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今、詩歌は葛藤する 
〜『ことばのつえ、ことばのつえ』、詩的論理と真偽の関係を問う〜

竹内敏喜

 この連載の三回目のときに、モーリス・ブランショの言葉を引用した。それは、詩は純粋な断言であり、純粋であるから断言の意味そのものに先行する、という内容だが、この優れた見識を考察するにあたって、作品を前提とした読者の立場でのみ触れていたことが、しだいに悔やまれてきた。そこで、これから作品を創造しようとする作者の立場では、どんな課題がみえてくるかを改めて考えてみたい。ところでありがたいことに、その試みに道筋をつけてくれそうな一文がある。次の一節は、「形而上詩人」についてT・S・エリオットが記した文章中のものだ。
 「われわれが詩人に要求するただ一つの条件は、詩人が興味を詩につくり変えることで、興味を詩的に考えるというだけではないのだ。詩のなかへ入ってしまうと、どの哲学理論でもそれで成り立つことになる。というのは、その理論の真偽はある意味で問題にならなくなり、その真理は別の意味で立証されるからだ」。
 ここでは、詩的表現によって成立する論理と、その真偽性との関係について言及されているが、エリオットの明快な分析は、キリスト教に深くかかわった詩人ならではの指摘だと思われる。それは、はじめに真理ありき、といった態度かもしれない。もちろんアランが述べたように、真理は誤謬を明示し、それを開示するとはいえ、解消することはない。虚偽の観念のなかにあるポジティブなものは、真理があらわれても排除されないのだ。それにしても、そのポジティブなものに、人はいつまでも酔うことができるのだろうか。これらは、あえて述べると、ここ数年の日本の現代詩人がほとんど顧みなかったテーマだと感じる。彼らの描く自由詩では、興味を詩的に考えることこそ持て囃され、個性的な理屈の巧みさに注目が集まる一方、その意味するものの真偽はさほど問題にされなかったようだ。それは、自分には書けない作品だからという理由で称賛され、結果的に、理性よりも個人の感性の優位を肯定し、言葉による表面的な快楽を追求していたといえよう。
 一昔前からその兆候はあったものの、一種の言葉遊びばかりが広がったのはどうしてなのか。一般に、日本人の詩歌とのかかわり方は、西洋におけるよりも、読者と作者の距離が近いといわれてきた。例えばそれは、知人からの手紙に詩歌が添えられていると、その返事に息の合った詩歌を加えることで趣を感じた、かつての生活習慣のように、挨拶としての機能が働いていた事実に由来するらしい。その事実の背景には、政治的な意図以外に、当時の人々に浸透していた仏法等への帰依という支えがあったと、一面では考えられる。しかしやがて、他者と交わす挨拶に詩歌を添える階層が消滅したことで、詩人は詩歌を生かす特殊な空間を求めざるを得なかっただろう。それは出版等による流通を別にすると、結社や師を掲げた歌会、同人合評会といった集まりに落ち着いたが、そこに信仰心の支えはなく、稽古ごととして形式化したように思われる。他方の西洋では、創造主との対峙として、自己との対話を突きつめ、表現の技術的な洗練のうえに、絶対的な完成を求める意識が強かったのではないか。当然のことながら、創造主を見失っても、詩歌形式の展開のなかで、絶対性を求める意識は受け継がれただろう。
 こうした観点をふまえて日本の自由詩の現状をふりかえると、特殊な空間にこもり、西洋的な技法の徹底性を模倣しながら、理屈の巧みさに切磋琢磨しようとする創作姿勢のゆえに個に陥り、その反動として自己顕示欲の延長にある言葉遊びの流行をもたらしたとも考えられる。そのため、そこに普遍的な真理への指向が欠けているとしても、おかしくはない。実際、人々には他人指向が一般化しているといわれ、他人に認められることを自分の欲望とする傾向が、九〇年代以降は強くなっている。あわせて、近代以降の日本文学をめぐっては、文学外部への影響力を失い、娯楽としての役割しか担えないとの見方が優勢だ。ならば、社会のなかでの詩人の存在価値とはいったい何なのか。
