前回に続き、貘さんこと、山之口貘の詩を。
ほんの十六行のこの詩を、いったい貘さんは何べん推敲したでしょう。沖縄の県立図書館で、その推敲原稿の写しを読むことができます。しかも「貴重資料 デジタル書庫」というコーナーにおいて、インターネット上でも公開されているのです。
ミミコの独立 [山之口貘自筆原稿]|貴重資料デジタル書庫・デジタルアーカイブ
これを見ると、書き出しだけでも、初稿から最終稿に至るまで変わっていっているのがわかります。また「呶鳴ったおやぢも知らなかったのだ」や「とうちゃんのなんか/はくぢゃないよと/ついぼくは怒鳴ったのであるが」(註:原稿では「怒」は口偏付き)と書かれてきた表現が、推敲を経て「とうちゃんの下駄なんか/はくんじゃないぞ/ぼくはその場を見て言ったが」に定まる過程に、なんて逡巡が働き、重なってきたのかと、推敲原稿を初めて見たとき、息をのみました。
ミミコの事情を知らずに、それを推し量ろうとせずに、見咎めてしまった自分のことを、貘さんはあえて「呶鳴ったおやぢも知らなかったのだ」と落ち度を認めて書きます。ですが「その場を見て言った」という表現に落ち着いているところに着目すると、おそらく、実際には貘さんは「怒鳴る」まではしなかったのではないかと思えてきます。つい見咎めた自分を反省するあまり、叱ってしまったという悔いから「呶鳴った」という、強い自責の表現が突いて出たのではないでしょうか。
けれどそれでは、書き手の悔いという冷静さを欠いた感情が、詩をくずしてしまいかねないと、推敲の過程で判断を働かせたのではないでしょうか。決定稿にある、「見て言った」というなだらかな表現でじゅうぶんに貘さんの悔いも、そのときの情景も描かれています。
自己をも突き放す書き方ができて、なおかつ、その突き放した表現の行き過ぎた息を整える推敲の手つきが定かなこと、これは貘さんが並々ならない詩人である証拠だと思います。表現のアクセルはどんどん踏めても、そこから一見平坦、平凡な書き方へと戻すブレーキをきかせることのできる書き手は稀です。
詩にかぎらず、身内を書くこと、描くことは、たいへん難しいですが、その困難を乗り越えて、一篇の珠玉を誕生させることができるのは、自己を幾重にも乗り越えていく書き手だからだと、決定稿の詩一篇を読めばちゃんとわかるはずですが、ずるをして推敲原稿という楽屋裏まで覗いて見たら、あらためてそのことを感じました。