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詩の散歩道 2

故郷を記す

小網恵子

 お米や果物、きのこなど秋は収穫の季節だ。最近は季節の感覚がどんどん薄れてきているが、新米と書かれた幟旗や色あざやかな果物が店先に並ぶと心うきたってくる。故郷が東京である私もこの季節になると、よく実家から送られてきたという林檎や梨などのおすそ分けにあずかる。梨をタイトルにした詩から紹介したい。

「赤梨」   丸山乃里子

梨畑の中央に大きなガラスの水槽が置かれ、
半分ほどはアオミドロで覆われている。その
中に馬の首がぼんやり浮いている。昔はそう
だった、と村人は言った。(溶かして肥料に
するからね)それを聞いて以来、梨畑は私の
夢の園になる。

春、梨の白い花の下で馬の首が反転する。優
しい目を見開いたままで。夜、何かに引き寄
せられるように厩を飛び出した馬が、汽車の
明かりを目指して走る。衝突し汽車の急停車。
群がる人々。死んだばかりの馬を我がちに解
体する村人。脚、腹、背肉、皮、それぞれを
分け合って、残る馬の首。梨畑の大きな水槽
に沈められ浮く。

白い花が咲く頃、首筋から溶け出し反転する
首。梨の花の匂い。たてがみがモグサのよう
に立ち揺れ。背を屈めて梨畑を歩きたかった。
水の中の馬の目を見ていたかった。部分なの
に全体である首。反転しつつ溶けてゆく。水
槽を時々照らす汽車の明かり。梨の花。秋に
は甘酸っぱい匂いを固い皮で包んだ赤梨に取
り囲まれる首。最後に水に浮かぶのは一対の
目だけだろうか。そしてやがて、赤梨の木の
下にゆっくりその目を閉じる。

 (丸山乃里子詩集『赤梨』/本多企画, 2009年)

 言い伝えや昔の人の話を参考にしたと詩集の最後に記され、詩の中でも「私の夢の園」と語っているが、「赤梨」にはドキュメンタリーの迫力を感じる。梨畑に置かれたガラスの水槽に馬の首が沈められ、それが溶けて梨畑の肥料になるという話は、事実ちょっと前の時代にはありそうな出来事だ。厩を飛び出した馬が衝突した汽車は急停車、その馬の処理を短い言葉で活写し、緊迫した臨場感を生んでいる。そして反転する馬の首の描写。馬の哀切さを感じ読み進めていくと、「水の中の馬の目を見ていたかった」と馬への直接的な思いが語られる。「最後に水に浮かぶのは一対の目だろうか」は印象的だ。馬の目に意識が集中していくのは、肥料となって最期まで生ききった馬への哀悼の念と、馬の見てきたもの―馬と人が緊密な関係をもっていた時代の人々の暮らし―に想いがいくからではないだろうか。「赤梨」は皮が褐色の「長十郎」(最近はあまり見かけない)や「豊水」のような梨を指すらしいが、やや武骨な印象のそれは馬の様子に似つかわしい。同じ作者の詩で故郷の風景を描いた作品をもう一つ。

「ヤモリ」

小屋は夕日のただ中にある。
沼と集落の家々とを区切るもろい崖の上に
その崖に土台を突っかけるようにして建っている。
オレンジ色の光の矢が沼を越えて樹木のない坂道を
駆け上がって、小屋は光の中で舞い上がっているよ
うだった。
道の端にしゃがんで私は小屋を眺めた。崩れを防ぐ
ためか古板を集めて外壁に打ち付けた支え板が角々
を結び夕日のただ中に見えた。

私は年に一度この小屋を見に故郷に帰る。
勿論ほかにも用事はあるのだが両親が逝き、
生家が取り払われて、故郷を訪れても
宿屋に泊まるしかない私にとって、
いつの頃からか、この無人の崖上の小屋をながめるこ
とが目的のようになってしまっていた。
もろさの上に立ちつくす小屋。
今年は幾度目だろう。
夕日の中で見るのは初めてだった。

聞けば消息を絶った持ち主の代わりに集落の人々が
崩れを防ごうと時折支え板を打ちに来るのだと。
集落の徴としてその重ね重ねの分厚い支え板にま
ともに当たる夕日。
支え板は巨大なヤモリのように小屋に張り付いてい、
とてつもないものが小屋の中に住むのではないかと
思わせた。
夕日が沈むまで私はその場に釘付けになった。

 (丸山乃里子詩集『回転椅子』/本多企画, 2005年)

 夕日の中の小屋を描いたこの詩は平明だが、故郷への切ない複雑な思いが読み取れる。「沼と集落の家々を区切るもろい崖の上」の家は自然と人が調和し住み分けていた生活のシンボルとも思える。人が流失していく故郷で無人の小屋は作者にとって一つの拠り所だ。そこに打ち付けられた支え板は村人の思いの結集だが、ヤモリのような違和感や怖れを内蔵している。外壁に打ち付けられた支え板、崩れることが許されない小屋。それは集落を守ってきた人々の善意の証ではあるが、一方では表向きを整えることに執心している因習をも感じさせる。そして「とてつもないものが小屋の中に住むのではないかと思わせた」という現在進行形で語られる。
 作者は故郷の秋田を題材とした詩を多く書いているが、風土・歴史・風習などを深く汲み取って筆を進めている。今回取り上げた詩でも単に懐かしい風景に留まらない故郷が見えてくる。作品が書かれたのは東日本大震災の前だが、故郷を書き留めなければという意志を感じる。

profile

小網恵子(こあみ・けいこ)

1952年東京生まれ。1998年詩学新人。詩集『雲が集まってくる』(詩学社, 2000年)、『耳の島』(書肆青樹社, 2002年)、『浅い緑、深い緑』(水仁舎, 2006年)

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