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齋藤恵美子『ラジオと背中』

(思潮社、2007年5月1日発行)


戦争について考えてみようと思ったときに、しっくりときた本があります。
齋藤恵美子『ラジオと背中』は、
戦争に触れる声と言葉とが行き交います。

まず「写真の外」と題されたこの詩を読んで、 自分の戦争の見方をやっと自覚したのを思いだします。

体験というへだたりを、想像力で埋めるためには
あの日へも、戦争へも
娘の方から歩み寄らねば、ならなかった、私には
くぐり抜けたと言えるほどの
日々も歴史も、なかったから、古い雑誌を
眺めていて
(「写真の外」より)

他者の体験にはへだたりがあって、想像力で埋める必要がある。
このように明言されるまで、普遍的なこのふたつの前提を、
自分がこれまでわかっていなかったことに気づかされたのでした。

いままで耳にしてきたこと、話されたこと、説明されたこと、
それぞれの情報を統合できないまま、
感覚を置き去りにしたところで、ただ目を丸くしている自分が、
そのままこの詩篇のなかに立たされたように思いました。

まあ、そうだな、でも、あの頃は、そんな自覚も
批判の気持ちも湧かなかった
たぶん、何かを、徹底的に、諦めていたんだろう
戦争のある日常が、あたりまえになっていたし
からだじゅうに、こころにだって、それが
染み込んでいたからね
(「胸囲」より)

戦争という名詞は、自分にとって遠さそのものでした。
それでまずは別の、もっと個人的な恐れを帯びた身近な名詞に、置き換えました。
ふかく、まぬがれ得ないという情態を、想起しました。
その情態を戦争にひもづけて再度読むと、
指先が痛くなるほど、身に焼きついてきた。

このような実験を、なんども繰り返し、読みすすめました。
言葉を読んでいるつもりなのに、ときどき目が合うような気がするのは、
既知の感覚を呼び起こす声に出くわすからかもしれません。

平和の中で満足するのは、案外、力のいることだ
石のいびつをさすりながら、祖父は
そんな話もした
戦争には、無垢な気持ちを駆り立てるところがあるからね
まちがった充実感に、手ごわい魅力があるんだな
その魅力に勝たないと──
(「蝶の模様」より)

平和のなかで満足するのがとても力の要ること、
まちがった充実感に手ごたえを感じてしまうこと、
どちらも身に覚えのあるものでした。

ひとりの人間の大きさの声で象られ、少しずつ、苦手だった名詞の像があかるみにでる。
もし、集められた声が、ひとりの人間の大きさの声でないものばかりだったら、
私には遠いだけだっただろうと思う。

一人が、声をゆるしてしまうと
きっとみんなが、びしょびしょの、言葉を叫んでしまうから
(「アルバムの空白」より)


*


同年代の集まるところに出掛けるとね、居づらいんだ。
「おたくは海軍?陸軍ですか?」昔の話になるだろう。
海か陸かで一致すれば、すっと話題にのれるんだが、軍隊を、知らないからね。後ろめたさがあるんだよ。死んでいった仲間とも、生き残った連中とも、共通の汗がない。見せあう記憶がないんだな。
 (「小骨」より)

人がいる。
どんな間柄であっても、人の周囲には、へだたりがある。

へだたりを往来する、
言葉は、影響する。声は、影響する。

「声が、終わらせたものよりも、始めたものが、気がかりでした」
(「八月の声」より)

意識に留まった気配をみつめていると、
ふと、へだたりのうえを跳ぶ、自分に気がつく。

文/丘野こ鳩

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