら、現れる何かを求めているからか。これらは、人が外部とかかわるにあたり、未だ瞬間的で表層的な仮面のようなものだとも捉えられよう。そのため、たとえ途切れなく詩との関係を保てたとしても、その人物は、詩作品の言葉の表面に、自分の仮面を認めようとしているにすぎないのかもしれない。
 ならば、回顧の情や改革思想を表現する道具となり得るから、言葉の技術が利用されるのか。それとも単に、熟練した言葉遊びにのめりこむまま、作品を量産しているのか。いずれにせよ、他者の激励や無理解を経験しつつ、勇気と忍耐をもって言葉を選択していくなら、個人としての意志を乗り超えるとともに、他者の心に訴えるものを徹底して描く覚悟に至ることもあるはずだ。そのとき詩作品は、「作者による楽譜」ではなく、読者のなかの「心という楽譜」を奏でる「指揮者のようなもの」になっているのではないか。この指揮者こそ、ある意味で詩の正体だと論じてみたいが、比喩でしかない主張を一方的に提言するのはあまりに失礼なので、以下に補足となりそうな考察を試みることにする。
 どれほど古い時代に作られた詩篇であっても、読む者の今現在の心を動かすことができるとしたら、その力は、作品と個人とのかかわりのなかで出現しているのは間違いない。その際に一種の主導権を握っているのは、作品そのものの魅力だとひとまず印象されるだろう。だが魅力とはいったい何か。実際、それは対象の被る解釈内容によるのではなく、読む側の使用する解釈方法によって成立する陶酔感ではないか。正確に指摘するなら、現代的な解釈方法が、現代的な解釈内容を導くというより、対象から受けた衝撃に戸惑うがゆえに、読み手は自分に可能な解釈方法を頼って、その技法の一面性を無残にも他者にさらけ出しながら、ありふれた解釈内容にたどりつくことが多い。つまり魅力とは、自分が安定できる位置で作品を都合良く理解したうえで、なんらかの付加価値を見出すことに近いようだ。そして、その付加価値も、たいていは判断停止をするからこそ価値とみえるものだろう。示された解釈内容に関しては、結果的に、自分の味わった衝撃とは無関係なものになっているとも思われる。
とはいえ、その衝撃が何だったのかと顧みる者がいるとしたら、彼はより困難な道のりに踏み出すことができる。その困難さをひとことで譬えると、対象から受ける感触について考えることではなく、対象そのものを受け入れられるまでに自己をニュートラルにできなければならない、ということに似ている。それは無垢な幼児のような者として、単純な反応をするという受動性ではなく、むしろ自分のなかに人類の感情をバランス良く配置しているという能動性であろう。この点をふまえて、作品から伝わる衝撃を、対象を通して現れる何者かの感情表現だと想像してみても良い。ただし「何者か」については、作者でもなく、語り手でもなく、読者でもなく、人類の経験してきた感情の集積だと認識すべきだと思われる。それは、詩という指揮者の存在を示唆するのか。あるいはそのように仮定した方が、詩そのものの本質に近づけるのも事実だろう。
 詩の存在を前提にして整理すると、自分のなかに人類の感情をバランス良く配置できるための努力とは、自分のなかの楽譜を豊かにすることに通じる。それは、たくさんの詩作品に接することで学べるわけでもなく、多くの人生経験を積むことで順序正しく深みが出るものでもない。その秘訣として、小さな声で提案できるのは、本物の詩人とつきあうことである。その経験のなかで、たとえどんな出来事に巻き込まれようとも、彼の性質を簡単に判断しないことだ。誰しも「人間としての仕事」に忙しいため、他人の「仕事」の法則はなかなか見抜けないものだと、覚悟しておくのは大事なことだろう。
 詩人とはこの世の外を意識して生きているような人種であり、その感覚は商売人の日常生活とは違っている。アランに倣って述べると、詩人が一〇万フランを希望したとしても、彼は誰から、いかにして、それが得られるかを知らない。そのため、けっして手に入れることができない。しかし、彼が美しい詩を作ろうと欲したときには、それを作ることができる。その詩は、詩人という本性にしたがって作られるから美しい。他方、商売人の場合でも、自分の気に入った趣味や気まぐれを追う、気楽で大まかになれる小ぎれいな商売を求める者は、たいてい破産する。稼ぎたいと思う以上は、手段を求めなければならないし、稼ぐことを目的とする商売人の欲深さとは、職業そのものにつながっていることを甘受しなければならない。語るまでもないが、詩人と商売人の本性に共通するのは、「想像力は創造することができない、創造するのは行動である」ということである。
 ところで、筆者にとって身近な詩人の一人に、篠原憲二という人物がいる。一四年ほど前に縁があって、氏の編集する雑誌のある欄の手伝いを二年間務めさせていただくことになり、その間、月に二度はお会いした。その後、体調を崩された氏は職場を離れたが、二年に一度くらいは二人で歓談する機会をもつことができた。やがて、二一年ぶりに作った第二詩集です、と届いたのが『沖の音』(二〇〇九)だった。

