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《第二期》詩の散歩道 14

雪と曇り空、すきをついて顔をみせる太陽のように目に染みる詩、三つ

阿蘇豊

 日本は四季があっていいとは思う反面、今日この頃の北国の冬真っただ中にいて、朝、窓の外の変わらぬ銀世界を目にすると、若干気持ちが沈んでしまうのを禁じ得ない。が、そんなこと言っても何の足しにもならないから、眼鏡をふいて、挑戦者の心持ちで机の上に積んである一冊に手を伸ばす。

  名刺

高卒の一年目が
周りの忙しさに追い出され応接室へ向かう
見慣れぬ社会人が落ち着いた装いで
テーブルを挟んで立っている
「突然の訪問で申し訳ありません。
 初めまして藤井です」
差し出された名刺に恐縮し
「まだ、勤めたてで名刺がありません。Mです」
突然の非礼を詫びながら
若者を相手にせざるをえない相手の
にこやかな表情の中に躊躇があったかどうか

あれから
どれほどの人から一枚の名刺を受け取り
一枚一枚配りつづけてきただろう
余白の中に増えて重くなっていった
資格・肩書も停滞している
箱の底が見え始め
もう二度と印刷することはないだろう
引き出しいっぱいに納まっている過去の遺物
自分の初めての名刺は失ったのに
その人は名刺ホルダーにまだ納まっている
会社員を降りる前に
一度も電話をしたこともないのに
その人に報告したいと受話器を握る
印字の薄くなった番号を押す
「もしもし」
「藤井さんはいらっしゃいますか」
折り返し
 -おかけになった電話番号は
  現在使われておりません-
機械の音声が返ってくる

その人は今 どこにいるだろう
渡せなかった一枚を
黄ばんだ名刺の上に重ね
僕は会社員を卒業する

 (松田達男/詩誌『蒼玄』100号より)

 よくわかる、よく伝わる詩である。この詩を写しながら、「ウン、ウン」とうなずいていた。一行一行がそれぞれの情景を几帳面につないでいる。詩は行と行、連と連に置く飛躍が味だと思っていたが、それだけでもないと知らされる。きっとこの作者も几帳面な人だろうな。とある組織の事務局長とかが似合う人ではないかなんて、勝手に想像する。
 思い出した。昔、「東京詩学の会」で知り合った人からもらった名刺の肩のところにやや大きな字で「詩人」と印刷されていて、何とも言えずびっくりしたことがあった。
 この詩は名刺の社会的意味みたいなことを、それとなく織り込んでいてそれもいい。たかが名刺、されど-、というところだろうか。最終連の切り上げ方もすっきりと好ましく感じられた。

  懐具合

気になることがあって
答えを探そうと出かけた。
すると、家の玄関のまん前に
不思議に思うことがひとつ
転がっていて、拾ってみた。
少し行くと、今度は道端に
腑に落ちないことが一個
落ちていて、拾って懐に。
そこから公園をつっきったら
なぜだろうと考えることが
ベンチにぴょこんと置かれ、
それも拾って、川っぷちへ。
枯れた葦の中にかさこそと
疑問に思うことがひそみ、
海辺までくだって行ったら
そこここに未知のことが
打ち上げられていた。

北風に吹かれても帰りは
この疑問符で懐は暖かい。

 (アーサー・ビナード/詩集『左右の安全』より)

 おや、こんな本があるんだ、と図書館の詩歌のコーナーで見つけて、読んでいっぺんで気に入っちゃった。そうそうこんな詩がおれ、好きなんだって思いながら。読み終えて、こちらの懐も暖かくなる。そこはかとなく漂うウイットが胸のあたりを暖めてくれるのかな。一行一行のことばも芝生のように同じ高さに切りそろえられ、シャキッとしたリズムを作っている。また、この心地よいリズムは「~こと」の適度なバラまきでもつくられていることに気づく。「気になること、不思議に思うこと、腑に落ちないこと、なぜだろうと考えること、疑問に思うこと、未知のこと」。「?なこと」をこれだけ書き分けているのもおもしろい。そっ、とにかくおもしろかったといいたい、それだけで十分。

  こばと

うで が つくえ に
うでつくえ
あし が ゆか に
あしゆか
あたま が くうき に
あたまくうき

とけて
ひとつになっていく

うでつくえかたかべ
くびせなかまど

ことばとはなんだろう
こばとはとなだろう


とけて
せいれつしていく

あかさたな
はまやらわ


おことおなんいうと
おおなんということ
おとこ おんな という

であいから
とけて
とぶ
こばと
ふしぎだ

 (伊藤芳博/詩誌『橄欖』第108号より)

 うううんいいなあいいいなあといったらいいにはならないのか ん
 なんてつられて書いてしまった。久しぶりにこんなことばそのもののおもしろさにふれる詩にふれた。
 「うで」は「つくえ」と手をつながないんだよね、どうして?と子供みたいにたずねてみてもこたえはない。じゃ、「うみ」と「コンパス」は?「ぶた」と「めぐすり」は?などと、だんだんシュールになってくる。「おおなんということ」!
 ぼくもこんな詩を書いたことがある。「またあした」と「あたました」と「あたしまた」がからむみじかい詩。
 たしかにことばはふしぎ、こばともふしぎ、ばことやとばこはふしぎじゃない。
 そんなことばそのもののふしぎをもっともっとたのしみたい。

profile

阿蘇豊(あそ・ゆたか)

1950年生 山形県酒田市出身
詩集
『窓がほんの少しあいていて』(ふらんす堂、1996年)
『ア』(開扇堂、2004年) 他
『とほく とほい 知らない場所で』(土曜美術社出版販売、2016)
『シテ』『布』『ひょうたん』同人

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