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「生きること」について

モリマサ公

生きることを正当化したい。自分のやっていることを肯定したい。やりたいことにしがみつきたい。価値のある人間だと認められたい。

小学校の高学年からずっと不登校をつづけていた。中高はエスカレーターの私立だったためになんとか卒業することができた。短大もダメだった。好きな美術の大学だったが存在することの意味すらわからないわたしにとっての日常は苦痛きわまりないことだった。
死にたかった常に。とにかく。一刻もはやく。

たしか23歳の冬であったように思う。わたしは最後の全ての生活を捨てて冬山ごもりに逃げ込んだ。生きることをあきらめるかわりに雪山ににげこんだのだ。わたしの第二の人生といっても過言ではないだろう。スノーボード人生の始まりだ。

雪は毎日美しかった。日常の死にたい気分を全く忘れさせてくれた。妹はそれで身を立てる気でいるスポーツ界系で美術系のわたしのほうははるかに体力におとった。だがスノーボードはいうほど下手でもなかった。こわいという気持があまりなかったのだ。こわいとおもっていたらやってられないようなスポーツなのだ。その冬味をしめたわたしたち姉妹は次の夏南半球のニュージーランドへとスノーボードトリップへ旅立つ。ニュージーランドのスキー場のパス券を買い毎日すべり、夜はバックパッカーのキッチンでお湯をわかしてインスタント麺をすすった。飛行機代をあわせても20万いかないぐらいのかつかつな貧乏旅行だった。それは二か月続いた。毎日朝から夕方まですべりまくることによりわたしにも体力がついて来る。子どもの頃からもやもやしていた存在の不安のようなものが肉体を得ることによって初めて生きることの意味をみいだした。わたしはスノーボードの中に存在理由を見つけたのだ。

コミュ障だったわたしはここから新たに人間関係などという壁にぶつかるも昼間うまく滑れればそれはたいした問題ではなかった。あらゆる問題から逃げるように雪山に毎年住みはじめる。自分で家を借りるのではなくスキー場の近くにすんでいるスノーボーダーたちの家家を点々と泊まらせてもらうのだ。それは日本のオンシーズン以外の夏や秋に海外でであった友人たちだった。ニュージーランド、フランス、しまいにはフィンランドまで、あいまいだが鮮烈な部分は現在をうわまわる記憶としてある。

その頃からわたしは自分がコミュニケーションスキルがないことに気がつかなくなっていく、常に人間関係は穏やかではなかったが、スノーボードをしているかぎりなにも怖いものはなかった。わたしはめきめき上達していた。妹も同じだった。長野オリンピックのハーフパイプを2人で電気屋のテレビでみた。そのころすでにハーフパイプという競技を2人ともはじめていて、ルーキーとして森姉妹は有名人になっていた。スポンサーもついた、遠征費用もでた、着るものにも道具にも困らなかった。必要なのは生活費だけだった。それは秋や春の滑れない時間にアルバイトをしてためた。雪山が滑れないシーズンは海外遠征のためのお金をつくるためにアルバイトをした。新しい洋服もかわなければ友達と遊びにいくこともなく毎日こつこつトレーニングをつづけた。妹とは別々に行動をはじめた。わたしはスポンサーからもらったお金でトレーナーを雇いトレーニングを教わり屈強なスポーツ選手のからだを手に入れた。それは生半可なトレーニングではなかったが割愛させていただく。

コミュ障で何をやっても長続きせず、絵だけはかろうじて描けたがそのほかになんの取り柄もなく常に死にたかったわたしは、こうして生きることにだんだん夢中になっていった。こんなに面白いことはなかった。毎日続けているトレーニングには底がなく続ければ続けるほど頑丈な土台としてわたしの精神を入れておく器になった。精神とは日々見つめ合い議論をする仲になった。あれほど毎日死にたい日々の中追いつめられていた精神は客観性を帯び俯瞰性をまとってわたしに語りかけてくるようになった。多くを学び技法を極め反復し繰り返し練習をつづけた。オリンピックをめざしながら。
しかしその夢を叶えたのは妹だけだった。

わたしはハーフパイプの競技をしている流れで自覚もなくプロに昇格する。どんだけってほど頑張っても優勝出来る選手になれず表彰台には並んでいる選手だった。それでも雪はいつも美しかった。なにもかもを毎日毎日ぬりつぶしてくれた。わたしはトッププロの仲間入りを果たしそのスノーボードは一歩間違えると死に至る可能性をもつほど高い領域で行われていた。雪は美しく、体は心と一体になり、死と隣り合わせであることを忘れてしまう瞬間はずっとつづいていた。大きなジャンプ台で技を決める時わたしは無だった。何でもおもうことはすべてできた、宇宙との一体感も感じられた。

そして「ああそうなんだ」と生かされていることにふと気付き、「生きていると言うコト」は全く別の意味になっていった。雪は相変わらず正しく美しく降り積もり、わたしはそこでたしかに生かされていたのだ。生きていたのだった。それは完璧な「生きること」そのものだったのである。




2006年12月
第三の人生のスタートだろうか場面は急展開を迎える。あれほど完璧だった生きることは、様々な重苦しい裏切りや、気が狂うほどの怒り、貪欲な狂気に貪り食いつくされていまや虫の息だ。

逃げ出してしまいたくなる瞬間はなんどもおとづれ、苦しい水中の息継ぎのような詩をごぼごぼ吐いたり、自分のやっていることを正当化したくて、したくて、肯定したくてもいうことを聞かない体を揺さぶって、やりたいことにしがみつきたい。あの頃できたのだからいまだってきっとできるはず。価値のある人間だと認められたい。あのときの俯瞰性をもう一度、未来のわたしよ、もう一度わたしに話しかけてください 「生きること」について、
「生きること」について。

profile

モリマサ公(もりまさこう)

1972年 東京都墨田区生まれ。元プロスノーボーダー。
2009年8月 SSWSグランドチャンピオントーナメント準優勝。
詩集『日曜は父親と遊園地に行こう』(一〇〇〇番出版、2008年)、
『日曜は父親と遊園地に行こう』(Kindle版、amazon、2014年)
「詩楽」vol.4に作品掲載。

→バーベキューファミリーレーベルのポエムZINE「どんと、こい!」編集長
→blog よぼよぼのラッコの最期
→note (ポエトリーラジオなど公開中)
→youtube 『ベルリン』 @SSWS

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