 その確認のためにも、かの有名な逸話の内容をたどり直してみたい。それは、プラトンが彼の理想国から詩人たちを追放し、善のイデアを認識した哲学者の監督下に彼らをおこうとした経験のことである。プラトンの主張によれば、民主制が極端に制度解放を追求すると、結果的に僭主制へと転落していくが、その解放のような自由を求める根源には、万人が万事にかけて知恵を持っているとの意見があるという。さらに、その意見の根拠には、詩人たちが神がかりの状態になって、音楽文芸における違法と無知とに過剰に陥った行為があると、批判している。つまり詩人とは、本意でなくとも自分の無知ゆえに、音楽文芸は正しさなど有していない、むしろそれを喜ぶ人が優れた者であるにせよ劣った者であるにせよ、その人の快楽によってもっとも正しく判定する、と公言する者なのだ。詩人はそのような節や文句を作っては、他者のうちに音楽文芸に対する違法性と、あたかも自分が判定する力を持つ者であるかのような厚顔とを、もたらしてしまうのである。
 この光景は、ジャーナリズムという一種の職業詩人が、法のもとでの権利の使用を、人々に過剰に宣伝する現在の日本の様子と重なるのではないか。それは感動や絆を過大報道すると同時に、政治経済の方面では人々の心理を踊らせ、官僚と自民党の独走を成立させてしまった。一説によると、明治以前の学問としての歴史は政治家のためにあったが、政略のための教科書にでもされたのだろう。庶民はものがたりを耳にして、過去の英雄の生きざまを悲しみ味わい、自分たちの心を培う倫理ともしたはずだ。しかし現在では、資本主義社会という環境に惑わされるまま、自分なりに孤独な人生観を組み立て、不安げにそれに頼るしかない。この状態は戦闘ゲームに似ており、仮想の敵を生むばかりである。ましてや新たに知られる科学性は、ゲームの果てにあらわれる真理ではなく、機密や特許の名のもとに真の姿が公開されることはない。公開されない科学などは、人々にとって魔法とかわりなく、心の平安を奪うかのようにこちらに襲いかかり、次々と浪費を誘うだろう。だが、どんな時代でも、耳を傾けるべき言葉がみつからないとは限らないのである。
 「戦争の歴史もまた気がとおくなるほど遠くからあって、(略)けれども、日本列島に例を求めると、縄文時代一万年余の遺跡から、戦士の遺体も防御具も濠も見いだすことができない。(略)戦争とともに初期の国家が生まれ、そしておそらく、ホメーロスのような偉大な詩人がそこから生まれた。詩人とはしかし、本来、すべての言葉の達人たちに賦与されるべき《資格》ではないか。それは詩の事実上の書き手にとどまらない、すべての美しい、予言に満ちた、訴える力を持つ言葉の愛好者に賦与される。ここから見るならば戦争を人類が知る以前から詩人は存在していた」。
 これは藤井貞和の『湾岸戦争論』(一九九四)の序詞にある言葉だ。この著作では「要するに、人類にとって、戦争は絶対の条件ではない」との信念に基づいた主張が語られており、その言葉が真実に基づくかどうかは判断を保留するしかないが、それでも読者の気持ちを希望の方向へと変えさせる力がある点で、魅力を感じる。また、現代詩人の存在の意味を考察するにあたり、「戦争を人類が知る以前から詩人は存在していた」という視点は重要だろう。なぜなら日本では、戦争を身をもって経験したことのない世代が社会の中心を占める時代になり、それが平和という抑圧の内部にあることを意味するなら、日常の言葉の質も特殊な変化を起こしている可能性が高い。その特殊な変化が、「戦争を人類が知る以前」にあっただろう外部に対する畏怖の感覚に、近づいているとはけっしていえないが、戦争による文化とは違った姿をもたらしているとは予想される。そこで、藤井氏の主張のもと、どんな詩の達成がなされているかを、みることにしたい。氏の詩集『ことばのつえ、ことばのつえ』(二〇〇二)から「詩織」という詩を引用する。

