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詩じゃない日の暮れ方 4

名言じゃない日の暮れ方

花本武

 詩について書くのは、むつかしい。といっつもおもいながら書きはじめるわけです。なにしろたくさんの詩を読んでいるわけじゃないし、詩について書かれたものに至ってはぜんぜん読んでいない。と言い訳がましくなる。ではぼくがここで詩について書くうえで有利だったり有益だったりするのは、どんな部分だろう、と考えてみる。
 ぼくは本屋で働いていて、詩の棚を担当している。他にもいろいろ担当しているのだが詩の棚にそれなりの力を注いでいるつもりなのだ。そこから気がつく視点や思いつきがあるかもしれない。詩集などを販売する立場からの定点観測的な見解だ。これは腰を据えてかからないといけない。ちょっとやそっとでまとまった感慨が催されるものではない。といってももう詩の棚を管理するようになってたぶん5年以上たっている。おもうところを書く頃合いとしては、もうそろそろどうだろう、なんか出てきていいような気もする。いいような気もするのだが、ぼくとしてはさらに腰をどっしり据えたい気持ちがあるのだ。だからこの連載をすごく長く続けさせてもらえたら、いつかなんらかの自分なりの「詩を販売する」ことにおける主張が固まってくるかもしれない。そうだといいなあ、と自分に期待しているのが現状です。
 あとは、ぼく自身、詩を書くことが好きで今も折にふれて書いている実作者としての視点だ。ぼくの詩はでたらめなものだ。謙遜をしているわけでは毛頭なくて、でたらめなものを目指して、そこを志向しているのでむしろ自負だ。そういうでたらめ志向な詩人をやっているのだけれど、仲間内ではわりと需要がある。谷川俊太郎の詩は受注生産だときいたことがある。大向こうを張って言えば、ぼくもそうだ。頼まれたら書く。そして読む。声を出して。たぶんそこが重要なのだ。自作の詩を臆面なく読むのは、けっこう勇気がいるものだ。だから重宝されている。(ような気がする)どんなときにそのような依頼が来るのかと言えばおめでたい席だ。ほとんどがそう。お葬式で追悼の詩を読んだことはないが、人生どんなことがあるかわからないし、もし依頼があったら引き受けるのかもしれない。おめでたい席というのは、結婚式かそれに類するパーティーなんかのことだ。パーソナルな情報をちょっと織り交ぜて、披露する。わりと喜ばれることが多い。こちらも祝福したい相手だから引き受けているわけで、喜ばれると嬉しい。これは余談だが、ぼくが敬愛する作家で俳人でもある長嶋有さんに、詩を書いたりすることはないんですか?と伺ってみたら、たまに書くよ、とおっしゃった。へえ!とおどろいてきくと、同じように友人の結婚式などで披露することがあるそうだ。そうゆうときに小説は読めないじゃん、詩なんだよ、そうゆう場で求められているのは。とゆうような主旨の発言をされたようにおもう。(うろ覚えでごめんなさい)まあ、そうゆう活動があったうえで書けるなにかがあるかもしれない、とゆうことだ。
 詩は生ものなのに腐らない。という名言がある。スポークンワーズのアーティストで人気のある小林大吾さんのものだ。ぼくも大好きで先日新しいCDが出たので買って愛聴している。たぶん詩を書いたことがあったり、すごく詩が好きで詩について考えたりすることがある人は、詩が「生もの」であるということにすごく深い了解をするのではないでしょうか。出来たてホヤホヤみたいな言葉を材料にするのが本物だし、出来たてじゃない言葉でも出来たてのように扱って、新鮮味を引き出すことに注力するのが当然のやり方だし、まさに「生もの」だな、と。「生もの」を扱うのはむつかしい。だって腐るから。そこからがこの名言のミソだ。「生もの」なのに「腐らない」。とくる。腐らない?腐らせない努力や工夫は必要ないのか?とあらためてこの名言を検証しようとすると疑問がわく。だが「腐らない」のだ、たぶん。小林さんは、恐らくたとえ腐らしたとしても、喰ってしまえ、発酵させちまえ、って気持ちも含んであのように言ったのかもしれないし、それはこっちがうがちすぎなのかもしれない。ぼくはもう一つ説を用意している。スポークンワーズ人口の少なさを憂えているが故に「腐らない」という断言が必要だった、というものだ。詩を書くこと、言葉を紡ぐこと、そのことに慎重になりすぎてないで、こっちに来いよ!というようなメッセージがそこにはあるのでは、なかろうか。いけないいけない、考えることが頭でっかちになっているような気がする。
 この連載ページを受け持ってくれているFくんがくれたメールにこうあった。ぼくは詩が好きというよりも、詩が好きな人や詩の周辺のことを知ったりするのが好きなのかもしれない。と。なんだかそうゆう人がやっているこの「詩学の友」ってのは、ずいぶん心強いなあ、とおもったりした。Fくんのそのちょっとした呟きが妙に心に残る。なぜなのだろう。純粋な詩というものは、すごい小さな点のようにおもえるのだ。その周辺を取り巻く空気やなんかが、ぼんやりと包みこんでいてその総体として詩の世界がある。と書いたけど全く意味がわからない!自分ながらなんか感覚として言いたいことがあるんだけど、残念ながら説明するに足る言葉とか比喩を生み出せませんでした!でも言いたかったんですよ、ぼくもFくんのようなことを、もう少し自分の言葉で。

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花本武(はなもと・たけし)

書店員。1977年生まれ。東京都武蔵野市在住。
本と本屋と詩を愛好してます。

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