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詩じゃない日の暮れ方 2

応援じゃない日の暮れ方

花本武

 詩について考えることは、なんだか雲をつかむような具合で、ぼんやりした想念がいったりきたりして、いっこうにまとまった形になりません。世の中には幾多の詩論が存在していて、ぼくはそのほとんどを読んでいないんですけど、いったいどんなことがそこに書かれているんでしょう。興味はあるんですけど、ぼくのこれから読もうとおもっている本が積まれている場所にそういった本はぜんぜんないです。
 かろうじてある詩の本は、『パウル・ツェラン詩文集』と『山之口獏詩文集』です。どちらもパラパラとページを繰って、目にとまったところを読むと、すごく良いです。その二冊の感想を書き連ねたいような気もしたんですけど、通読してないうえに、ここで書くテーマじゃないような気がしました。一応「詩じゃないものから詩を読む」というテーマを掲げてるんです、ここでは。
 詩じゃないもの。例えばスポーツ。これなんか、かなり詩じゃない感じがします。ぼくは最近フットサルをはじめました。職場からも自宅からもほど近い、ビルの屋上にフットサルコートがあって、そこに集まってプレイします。
 みなの都合が良くて場所を確保できる時間が22時以降になります。夜中にボールを蹴って遊ぶのは、なんだか背徳的なものがあります。ああ、こんなことしていていんだろうか、と。
 小学生のころから高校で膝に怪我をするまで、サッカーをやってました。なので学生時代の思い出にサッカーが占める率が高いです。かなり熱心にボールを追いかけてました。3年生のときに学校のチームに入ったんですが、動機は仲の良かった友達が入部するとのことで、くっついていったまででした。
 チーム名は、大一ファイターズ。熱心な先生がコーチ役をしていて、練習はなかなか熱の入ったものでした。ぼくは、あんまり上達しなかったので、公式な試合などがあるときは、小学生心に遠くまで遠征するんだけども、枠の外に体育座りをして、みんなが「こっちにパス出せ!」とか「あがれあがれー」とか言うのを見守っていることが多かったです。
 だけれどそれがすごく厭だったかというと、まあ厭ではあるんですけど、惰性もあって、試合に出る機会がないのに、妙に遠征には律儀に出向くというのが自分の特性のようになってました。すごく格好悪い特性ですね。そういうのは、褒められそうだ、っていう企みは、あんまり持ってなかったけど、後に褒められましたよね、花本は、いつでも試合があれば応援しにくる熱い奴だった、という具合に。
 あまり応援の気持ちはなくて、ただなんとなく、ひまだったっていうのが実感に近いような気がします。あのころは、本当に莫大な時間を抱えてそれを蕩尽してました。ぼくの律儀すぎる応援行脚は、いったい何だったんでしょうか。大一ファイターズは、力をつけて、最高で東京都のベスト16くらいまでいったんです。となれば、試合におよびがかかるんですよ、都の外からも。それで新潟に行ったり、静岡に行ったりもしました。
 と書いたものの、中学生のときのサッカーの記録と記憶が混在してきたようです。ベスト16は中学のときかもしれない、新潟もそうかもしれない。でも、そういう細部は、まあ、ここではよしとしていただきたいです。
 サッカー漫画の金字塔、『キャプテン翼』においてボールは友達でした。それをずいぶんさみしいことだ、ボールをも友達にカウントせざるをえない境遇なのか、と揶揄する冗談がいっとき流布しました。それはおいといて、ぼくは正直ボールがこわかったんです。あれが顔面に当たる恐怖をまざまざと想像できたし、その苦痛と屈辱をいつでも再現できまして、まっぴらごめんこうむりたい気持ちを常に強く携えていたのです。それをなかなか克服できずに、上達しなかったような気がします。本当にそうなのか、よくわかりませんが。運動神経が全般に良くないから、ただそれだけのことかもしれませんね。

 という文章を勢いで綴りました。それはもう勢いです。これはどうも詩じゃないし、詩にはならないし、何なのかとと言えば、なんのこともない文章のようで、内容に詩心が感じられるところがあるかないか、あったとしても微々たるものでしょうし、まあ、ないんじゃないでしょうか。
 ぼくは、『詩』を書きたいんですけど、何を書いても『詩』になるわけじゃないのが不便な感じがします。いや、何を書いても『詩』になってしまうような文章発生メカニズムを持つ人がまともに社会全般を渡っていくことができますでしょうか。ぼくはそういう人が社会全般を渡っていけた方がなんだか楽しい世の中なような気がします。
 それはずいぶんいいかげんな世界になってしまいそうで、こわいですね。お役所の書類関係が全部詩的に綴ってあったら、にっちもさっちもいかないかもしれない。こういうふうな想像ってなぜ起こるんでしょう?『詩』ってそんなに「いいかげん」なものなんでしょうか。う~ん、どうもよくわかりませんね。ぼくはなんにもわかりません。
 詩について考えるのは、楽しいのですけど、どうも結論のようなものを導き出すことがとても困難におもえます。

profile

花本武(はなもと・たけし)

書店員。1977年生まれ。東京都武蔵野市在住。
本と本屋と詩を愛好してます。

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