愛をそだて、手さぐりするあなたへ、
わたしの名まえをおしえてあげる。
あなたのところへ行こうとして、
とどかなかったわたしのからだのうえの愛を、
風俗のお店で、あなたに見せた、
わたしのうたの一部で、返すわ。
真実なら、ちょうだい。 詩織の詩で、
もうすこしましな、戦争で隠されたあなたに、
真実へ、にじりよってほしいと思うから。
そうなんだ、戦争だったから。 わたしが、
あなたのところへ行こうとして、
殺された、ということを、そこに書いてください。
愛を隠した戦争で吐いたわたしのげろ、
あなたのところへ行こうとして、
あなたのところへ行こうとして、
わたしには越えられない戦争だったから、
わたしの名まえを書いてください、そこに。   ——詩織

 全文が、「詩織」と名乗る「わたし」から、「あなた」への語りで成立しており、そこには「愛」「名まえ」「うた」「真実」「詩」「戦争」といったモチーフそのものとも思われる語が、ところ狭しと詰め込まれている。それが読者に嫌みを感じさせないとしたら、作者本人の一人称的語りではなく、女性の声を外部のもののように使用することで、物語空間を獲得しているからだろう。さらには「わたし」が「あなたのところへ行こうとして、/殺された」存在であるため、その言葉に彼方からの強い力が加わっているともいえる。死者とは、神になるまでの長い期間、子孫に供養を要求する存在だと、藤井氏は源氏物語論のなかに記しており、この作品の下敷きには、そうした思想も含まれていそうだ。
 以下、作品を具体的に解いてみる。
 「愛をそだて、手さぐりするあなたへ、/わたしの名まえをおしえてあげる。」、この冒頭の二行からは、前向きに行動する「あなた」の様子と、「あなた」との距離を少し縮めようとする「わたし」の気持ちが読み取れる。ここでの「あなた」が育てる「愛」の性質については、「わたし」に対する愛というより、「わたし」という他者を通して、愛そのものに近づこうとするもののように思われる。それに対し、他者に「名まえをおしえ」る行為は、古代での求婚の様式をふまえての応答の言葉ともみえ、その成就が仄めかされているのだろう。作品全体の印象から判断するなら、可能性として、「あなた」は詩人であり、「わたし」とは詩そのものだと捉えてみることが必要かもしれない。
 続いて、「あなたのところへ行こうとして、/とどかなかったわたしのからだのうえの愛を、/風俗のお店で、あなたに見せた、/わたしのうたの一部で、返すわ。」と展開される。具体性と抽象性が混じり合った表現だが、散文的に解読すると、「風俗のお店」とは女性の売春行為を匂わすとともに、金銭を介しての公開性として、ジャーナリズムなどをあらわしているらしい。つまり、この一節で意図されるもののニュアンスは、詩人である「あなた」の言葉になろうとしたけど、詩そのものである「わたし」の良い部分は届かなかった、でも、雑誌などに発表された「あなた」の作品には、「わたし」の「うたの一部」がみつかるはずだし、今、「わたし」の「名まえ」を告げることで、「あなた」は愛を理解するでしょう、といったところだろうか。「うた」の語には、「訴える」の意味が含まれるだけでなく、藤井氏の詩歌観に添えば、詩歌のもっとも大切な部分を指すといえる。また、「うたの一部」が露出されることは稀有な出来事であり、二人には強い経験があったとも推測させる。その経験と、訴えの内容については次に語られる。
 「真実なら、ちょうだい。 詩織の詩で、/もうすこしましな、戦争で隠されたあなたに、/真実へ、にじりよってほしいと思うから。」、強い経験とはいわば「真実」への意識のことであり、「戦争」に関係するものだと明かされる。そしてここには、詩そのものである「わたし」が「真実」を求め、「戦争」で隠されはしたが、詩人である「あなた」のより良い能力で詩についての詩作品を描くことにより、「真実」をつかんでほしいとの訴えがある。それにしても詩が求める真実とは何か、ましてや戦争のなかでの真実とは何を指すのだろう。
 「そうなんだ、戦争だったから。 わたしが、/あなたのところへ行こうとして、/殺された、ということを、そこに書いてください。」、この「そうなんだ」は、あらためて現在の様子に気づいたかのような表現だが、詩の無垢さを示すのだろう。それはまた、この気づきにこそ「真実」を開く鍵があると、思考を導こうとしているようだ。戦時下、詩そのものが詩人のところに行こうとして「殺された」ことを、詩作品に書いてほしいと訴えを重ねるとき、言論の無意識的な規制があったことを匂わせつつ、だからこそ今なら、それら全体の状況が理解できるはずだと伝えている。一方で、「あなたのところへ行こう」として行けなかった原因が、単純ではなかったこともふりかえられる。
 「愛を隠した戦争で吐いたわたしのげろ、/あなたのところへ行こうとして、/あなたのところへ行こうとして、/わたしには越えられない戦争だったから、/わたしの名まえを書いてください、そこに。   ——詩織」。この「戦争」は「愛」を隠す性質のものだったのだ。それは無意識的なものだったため、どんな詩人からも「げろ」のような詩しか生まれなかった。そのことは詩や詩人の非力さや、詩を読もうとした人々の絶望だけを証明するのではない。むしろ、愛のないところに良い詩は成立しないとの気づきのうえで、詩そのものである「わたし」が、詩人である「あなた」に自分の「名」を告げ、「愛」の発生を促すことにつながったのである。そこでついに「真実」が出現するというのが、この作品の全体像だといえるかもしれない。「真実」とは、素朴に述べれば、相手の名を知ることで、愛が深まるということだろう。おそらく、その戦争では人の名に価値が与えられなかったのだ。そのため個人の名をめぐる愛の詩により、戦争のない世界の実現を訴えざるを得ない時代状況を、指摘したのである。ちなみに「詩織」という響きには「枝折り」が隠されてあり、案内の意味が付加されているらしい。
 このように読んでくると、湾岸戦争の際の藤井氏の創作体験が、不徹底であったとの反省のうえになった作品のようにもみえるが、同時に「うた」の根強さを内容の土台としている点に、書き手の意志を確認できそうだ。
 さて、冒頭のブランショの言葉は、その文章中で次の方向に展開されている。「詩は今日しばしば、断言の意味に先行するというよりも、その意味を却下するか拒絶する断言である。(略)なぜ詩は、あの先行運動によって結びつけられている意味を信用しないのか。それは意味が疎外されているからだ。(略)疎外という語は、観念であれ、人間であれ、自分自身を肯定する際に、自分を自分自身に対して疎遠にしてしまう運動を指す」。  この一文の内容を敷衍すると、日常を戦闘ゲームとみて他者を仮想の敵とする今日では、いずれ他者の他者として自分をも敵とみなすしかない、という理解につながりそうだ。そこから自分自身を守るには、他者につかまれる自分の意味を排除して、おのれの人生観による認識形式と敵対させないことが肝要だが、これは個々が断言としてのみ存在することではないか。そのため、そこに愛が生まれようとも、育つとは思えない。藤井氏はこうした思想を乗り越えようと苦闘している。それは現代の詩人の意味を問うことだろう。

(二〇一四年五月九日 了)

profile

竹内敏喜(たけうち・としき)

詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)

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