迷い迷いの
親としては不甲斐ない
道行き

上州太田 七福神巡りの
三つ目でもう
陽が傾いてきた

切り通しを抜け
無名地で
ひととき結束を戻す

広げた敷物
その一枚きりで
ぼくらは済むかのように心細いのに

妻子らを引き連れた
いのちからがらの旅にも
こんな団欒はあったろうか

ああ
あなたが
わらってさえいる

 引用したのは詩集中の「団欒」という作品だ。この光景を言葉で支えているのは、団欒を価値あるものと認める詩人としてのまなざしであり、同時に、この光景に支えられているのは、父親としての愛情だと理解できる。それとも逆だろうか。光景を支えているのが父親としての情で、光景に支えられているのが詩人の価値観なのか。あえて強調するなら、前者の場合は父親像が描かれていることになり、後者の場合は詩人としての感覚が描かれている、ということになろう。このように両者があいまいな状態になればなるほど、自己のなかの詩人の欲求に、作者は引きずられていくのかもしれない。いわば、詩人としてものを判断する習慣が身につくとともに、それ以外の価値観との違和が広がっていき、その感覚に抵抗がなければ、比較的すんなりと非情な詩人になれるだろう。しかしここでは書き手が、父親としての本来の情を直視するからこそ、みえてくるものがあると考えたい。より丁寧に述べると、自己を客観視することで個人の単純な葛藤ではなくなり、感情が個人を超えようとして、表現に揺れが生じたと思われる部分があるということだ。
 作品に描かれた状況を確認するなら、「親としては不甲斐ない」や「ひととき結束を戻す」、「ぼくらは済むかのように心細い」などの詩句に示されるように、父親の感情表現として、家族に最善を尽くせないことへの心弱さがある。一方、この光景に支えられているものの価値を認める詩人としては、強い思想を表明せずにはいられない。例えば、「無名地」や「いのちからがらの旅」といった詩句には、他の語との調和を乱しかねないほどの異様に切実な響きがないこともなく、歴史的なものへの共感というより、自己の内なる思いが発露して、この作品に加えられたともみえる。それは生命として存在することを自覚する切迫感であり、その充実への憧れだ。「無名地」や「いのちからがらの旅」への親和が心に現れるのは、旅の途上にあるからだけでなく、都内での日常生活の、空虚にも安定した様に不信を抱き、大切なものは他にあるとの気持ちが潜んでいたためだろう。
 その意味でも作者は、父親の情という主題を見失いはしない。作品は、「いのちからがらの旅にも/こんな団欒はあったろうか」との視点から、「ああ/あなたが/わらってさえいる」へと締めくくられている。この「あなた」には、「心細い」気持ちで眺めた自分の妻子だけでなく、困難のなかで団欒を味わった、あらゆる「あなた」のほほえみが写し取られているようだ。また、二つの連の間にある空白の一行において、父親の情は、人類の感情をバランス良く配置した姿を得ているのではないか。その結果、語り手である父親像は、見事に詩人の性質を呑み込んでいる。あるいは空白という呼吸こそ、詩人の主張する詩の真実だと学ぶべきか。それにしても、なんと明るい「あなた」の笑顔であろう。
 次に、「某日」という詩を挙げる。

部屋の間取りを
考え考え
図面を引く

チラシの裏
当てもないのに

必須の
光を採り
設備を配せば
ものの向こう陰に
きみらの気配さえ立つ

しかし
その日
ぼくらは何人でいるだろう

ひとりひとりの
声とて知らず

鉛筆を放るや
すっかりと暮れてしまう
その日

 「考え考え」という表現は、さきほどの詩の「迷い迷いの」に似ている。これは、この書き手の修辞の好みであると同時に、人としての性格が現れたものなのだろう。こうした手法から、意識の明確さによる孤独な寂しさが、なんとなく伝わってくる。もう少しこの部分にこだわると、「迷い迷いの」という一行を冒頭にすることで読者を一気に不透明感のなかに引き込む発想は、「考え考え」を二行目に置き、その前の行の「部屋の間取り」という対象への集中力を増させようとする方法と、酷似しているといえる。
 さらに、「団欒」では「妻子らを引き連れた/いのちからがらの旅にも/こんな団欒はあったろうか」のように、過去の人間像を呼び起こすことで自己の心のふくらみを感じているが、「某日」では「しかし/その日/ぼくらは何人でいるだろう」のように、現在の自分の家族の未来を想像して、一つの家で共に生活できないかもしれないことへの怖れを感じている。このように展開の要の部分においても、二つの詩には類似した点がある。
 「某日」を読み込むために展開の要の前後を確認すると、「必須の/光を採り/設備を配せば/ものの向こう陰に/きみらの気配さえ立つ」として、いかに書き手が家族との生活に慣れ親しんできたかが記されている。しかし、「光」は外部から来るもの、「陰」は光と「もの」によって映し出されるものだと感受したうえで、「きみらの気配」の様子を探るなら、ここには過去の匂いしかしない。むろん、思い出とはそのようなものではあるが、いささか喪失感が強い気がする。これは作者に確固とした幸福像があることの証拠だろうか。ただ、作品の流れをみると、その幸福像が、すでに不安定になりはじめている現実を自覚するがゆえに、展開の要を「ひとりひとりの/声とて知らず」という一節に続け、それぞれの望みを知らない事実にあらためて気づいたと、告白しているようでもある。
 そこでラストはどうか。「鉛筆を放るや/すっかりと暮れてしまう/その日」とは、軽やかな諦観だ。新居の図の完成を投げ出すことで、現在の家族関係を失うことを拒否し、おのれの一日の惰性を顧みている。断言はできないものの、「その日」には、図面を引いていた一日と、幻想された新居に入る未来の日の、二つの日の重なりが込められているらしい。それだけでなく、終わりを与えられた「その日」は、ふしぎなことにこの作品と向き合った瞬間、読者を、暮れた「日」を振り返る語り手と同化させ、そのときを現在として、「その日」と告げるような錯覚を生む。おそらく作者は末尾の一語で、自己をとりまく全体を完全につかみとったため、永遠に動かない「その日」になったのだろう。そこには過去も未来もない。それは、詩と生活者との真の融合を示すかのようだ。
 篠原氏の詩は、彼を通して語られた、人類の幸福感と喪失感の調和の姿だと読んでみたい。それは読者に穏やかさを回復させる。再び内なる楽譜が響きはじめるのは、そんなときではないか。それとも、詩という指揮者に一度でも心を奏でられたことのある者なら、常に楽譜は演奏されており、その響きに向き合う余裕を取り戻したというべきか。

(二〇一四年九月九日  了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

>>竹内敏喜の詩を読んでみる

>>essays